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父との訣別を誓う。周りからの評価のための飾りなんてうんざり。

題名からしてなんて親不孝な人なんだと思う人がいるかも知れませんが、私はこの世の中皆んなが親と良好な関係を築けるとは考えておりません。

批判がでるかも知れませんが、「自分を産んでくれた親なんだから、絶対仲良くしなきゃ、そんなの親不孝だ」なんて簡単に言ってしまう人には「ああ、何不自由なく幸せな家庭で育って来たんだろうな」と思ってしまい、仲良くは出来ないかも知れません。

もちろん、幸せな家庭で育った人と仲良く出来ないという訳ではなく、世の中には色んな家庭がある中、脳みそ空っぽで軽い発言してしまう人とは仲良く出来ないかも知れないということです。

親との関係といっても様々な種類があります。

まず第一に虐待が思い浮かびやすいと思います。もちろん虐待を受けて育った子が親に感謝して親孝行しようというのは出来ないものだと思います。

私は虐待を受けていた訳ではありません。お金にもほぼ不自由する事なく育てて貰いました。では、そんな私は一体何に対して不満があるのでしょう。

それは父の都合の良いように動く「物」として扱われていて、父の周りからの評判の為、評価対象、アクサセリーのような扱いをされていたからです。

父には小さい時から、将来のレールを敷かれ、自分の興味の無いことに関しては相手をしない。
家では家事は一切しない、仕事から帰ればご飯だけ食べて、自分の部屋に篭る。こんな幼少期を過ごした自分は父は存在するが血が繋がっているとは思えませんでした。

ここまでは虐待を受けていた人達からすれば何を甘えたことを言っているのかと思われるかもしれません。

私は幼少期に相手をされなかったことに対して不満があるのではありません。

私の事を一切理解しようとせず、いざ大人になったときの一言で自分の意識は確固したものとなりました。

就活の時の話です。有名な企業に内定をもらったことを報告した時におめでとうとは言われませんでした。

「公務員の道あるぞ・・・」

この一言を聞いた時に小さい頃からのモヤモヤが何か弾けた気がしました。もうこの人に何を言っても無駄、理解されない、できる限り関与しないようにしよう。

そう決心してからは実家に帰っても会話すらしませんでした。

そして前職の報告をした時にも「良い職場無かったんか?公務員、看護師はどうや」なぜ、自分の息子を応援する一言を言えないのか。自分の理解の範疇から外れるものは全てが悪。自分の親に言う事では無いのかも知れないですが、頭の悪さ、思考能力の無さに頭を抱えてしまいました。

そしてこのノートを書くにあたっての決定打が、2度目の転職先を伝えた時、「良い職場無いんか?看護師になれと」また同じ言葉が。2年前から、いやずっと昔から思考が変わって無い。自分の息子がなぜ自分のいう職に就きたがらないのか。分かるはずもないでしょう。

その仕事にはどんな魅力があって、どんなやりがいがある、自分の息子はこんな能力があってそれを活かした仕事をしている、だから生活に困るような職ではなければ応援しよう、本当に将来に不安を感じて職について考えてほしいのであれば、頭ごなしに職を否定する事は息子自身を否定さる事になる、少し考え方を変えてもらうように言い方を工夫しよう。このような考えができないのでしょう。

0か100かの判断しかできず、周りからの自分の親としての評価を上げる為に職を選ばせるそんな親に私は絶対になりたくありません。

私たちは親の子供である前に1人の人間です。

心配しているふうに見せて、自分の保身に動く事に、もはや苛立ちと気持ち悪さしか感じません。

私は父との決別を誓います。親不孝?親の為に生きているのではありません。感謝はしています。しかし感謝を人に押し付けるのは悪です。

成功やお金を稼いで見返してやろうなんて事も思っていません。父や他人の評価の為に生きるほど無駄な事は無いのだから。

自分の価値は自分で決めます。

再就職前に奮い立たせる事ができたのでまずは仕事に慣れて、私生活から充実させていきます。

不快にさせてしまった方もいるかも知れませんが応援よろしくお願いします。

自分の病気や精神面の勉強のために使わせていただきたいと思います。