青春生き残りゲーム(3)

 勉強だけできても人生は報われるわけではありません。

 中学のときは勉強できるキャラクターとして、調子に乗っていたウナギ少年は、どのくらい勉強していたのかやテストの点数を自慢することが楽しくて仕方ない程どうしようもなく自惚れていました。

 しかし、それは同時に、「凄いやつだ。」とか、「勉強のことならウナギに聞こう。」だといった自己承認欲求を満たしたい気持ちの裏返しだったわけです。なぜならば、両親から褒められた記憶がなく、怒られた記憶しかなかったためでした。ただ、母親は少年には力では敵わないと悟り、肉体言語はもう使わなくなっていました。
 尤も、少年が6年生のときに、母親に逆ギレして椅子を振り回して襲いかかった経緯があったので、身の危険を感じてそれ以降、手を出さないようになったのです。その時は、母親を椅子で殴る寸前のところで、我に帰ることができたので暴力事件にはならずに済みました。それと同時に、少年は初めて自分の二面性に気づき、異常者ではないのかと思い、酷く落胆しました。
 それでも、母親の言葉の攻撃力は高く、また、上記の仕返しをどこかで喰らいそうな気がしてビクビクしていました。

 勉強をすることによって、周りの期待に応えたい。注目されたい。称賛を受けたい。

 少年は、勉強をすることの意義や価値をそのように捉えていました。

 その一方で、勉強が苦手で成績が芳しくない人たちに対しては、内心で見下すのと同時に自分の優位性に浸りました。
 今、思い返すとつくづく下衆な考え方を持った少年でした。
 当時の僕の様子を見て、腹を立てた同級生も多かったと思います。いや、みんな小学校からの同級生なわけですから、態度には出さないだけで呆れていたのでしょう。今思えば、中学時代に僕は同級生から遊びに誘われたことがなかったのです。

 そのかわり、勉強会には一回だけ誘われたことがあります。
 会場は僕の家でした。最初の1、2時間は真面目に勉強を教えたりしていましたが、そのうち、休憩と称してゲームを始め、その後の殆どをそれに費やしました。勉強会の参加者は僕の他は成績が中の下でした。それを見ていた母からは、「お前と同じ以上のレベルの奴と付き合え。」と後に叱られました。
 その発言に、同級生を侮辱された怒りを覚えてましたが、心のどこかでその通りだと思う自分がいて、つくづく自分が嫌いになりました。



今日はこの辺にしておきたいと思います。

読んでいただきましてありがとうございました。

 

 
 

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