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青春生き残りゲーム(4)

 皆さんには、祖父母についての記憶はありますでしょうか?核家族化が進む中、祖父母と別居していたり、そもそもやむを得ない事情があって、祖父母の記憶がなかったり、そもそも、いなかったという方が多いかと思います。

 僕の実家は父親の実家でもあるので、父方の祖父母と一緒に生活していました。

 祖父は母子家庭の長男として育ちました。戦後の貧困で喘ぐウナギ家のために、中学卒業後はひとり東京に出稼ぎに行き、土方や建築の現場で働きながら、金銭管理や社交マナー、冠婚葬祭から公的文書の書き方に至るまでの処世術を身につけました。それだけでなく、書道や宗教学、考古学、自己のルーツを中心とした歴史学まで身につけた苦労人でもあり知識人でもあるのです。因みに、父の兄弟と僕を含めた3兄弟の名前も全て考えてくれたのも彼です。

 僕は大のおじいちゃんっ子で、幼少のときから小学生まで、一緒に散歩に行っては、見かけた草木の名前を訊いたり、大木の樹齢を訊いたりしました。歴史についての話もたくさん聞いて、中学生以降今に至るまで歴史談議をしたものです。近所で売っているたこ焼きや焼きそばをこっそりと買ってきて、それを食べさせてくれたことも覚えています。

 一方で祖母は、何不自由なく育てられた農家の末娘でした。女学校で編み物を覚えて、編み物教室を3つかけ持った職人でした。孫煩悩で、僕のワガママや母親に対する愚痴をたくさん聞いてくれて、親に内緒でお小遣いをくれるおばあちゃんでした。



 しかし、祖母は、僕が中学のときに認知症となってしまい、僕を含めた家族を振り回すようになってしまったのです。

 母と毎日いさかいを起こし、罵声が飛び交いました。母親も常時機嫌が悪い人でしたが、更に悪くなり、祖母の悪口を絶えず吐き、祖母も根底にあったワガママな性格がどんどん酷くなっていきました。

 僕は耐えられなくなって、柱や襖を蹴り飛ばしたり、家に帰ればまず部屋に閉じこもるようになりました。愚痴を溢す奴は嫌い。家を建てた店を大きくしたのは私のおかげだと尊大な態度を取る老害は嫌だ。

 家にいることが、元からではありますが、ますます嫌になりました。小学生までの頃よりも殺伐とした環境になったのです。

 

 家でのウナギ少年の居場所は、最早、おじいちゃんの隣と六畳一間の自分の部屋だけでした。




今日はこの辺まで...

読んでいただきありがとうございました。


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