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小林緑から学んだ一つのこと

 私の大好きな作家の一人に村上春樹がいて、彼が書いた「ノルウェイの森」は私が最も好きな作品のうちの一つだ。いつかノルウェイの森の好きなところを文章にしてみたいとも思っている(既に色々な人が色々な思いを書いているだろうけど)。そしてこのノルウェイの森に出てくる人物の中でも最も好きなのが小林緑という女の子だ。彼女は主人公のワタナベと同じ大学に通っている小林書店の次女で、マルボロを吸い、灰皿にぐりぐりと押しつけてその煙を消す。彼女の魅力的な所はもっとたくさんあって、そしてもちろんたくさんの素敵な台詞も持ち合わせているのだけれど、なぜだか自分でもわからないが最も心に残っている台詞がある。

"ねえ、お金持であることの最大の利点ってなんだと思う?(中略)お金がないって言えることなのよ。(中略)私がもし「いまお金がない」って言ったら、それは本当にお金がないっていうことなんだもの。惨めなだけよ。"

 緑はいわゆるハイソな女子高出身で、周りには運転手付きの送迎車で登下校している子や、ひとまわりするのに十五分もかかるような庭をもつ家の娘がいた。そんな緑の友達が何か都合の悪い誘いを受けたときに使う断り文句が「お金がない」というもので、そして緑によれば「本当にお金がない人は惨めなだけだからお金がないからなんて言えない」。この情景がなぜだか私にははっきりと浮かんできて、そして今でも残っている。しかし考えてみれば、同じような場面に我々も遭遇していることに気づかずにはいられない。

 例えば可愛く(かっこよく)なければ「可愛く(かっこよく)ないから」とは言えないし、頭が良くなければ「頭が悪いから」とは言えない。ある程度料理ができなければ「料理が下手くそだ」とは言えないし、早稲田大学でなければ「二流の大学」とは言えない。ここで難しいのは、この謙遜ともいえる行為は時に嫌味になりやすいということで、私が村上作品の登場人物にかっこよさを感じる一つの理由はその嫌味を感じさせない部分なのだ。特に大学の例がまさにそうで、早稲田大学に通うワタナベ(村上春樹が早稲田大学卒ということや、他のいくつかの記述からワタナベが通う大学も早稲田だと思われる)が、「二流の私大」と言ったとき、何故だか嫌味を感じないのだ。これは断言できるが、同じ台詞を私が言えば確実に嫌味になるだろうし、あなたが言った場合も結構な確率で嫌味になるだろう。ところがワタナベが言うとそうはならないのだ。それどころかむしろ謙虚ささえ感じてしまう。

 現実的に使うにはいささか難しさを孕んでいるとはいえ、チャーミングな小林緑の経験からとにかく我々は一つのことを学んだ。そして我々は「〜でないから」と口にする時、緑のことを思い出さずにはいられない。

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