見出し画像

Brocante 蚤の市 à Toulouse

 一息つける土曜日がやってきた。突然木曜日の夜に体調を崩し、金曜日、「Homo Sapience」を夜に観劇した以外は、ほとんど臥せっていた。先週の気温は最高3度ほどだったのに、今週は最高10度、最低3度ほどで、すっかり暖かくなったのはいいものの、その急激な温度変化に体が参ってしまったのかもしれない。昨日今日とぐっすり寝て、起きたのは昼の11時。急にクロワッサンがどうしても食べたくなり、大学の向かいのパン屋に買いに行く。

盛りだくさんのブランチ。お皿はフィンランドで買ったアラビアのヴィンテージ。

 この前メキシコに帰ってしまう留学仲間の一人を見送りに行ったのだが、そこで飲んだネスプレッソのカプチーノが冬の朝、寝ぼけている胃にゆっくり降りていき、とてもおいしかったのを覚えてから、コーヒーにミルクを入れてもいいもんだと好みを変えてしまった。それまでは断固としたブラック派だった。今日もお湯:牛乳、1:1の割合のホットミルクに溶かすインスタントコーヒーを降り注ぎ、簡易カフェオレ。ブランチとして、マッシュルームのスクランブルエッグ、野菜、作り置きのポテサラ。このポテトサラダはこの前日本食パーティーをしたときに作ったもので、好評だった。紫玉ねぎoignons rougesが5つで0.99€と冬になってから安いので、これで作ってみると、見た目も華やかでかわいい。私は甘めなポテサラが好きなので、はちみつを加えて食べる。ここにクルミがあれば最高なのだが。

 さて、brocante。これはフランスの蚤の市を指しており、土日によく開催される。場所によって毎週土曜なのか日曜なのか月初めの土曜日だけなのか、などが変わってくる。どの場所でいつやっているかは「brocante 都市名」で調べれば大体出てくるのでぜひ調べてみてほしい。

Brocant à All.Forain-Francois Verdier

 普段は道路にはさまれた歩行者用の広い道になっている場所で、Brocanteが開かれていた。お店は簡単なテントを張って、その下に自由に品を並べている感じ。

幸せの青い鳥(勝手に命名)。

 お皿に目がないので、すぐどれもこれも買いたくなってしまう。これは75€。指でその気泡をなぞることができる。
 気泡といえば、最近読んだ「火山噴火ー予知と減災を考える」(鎌田浩毅)で、軽石の生成の仕組みが載っていた。マグマがゆっくりと上がっていく過程でマグマに溶けていた水のイオンが圧力の低下に伴い気体の水蒸気に代わる。マグマが地表に近づくと、マグマは一気にその水蒸気によりブクブクと泡立つち、そしてそのマグマがはじけて冷えて固まったものが軽石である、と。
 ところどころ窪んだ石や焼き物、作品は昔から心をつかんで離さない。それは、その形が大地を感じさせるからかもしれない。

 話は飛ぶが、2020年の夏、代官山で開かれた「ブレイク前夜 in 代官山ヒルサイドテラス 時代を突っ走れ!」に訪れた時に出会った、陶芸家、坂倉正紘さんの「壁(へき)」を思い出した。坂倉さんは、萩焼の手法を使いながら自らの作品を生み出している。

土というものは不思議だ。どこにでも存在するものでありながら、その個性は千差万別。坂倉正紘は、それぞれの土の扱い方や焼き方の一つひとつに日々誠実に向き合い、独自の表情を追求し続けている。彼の作品に触れると、陶芸の地が育んだ豊かな自然の息遣いが、直に伝わってくるようである。

KOGEI STANDARD 「坂倉正紘」より

 この作品を見た時、鎌倉山の様々な年代を重ねてできた、色鮮やかな断層の持つ、土のにおいと時間の流れと同じものを感じた。大地に通じる、その土の確かさ。


壁(へき)。


 

 手で触れてそれとわかる大地から育った土の形を宿すものを、そばにおいておきたくて仕方がない。学生の1万円。美しいものと暮らしたいがために、稼ぎに稼ぎたい貧乏学生ここにあり…。


アールデコの銀メタルポット。

 と、自然賛美をしつつアールデコにも目移りする。そのフォルムの可愛さが目を引く。アメリカで流行したその商業的でスタイリッシュなフォルムに心惹かれるのは、大量生産、大量消費ができ、発展する「未来」を彷彿させながら、そこに自然を感じさせないその孤独さが、たまに一人で部屋にうずくまりたい、すべてを遮断して無機質になりたいときの孤独に似ていて、かなしく、手入れをしてあげたくなるからか。
 それは、都市生活の孤独を描いたエドワード・ホークスの絵画に魅せられるのと同じ理由からかもしれない。

スコフィールドはホッパー絵画全般を貫くテーマとして「孤独」、「コミュニケーションの欠落」、「社会からの疎外」を挙げており、これらはそのまま『ナイトホークス』にもあてはまる。光を放つレストランは闇夜に浮かび上がり、中にいる人々の疎外を暗示している。帰属する共同体を持たない、根無しの孤独な人たち。前述した通り、ホッパー自身もこの作品で「無意識に、おそらく、大都会の孤独を描いたのだと思う」と言い、実際多くの人が『ナイトホークス』に疎外と孤独を読んできた。

小笠原 亜衣(2017) 近代の闇を照らす白い光 : エドワード・ホッパー『ナイトホークス』と
アーネスト・ヘミングウェイ「殺し屋」「清潔で明るい場所」
どこが灯るのかわからないライト。

 卓上ライトが無くて夜読書をするのに不便を感じているので、ライトが欲しいなあと歩いていた時に見つけたもの。確か120€とか。竹とその上に乗る球体を合わせると、柱頭の変化形に見えなくもない、そのいびつさが面白くて写真を撮った。これはいったいどこに電球があるのか、上の白い部分は何なのか、まったく謎である。

 ほかにもいろんな出品物があった。リネン地の素朴ですっきりしたワンピース、買おうかなと迷ったり、日本人とみるやリモージュの陶器があると紹介してきたり、Brocanteは飽きませんなあ。

                        04/02/2023


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?