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ラフラ〈賭事師〉のアズノについて考える

こんにちは。宇宮7号といいます。

絵を描いたり世界史の動画を作ったりしている人間です。上橋菜穂子ファンです。


私は上橋菜穂子(敬称略)が書く世界や人間は総じて好きなのですが、誰が印象に残ってますかと言われると間違いなくラフラ〈賭事師〉アズノという老女をあげます。同じ人は多いと思います(偏見)。

番外短編での一回きりの登場(存在は本編にて示唆)にも関わらず、その立場の頼りなさを象徴するような選択によって多くの人間を哀愁の波に突き落とし、圧倒的な読後感を植え付け、強烈な印象を残した女ですから。

短編の最後のシーン、深々とお辞儀をして会場から立ち去るアズノの小さな姿が、ものすごく記憶にこびりついています。まるで映像で見たように。

50年続けた勝負を、望まぬ形で終わらせるしか無かったアズノの無念というのか諦念というのか、そういう言語化できない感情が、飾らない描写の中に巧みに組み込まれていて、人生の重みを感じるわけです。アズノは特にそういう描き方をされてる気がします。
そりゃあ印象にも残ります。

ただ、その最後の勝負の行動の意味がよくわからなかったという人も多いようです。
言語化されていないからですかね。

まあ、感情と衝撃は言語化されないところに存在するので、わからないことがかえって人生を偲ばせるアクセントになっているんじゃないかと思います。

よって私が今から行うこと(アズノの人生や行動を言語化する)は、無粋にも程がある行為なのでしょうが、

最初に読んだ時、あまりにも愚かで作中の出来事をうまく理解できなかった幼い私のために、大人になった今の私が、アズノという老女が何を思いどんな選択をしたか整理したいわけです。
同じような方はぜひお付き合いください。

あらすじと論点

読んだ上で疑問を持っている人向けに書いていますが、未読者や忘れてしまった方向けに、簡単なあらすじを書きます。

登場人物
バルサ:主人公。当時13-15ほどか。
ジグロ:バルサの養父。

アズノ:ラフラの老女。70ほど。
ターカヌ:地方の有力者(氏族長の重臣)。
サローム:その孫。

基本用語
ススット:サイコロを使ったボードゲーム。領地を争う模擬戦。
ラフラ〈賭事師〉:酒場の賭けススットで、勝負を操る専業の賭事師

あらすじ
・バルサは、酒場でラフラ〈賭事師〉のアズノと知り合う。
アズノは珍しい戦い方をするラフラだった。
領地を争うススットにおいて、領地を取らずに金を集めるのである。

・アズノは地方の有力者ターカヌと50年も勝負を続けている。この勝負では、アズノは普段と違って領地を争っている

・ターカヌの館で勝負の続きが行われる。
勝負はターカヌとその孫サローム、そしてアズノの3人で行われる。見学者はバルサのみ。武人のような気持ちのよい勝負である。

・ターカヌは、最後の勝負を明後日、公開かつ金をかけて行おうと提案する。

・アズノは勝負を受け入れるが、非常に浮かない顔をしている。酒場に戻ると、酒場の主人と何やら話し込んでいる。

・バルサは、養父ジグロから、ラフラの事情を知らされる。
ラフラは賭博場の金で勝負をし、増やすのが仕事。稼いだ金は賭博場のものになるし、一度でも大負けすれば引退後の保証もないという。

・明後日の勝負でアズノは、普段酒場でやっているような、領地を争わない(けれど金は稼げる)勝負をする。アズノはターカヌと目を合わせない。

・名勝負と呼ばれる激しい戦いの末、アズノは負ける。万雷の拍手の中、アズノは去る。



以上。あらすじだけでも長い…。
重要なポイントが多くて削りづらいのです。

詳細は後ほど確認するとして
論点というか疑問点を先に挙げておきます。

疑問点
・アズノはなぜ、50年続けたターカヌとの勝負を、最後の最後に台無しにするような戦いをしたのか

・事情があるのだとしたら、なぜターカヌに事情を説明しないのか


特に後者です。前者はよく読めば十分推察できます。けれど後者は、想像で補うべき点が多い。

後者については、いくつかの仮説を立てて考える形になりそうです。


なぜ50年続けた勝負を台無しにしたのか

まずは、なぜ戦い方を変えたのか、確認していきます。
勝負の特徴、ラフラの事情、アズノの戦い方を確認し、情報をまとめます。

最終日の勝負の特徴

最終日は「金を賭けて」「公開で」行う勝負である。

(逆に言えば、それまでは非公開でひっそりと、金を賭けずに行なっていたと言うことである。)

対戦は、アズノとサロームの1対1である。
(長い勝負では、相手が増えたり減ったりしながら進むことは少なくない。サロームは前日の勝負から加わり、ターカヌが退場したのだと考えられる)

最終日、ターカヌが「公開/賭け金あり」と提案したのは、理由がある

・こんな名勝負を多くの人に見せてあげたい
・アズノに、勝負に勝って名声と報酬(賭け金)を得て欲しい
・孫サロームに敗北を経験させてやりたい

ターカヌは病を患っており、おそらく最後の勝負になるだろうと考えている。そこで、50年続けた勝負の良い終わり方を考え、提案したのである。

さらに、有能な孫をさらに伸ばすために、アズノと一対一の勝負をさせ、敗北させたかったというのも大きい。直々に「勝ってくれ」とお願いしている

そう
ターカヌは、善意でこの提案をしているのだ。

ただし、彼はラフラの事情を知らない
それ故、この提案がアズノにとって非常に困ったものになることを想像できなかったのである。

ラフラ〈賭事師〉の事情

ラフラの事情は、どうやら公にはされていない。ターカヌは武人ゆえに、民の酒場の事情に疎いが、例えそうでなくても、こうした事情は知り得なかったかもしれない。

バルサは、以前ラフラと酒を飲んだ時に聞いたというジグロから、事情を教えられる。

①賭け金について
・ラフラは賭博場の金で勝負をする
・その金を増やす事、長期的に利益を出す事が仕事である。
賭博で稼いだ金はラフラのものにはならない
・酒場を隆盛させた報酬のみラフラの金である。


②生活の保証について
・ラフラは、賭博場の持ち主やその元締めの持ち物である
・ラフラは、賭博場に大きく貢献すれば、引退後も面倒を見てもらえる
・ただし一度でも大負けし評判を落とせば、その価値もなくなる(引退後の保証はない)

→ここから以下のことがわかる。
金を賭けて勝負を行う場合、ラフラは賭博場の金を失わないよう、大負けしない戦いをせねばならないのである。


それから、これは公のことではあるが、
ラフラが卑しい職業とされていることは押さえておきたい。

例えば、アズノとターカヌは旧知の間柄である故に、互いを思いやりながら関わっているが、そこには厳然たる身分の差が横たわっている。

この身分差は、孫サロームの態度にも現れている。勝負後こそ賞賛の眼差しを向けていたものの、初めて言葉を交わす際、サロームは不快げな顔を隠しきれずにいたのである。


こうした事情を抱えたラフラだが、それまでは私的な付き合いとして関係が続いていたのだろう。

サロームは、アズノの事情を知らず、アズノを“ラフラとして戦わせる”提案をしてしまったのだ。

アズノの戦い方

ラフラとしてのアズノの戦い方は、非常に独特であることを確認したい。

①領地を争わない戦法はアズノだけの独特なもの
これは、ラフラを見慣れているバルサが、アズノの戦法に驚いたことからうかがえる。

本来ススットは模擬戦である。
領地を争う戦いであり、決着も「誰かが大半の領地を取ったとき」と決まっている。
領地を手に入れれば、当然金も入ってくるため、金をかけた勝負でも、やはり領地を増やすのが基本なのだ。
よって戦士駒や領主駒、奥方駒で領地を広げるような戦いが一般的なのである。

しかしアズノは、王道の戦いをしない。
隊商駒や旅芸人駒、暗殺者駒を使い、一度得た領地や良い条件を売ることで、金を稼ぐのである。



②ターカヌとの勝負の時のみ領地戦を行う
ターカヌとアズノの勝負を見学したバルサは、その勝負を「爽快で激しい勝負」と評している。

ここでは、アズノは珍しく領地を争っている。
「思いきりのよい攻撃」
「まるで守りを考えぬ、攻める技の連続」
と描写される。

非公式/賭け金無/長期戦/武人相手という諸要素が、歴史物語のような潔く重厚な戦いをさせたのだと、考えられる。



③アズノは最終戦では、領地を争わない戦法をとった。

最終戦の特徴は、公開・賭け金有である事だ。
武人であるターカヌと長年続けた勝負であっても、金をかけて行う以上、ラフラとして戦わねばならなかったのだろう。



ただし、ここは厳密に考察したいところなのだが、
アズノが最終日の戦いで王道でない勝負をしたのは、彼女自身の選択であることを押さえておきたい。別にラフラとして戦うからといって領地を争えないというルールはない。最終戦で“領地戦をしたうえで勝つ”こともできたかもしれないが、あえてしなかったのである。

つまり、「ラフラとして戦うから切り替えた」という程度の問題ではないのだ。ラフラとして戦う以上、戦法を変えねばまずい事情があったから、アズノは勝負の仕方を変えたのだ。

最終日に戦い方を変えた理由

ここまでの情報整理で、ある程度は予想がつくだろう。

・観客のある勝負なので、アズノの評価に関わる
→無観客であれば、私的な賭け事として内々に済ませられたかもしれないが、観客がいるので「ラフラのアズノ」として勝負に挑まねばならない。

・賭博場の金を使った勝負で危険は冒せない
→「ラフラのアズノ」として戦うなら、賭博場の金を使って戦わねばならない。その金を危険に晒すような、思いきりのよい勝負はできない。

・サロームはかなり手強い相手である
相手が弱ければ、それでも従来の方法で危なげなく戦えたかもしれない。しかしサロームは「驚くほど頭の切れる勝負師」であった。アズノであっても、守りを考えながら安全には戦えないだろう。

・有力者を相手に多くの観客の前で行う以上、名勝負を行わねばならない
→この勝負は、場末で行われる勝負とは訳が違う。明らかに語り継がれることになるだろう。語られるに足る勝負をせねばならない。


こうした事情であるからこそ、アズノは勝負の仕方を変えたのだ。
アズノは強い。従来の戦い方でも、なんとか勝てたかもしれない。しかし、危険は冒せなかった。だから、普段のラフラとしての「大負けしない」勝負をしたのだろう。


とまあ、ここまではきちんと読めば理解できる範囲ではある。(幼い頃の私はわかっていなかったが)
問題はここからである。


なぜ自分の事情を話さなかったのか

ここでいちばんの疑問が生じる。
ターカヌから金を賭けての公開勝負を持ちかけられた時、アズノは戸惑いながらも受け入れている。

賤しい身分のラフラが、領主の提案を断れないというのはわかる。

しかし、なぜここで、自分の事情を説明しなかったのだろうか


ターカヌは話の通じぬ男ではない。
無知故の親切心で、この提案をしている。

それならば「それをすると貴方の望むススットはできなくなるだろう」と伝えれば、わかってもらえるのではないか?

2人は、身分差はあれど長年勝負を通して信頼を重ねてきたのだ。彼の気持ちを汲むなら、説明してあげればいい。


それをしなかったのは
「できなかった」と考えるべきだろう。


ここから先は作中では明言されていないことであるので、いくつかの仮説を立ててみる。

ラフラには、明文化されていない、言葉にしづらい禁忌がたくさんあるのではないか。

例えば、

説① ターカヌとのススットは実は規約違反
本当は彼とやっていたススットは規律ギリギリだったのかもしれない。ラフラに推奨されない勝負の仕方をしていて、今更「本当はこういう勝負は人に見せたら問題になるのです」とは言えなかったのかも

説② ラフラの仕事は実は法律違反
あるいは逆かもしれない。ラフラが賭博の元締めの預かりとして酒場の金で稼ぐという酷く一般的なシステムの中に、実は行政に黙認されている項目があり、「我々の仕事はこういうものです」と他ならぬ氏族長の重臣に説明するのが憚られるのかもしれない。

説③ラフラが武人一族に勝ってはいけない
模擬戦とはいえ、大衆の前で一介のラフラが軍事で勝つのは憚られるのかもしれない。旅芸人/隊商/暗殺者などの駒を使うのは身分を弁えての動きなのかも。こういう禁忌は「ないと言えばないし、あると言えばある」曖昧なものなので、ターカヌを説得するほどの信憑性はなかったのかもしれない。

説④戦い方にアズノの個人的な誓約がある
アズノはラフラとして勝負を行う際には絶対にあの戦い方をすると決めているのかもしれない。師の教えだとかこれまでの教訓とか、個人的な掟があるのかも。しかし言っても理解されず、信条を曲げて戦うよう頼まれるだけだろう。ならばと沈黙を選ぶかもしれない。



等々……。

個人的な妄想としては、②や④などが気に入っている。説明しても理解されないことや、説明することが許されない事情を抱えて生きる、というのは、世の常であるから。
信憑性という点で考えると③が有力だと思う。
順に説明する。


あくまで想像の域を出ない推測ではあるが…。
②ラフラの仕事が行政に黙認されている可能性は、なくはない。
どうやら賭博界隈には、周辺一帯の賭博場を仕切っている元締めとされる人物がおり、ラフラはその“預かり”つまり持ち物とされる。本文中でも、その元締めの名前を出すと、ごろつきが息を飲み、手を引くという描写がある。
そうした裏のボスが仕切る賭博業界は、氏族の治める表の業界とは別のルールで動いているというのは、いかにもありそうなことである。

またこちらも想像の域を出ないが
アズノが個人的な誓約で戦い方を制限している可能性もなくはない。アズノは12歳で両親を亡くし、ラフラだった伯父に引き取られ、16でその伯父も亡くしている(バルサと境遇は似ている)。戦い方やラフラとしての生き方は、伯父に教わったところも多いだろう。
バルサがジグロとの逃亡生活を経て「ジグロの殺した8人の追手のぶん、8人の命を救う」と決めたように、アズノも伯父との関わりを通し、ある種の誓いや掟に近いものを自身に定めているというのも、やはりあり得ることである。
こうした個人的な誓いは、大概の場合、他人には理解されない。沈黙を選んでもおかしくはない。


以上はあくまで推測…というより妄想レベルであるから、深掘りはしない。
最もあり得そうなのは③だ。

③「ラフラが武人に勝ってはいけない」という暗黙の事情である。


勝負が終わった後、
・サロームの元には領地
・アズノの元には銀貨
が残っていたと書かれているが。
これはまさに、彼らの本分をあらわしている。

領地を守る武人と、金を稼ぐラフラ

たかがススット。されど公開の場でラフラが武人の真似事をして、負かしてしまうのは体面が悪すぎるのではないか。

特に孫サロームは、昨日初めて勝負に参加したのだ。祖父のように、アズノとの長年の信頼関係など持ち得ない。
ラフラという下賤な職業に対する侮蔑の感情を隠せずにいる描写も見られる。

ターカヌは老い先短い。サロームは、そんなターカヌが最も有望視している後継である。
そんな彼に大衆の目の前で勝ってしまうことが、今後この地域で生きるアズノにどんな不利益をもたらすかは想像に難くない。


一方で「孫サロームに敗北を経験させたい」「名誉と報酬を受け取ってくれ」というターカヌの願いを、無碍にもできなかったはず。アズノはその頼みもきちんと果たしている。

サロームが領土を得るたびにアズノに金を支払わねばならぬよう手を打ち、領土を譲る代わりに金を集めていった。勝負としてはサロームの勝ちだ。けれどサロームはきっと、勝った気がしなかったに違いない。そしてアズノの手元には銀貨、周りは万雷の拍手。


孫の敗北も、名誉も報酬も、全て達成している
のである。見事としか言いようがない。(その銀貨は何一つ彼女のものにならないのだが、領主はそれを知らないし…)


先にあげた4つの説の中では、これがもっとも地に足がついた、可能性の高い話と思う。
身分差は、明文化されないが故に、上の立場からは分かりにくいものなのだ。もし伝えても「そんなことは気にしなくても良い」とだけ言われて終わってしまう可能性が高い。だからこそ、アズノはターカヌに一言も言わず、彼との信頼を裏切ってああした勝負を選択し、せめてもの善処として、彼の望みをすべて叶えたのではないか。

…もちろんこれも、推測の域を出ないが。


まとめ

以上、アズノについて私が疑問に思っていたことを、今更ながら確認しました。

アズノが最後に戦法を変えた理由
・公開かつ賭け有りの勝負では、「ラフラのアズノとして」安全な名勝負を行わねばならなかったため

アズノが事情を説明しなかった理由(推測)
・明文化されない身分差や理解されにくい事情が存在したのではないか(例:武人に勝つべきでない)


これで、幼い私への、ある程度の説明にはなったことでしょう。

“十五の我に見えなかった弓や矢のゆがみ”を大人になって言語化した訳です。

『流れ行く者』に収録されている作品は、いずれも「ラフラ〈賭事師〉」をきっかけに生まれたのだそうです。

定住者とは違う生き方をせざるを得ない流れ者の、不安定な人生や、世界とどこか隔たった関わり方を、哀愁と共に描いているものばかりです。


特にアズノの物語は、静かに染み込んでくるような、強い求心力があります。
それは、事情の全貌がわからないが故の奥行きと、盤上の勝負に投影される人生を、ほのかに感じ取れるためなのかもしれません。

アズノはラフラとして勝負する時、隊商や旅芸人などの流浪者の駒を使っています。彼女自身が流れ行く者であることを、よく表しているのでしょう。



未読の方や、読み返したい方向けに、原作のリンクを貼っておきます。読み手によって様々な解釈ができると思いますので、ぜひ、改めてご自身の目で楽しんでみてください。



見ていただきありがとうございました。
宇宮7号

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