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バルサとタンダの関係について全編まとめ

こんにちは。宇宮7号と言います。
普段は絵を描いたり世界史の解説動画を作ったりしています。上橋菜穂子ファンです。


守り人シリーズのaudible化によって、シリーズ全体を読み返し/聴き直しする機会が増えたのですが、
読めば読むほど、バルサとタンダの関係に
「なにこの二人……なに……?」
と打ち震えるばかりなので、ちょっと細かくまとめてみようと思います。


作者はこの二人の“つれあい”関係を描くにあたって、対象年齢である子どもにはわかりにくく大人にはわかるように書いたといいます。(天と地の守り人第三部 創作こぼれ話より)

確かに、幼少期の私は、バルサとタンダを恋愛的な関係とはみなしていませんでした。
長らく「二人はそういう関係じゃない。非常に親しい幼馴染だが、恋だの愛だのとは無関係なのだ」などと思っていたのですが、最終巻前後には「唇を重ねる」や「夫」などの直接的な表現が使われていますので、そのあたりで漸く「私は何か重大な勘違いをしていたのではないか……?」と気づいたわけです。

そういう意味では作者の意図した仕掛けはきわめて正確に機能していると言えるでしょう。

でも正直ファンとしては悔しい。なぜ幼い自分はこの二人の関係を読み違えてしまったのか、実際にはどう描かれているのか、きちんと検証したい。その動機から、この記事は生まれています。

「恋愛脳的記事」にはしたくないのですが、しかし二人の関係のみを切り取る以上そういう視点が多くなってしまうことをご容赦ください。「この行動にはもっと深い訳があるんだよ(怒)」「こっちの視点からも見られるんだが(涙)」と自ら葛藤しながら語っています。割愛・捨象をお許しください。
そして言うまでもなくあくまで一読者の妄言であることを肝に銘じて話しています。勝手な解釈をお許しください。



・基本的には刊行順に記載します。
・タイトルを記述する際は「の守り人」「の旅人」部分を省略することがあります。
・全体的に、考察したり、表現に感嘆のため息をついたり、名シーンに天を仰いだりしています。

お付き合いください。というか共に楽しみましょう。


名場面で見るバルサとタンダ

各巻ごとに、二人の関係を象徴するシーンを引用していく。そして考察したり騒いだりする。
ネタバレ注意。


『精霊の守り人』

「なぜ、バルサを娶らぬのじゃ? これほど仲がよいのに。」

第二章4 ヤクーの言い伝え:チャグムの台詞

「おれが、その薬だと思えないなら、待っててもしかたがないってことだよな。」

第三章3 変化のはじまり:タンダの台詞



精霊の守り人』は、女用心棒のバルサが、精霊の卵を宿してしまった新ヨゴ皇国の第二皇子チャグムの命を預かり、守る物語である。

追手を追い返す際に大怪我をしてしまったバルサは、薬草師のタンダを頼る。ここで、二人が幼馴染であること、彼がバルサの傷を何度も治してきたことが語られる。

二人の様子を見たチャグムがタンダに尋ねたのが、冒頭で引用した台詞である。

「なぜ、バルサを娶らぬのじゃ? これほど仲がよいのに。」
 タンダは、ゆっくりとチャグムをふりかえった。
「そういうことを、聞くな。……聞くもんじゃないんだ。」
「だが。」
「聞かないでくれ。とくに、バルサがいる前では、ぜったい聞くなよ。たのむから。」

第二章4 ヤクーの言い伝え:チャグムとタンダの会話

続けてタンダは「バルサには心に決めたことがある。それがおわるまでけっして人の妻にはならないだろう」と答えている。
(注:心に決めたこととは、8人の命を救うことである。養父が自分と逃げるために殺した追手の数だけ、バルサは人の命を救う誓いをたてているのだ)

ここ、本当に上手いなと思う。「自分はバルサを妻にしたいが……」とは言っていない。よって、語られぬ事を察せない年齢層の読者には理解できない
しかしある程度の読解力を持つと、ああタンダの方はそれを望んでいるのだ、と読める。

また、ここは謎に包まれているバルサの過去が少し明らかになるシーンでもある。よって初見の読者にも気付かれづらい。バルサの人生のほうに意識を割かれて、タンダの想いまで気が回らないのだ。

しかしタンダに注目するとよくわかる。「なぜ娶らないのか」という質問に「相手が〜〜だから」と答えるということは、自分のほうには娶らぬ理由がないと言っているようなものなのだ。

これ、確かに小学生には読み取れないよ……。(少なくとも小学生時代の私には…)

そもそも、二人ははなから「娶る」とか「娶られる」とかいう世間一般の普通の中では生きていない。田畑を耕し縁談をして子孫を残して…という農民の当たり前から外れたタンダにとっても、故郷を持たず己の腕のみで流浪するバルサにとっても、婚姻は決して義務でないし、典型的な夫婦の枠組みは存在しない。
だからタンダが望むのは、バルサと共に(腰を落ち着けて)暮らすことだけである。

けれど、どうだろう。外からの圧力がない環境で、人は容易に結婚を選べるだろうか。この感覚は刊行当時(1996年)より今の時代(2024年)の方が受け入れられやすいかもしれないが、家や財を残すだとか、農作業の人手がどうとか、人は結婚するものだとか、そういう当たり前が失われたとき、それでもこの相手と添い遂げようと決意するには、結構な覚悟がいるものではないか。

単に互いを思い合っているだけでは成立しない、様々な事情があろう。婚姻という形式をとるか否かは問題にならない。ただ共に生きるのにすら、内発的な動機が必要になるのだ。

これは確かに子供には理解し難いだろう。
子供時分の私には、このくだりを読んで「結婚するような関係にはないんだな」という理解だけが残った気がする。
様々な経験を積んで、誰かと生きることの意味を考えられるようになって初めて、この重みがわかるのかもしれない。


その後バルサとチャグムは、タンダ(とその師トロガイ)の住居で冬を越し、精霊の卵が孵る夏至まで、共に過ごすことになる。

狩穴で冬ごもりをしているとき、タンダはバルサに、この件が終わったらチャグムと三人で暮らさないかと提案する。

精霊の卵を宿したチャグムは、どうせ行くあてがない。帝が考えを改めない限り、宮へ戻ることはできないだろう。
だったらこの冬のように、チャグムを育てて生きていかないかと、そういうことなのだ。

この会話はとっても重大だと思う。全編通してもかなり重要な会話だと思ってる。ここです。みなさん。ここから二人は始まるのです。引用するので浴びてください。

「おれは、ずっと待ってたんだ。知ってるよな。おれは、おまえが誓いを果たすまで待とうと思ってた。」
 タンダの目に、ふっと、怒りとも哀しみともつかぬ色が浮かんだ。
「でも待っていても、おまえは、ずっと、もどってはこないんじゃないかな。修羅場が、人生になっちまってるんだよな、おまえ。いつのまにか、戦いのために、戦うようになっちまったんだな。」
(中略)
「……どうしたらいいんだろうな。」
 バルサは苦笑した。
「あんた、いい薬をもってるかい?」
 タンダの口もとにさびしげな笑みが浮かんだ。首をふって、
「おれが、その薬だと思えないなら、待っててもしかたがないってことだよな。」
とだけいうと、立ちあがって外へ出ていってしまった。

第三章3 変化のはじまり:バルサとタンダの会話

なにこれ……。なにこれ……。
薬草師に「いい薬をもってるかい」と聞き、薬草師が「おれがその薬だと思えないなら」と返す、この美しさよ。
短い会話に、二人の日常と人生が全部詰まってて質量が大きすぎる。作者のセンス何…?

タンダの目に浮かぶ「怒りとも悲しみともつかぬ色」に、ただの惚れた腫れたでない重苦しい二人の有様が垣間見える気がする。
タンダはバルサの生き様や、そうあらねばならなかった運命に怒りがあるのだろう。彼は共感性の高い男だ。幼い頃からバルサの怪我を、まるで自分の方が怪我しているかの如く痛そうに見守っていたりする。

チャグム相手の説明では「八人の命を救う誓い」なんてものを理由にあげたけれど、もはやその誓いが何の意味もないことを、タンダはおそらく知っている。一人を救うために他の誰かの怨みを買って、救っては傷つけ、勘定も追いつかなくなって、今はただ生きているだけ。「これで8人目だ、これからは一緒に暮らそう」なんてときは一生来ない。そんな区切りをつけようにもつけられない状態を延々続けた果ての今なのだろう。

バルサは表面こそ「いい薬をもってるかい?」なんてはぐらかしているが、実際のところは
(いま、こんなことで悩ませるんじゃないよ)
と内心悪態をついている。バルサにとっても目の前の事案遂行に悪影響を及ぼす程度には重大な提案なのだとわかる。

この会話は『夢の守り人』まで…いや最後の『天と地の守り人』まで繋がる大きなターニングポイントだと思う。
結局このシリーズって、「三十の女用心棒が幼馴染の薬草師と添い遂げる道を選ぶまでの六年間を描いた物語」なんじゃないかと思う。恋愛脳すぎだろうか…?いやでも改めてバルサの物語として見ると、結局そうなんだよ……。

そしてこの狩穴での会話は、この長い六年を始めるための、最後の鍵なのだ。
区切りをつけられないバルサが変わるためのきっかけの一つなのだ。

夏至を迎え、精霊の卵を孵して何もかもが終わった後、チャグムの元に宮から使いがやってくる。兄の皇太子が亡くなり、帝はチャグムを皇太子に指名したのだという。彼は最終的に、自らこの運命を受け入れ、宮に戻ることを選ぶ。

タンダが提案したように、三人で暮らす、という話は結果的に実現不可能になった。けれど彼の提案は、その後のバルサの行動を変える。

彼女は、故郷であるカンバル王国を訪ねることを決めるのだ。

「すこし、時間がほしいんだよ。」
 バルサは、言葉をさがしながら、いった。
「考える時間が、ほしいんだ。ずっと避けてたけど、一度カンバルにもどって、ジグロの親戚や友だちに会って、ジグロがなにに巻きこまれ、どんな一生を送ったのかを伝えたいし。」

終章 雨の中を……:バルサの台詞

ここ、実は「何を」考える時間がほしいのか、一言も言っていないので、地味に読解力がいる箇所である。
シンプルに読めば「人生を考える時間かな…」となるだろうか。それは正しい、バルサは人生を考えようとしている。自分の幼い頃、若い頃、養父ジグロとの旅を振り返って、人生を見つめ直そうとしている。
けれどそれは何がきっかけなのかというと、チャグムとの関わりであり、3人で暮らした冬であり、そしてタンダの言葉なのだ。

今ならわかる。これは狩穴での会話の続きなのだ。他ならぬタンダに「考える時間が欲しい」と伝えるのは、そういうことなのだ。だってこれ「あんたの提案について考える時間をくれ」とも読めるじゃないか……。
いや、それは分からんよ児童には……。大抵の児童書では「あの時の話だけど」みたいな前置きをして会話を始めるんだよ……。小学校の国語は普通、棒線部の前後に答えがある問題ばっかりなんだから……。

何にせよバルサは、タンダの「一緒に暮らさないか」を前提として、人生を見つめ直そうと考えた。そうして、養父を弔いに旅立つのだ。


『闇の守り人』

(……わたしは、どうも医術師に縁があるらしいなぁ。)

第一章5 陰謀の素顔:バルサの心の中の台詞

(しかたがない。──呪術師は、魂を見ることができるそうだから、な、タンダ、死んだら、魂になって、おまえのもとへ帰るよ。)

第四章2 山の底へ:バルサの心の中の台詞


闇の守り人』で、バルサは故郷のカンバル王国を訪れる。『精霊』でチャグムと関わる中で、養父ジグロの想いを理解し、人生を見つめ直すことを決めるのだ。養父の関係者を訪れ、彼を弔うために故郷へ向かう。

『闇』の舞台はカンバル王国だし、ジグロとの決着が物語の骨子だから、タンダは登場しない。
けれど、タンダにかかわる描写はちらほら登場する。さすがは幼馴染。静かに存在感を主張してくる。いくつか示したい。


例えば、『精霊』冒頭で二ノ妃に貰った金は、皆タンダのもとに預けているとしれっと示される(第一章3)。
もう普通に家じゃないか。

例えば、叔母の家で薬草の束を見た途端、タンダを思い出している。

 天井の梁からは、薬草の束がぶらさがり、風にゆれている。
 それを見たとたん、バルサは、幼なじみの薬草師、タンダのことを思いだした。
(……わたしは、どうも医術師に縁があるらしいなぁ。)
 バルサは、苦笑した。

第一章5 陰謀の素顔:バルサの心の中の台詞

確かにバルサは医術師と縁がある。

実父カルナは医術師で、王の主治医をしていた。父の妹ユーカもまた、医術師として施療院を持って暮らしている。そして、逃亡以来、最も長く関わり続けた存在が薬草師のタンダである。お陰様でいつ怪我しても問題ない完璧の布陣である。

ここで思ったのだが、タンダってバルサの実父に似てるんじゃないか……?
穏やかで優しい、よく笑いよく話す医術師という程度の情報しかないけれど、これってもうタンダじゃないか。娘は父と似た男をそばに置きがちだと聞くけれど、やはりバルサの人生には穏やかな医術師が必要なんじゃないか……。


その後、王家と氏族にかかわる陰謀と計画を知り、バルサもまた、関係者として巻き込まれていく。戦いの場に向かいながら、バルサは自分が死んでしまった時のことを思い、タンダを思い出す。

(もし、わたしが儀式場で死んだら……。)
 タンダは、あの炉ばたで、ずっとバルサを待ちつづけるだろう。そして、たぶん一生、バルサになにがおきたのか、タンダが知ることはないのだ……。
(しかたがない。──呪術師は、魂を見ることができるそうだから、な、タンダ、死んだら、魂になって、おまえのもとへ帰るよ。)

第四章2 山の底へ:バルサの心情描写

もう家じゃないか。(2回目)
ちなみに同じようなことを『天と地の守り人 第二部』でも考えている。自分が死んでもずっとそれと知らぬまま待ち続ける幼馴染……。そう思うと絶対帰らないといけないと思うよなぁ…。

バルサが、死ぬかもしれない大勝負の前に思い起こし、死んだときにひとこと知らせたいと思う相手は、やはりタンダなのだ。

最後だって、しばらく叔母の家で過ごしていたが、叔母が煮ている薬草の匂いをかぎ、タンダに会いたくなって戻ることを決める。

 あの炉ばたに帰ろう。──そして、この旅の話をしよう。

終章 闇の彼方:バルサのモノローグ

やっぱり家なんだ!!!(3回目)

この話では、タンダがひたすらに「帰る場所」として描かれている。
それが、次の『夢の守り人』に繋がっていくんだなと思う。


『夢の守り人』

「……冗談じゃない。あいつを殺すくらいなら、あいつに、この首をくれてやるよ。」

第二章4 〈花〉の息子:バルサの台詞

「そして、恋だのなんだのはべつにして、バルサがこの世でいちばん大切に思っている者は、タンダだ。」

第二章4 〈花〉の息子:トロガイの台詞


夢の守り人』は、『精霊』と同じく新ヨゴ皇国を舞台に繰り広げられる。サグやナユグとも異なる様々な世界の存在が示唆されるが、いずれにせよ呪術師お得意の分野であることは確かだ。

タンダは、夢に囚われて眠ってしまった姪を助けるため、魂呼ばいと呼ばれる術を行う。その先で罠にかかったタンダの魂は、肉体に戻れなくなってしまう。

養父の件にかたをつけ、新ヨゴ皇国に戻ってきたバルサは、帰還早々、肉体を支配されたタンダと戦うことになる。
バルサとタンダの会話は少ないが、バルサがタンダをどう思っているのか、バルサ自身から、そして他者の口から語られる、非常に貴重な話である。

例えば、操られたタンダと戦うシーンは非常に感慨深い。

 バルサは、あらい息を吐いて、ふるえていた。数えきれぬほど命のやりとりをしてきたが、これほど恐ろしい闘いはしたことがなかった。──殺すどころか、傷つけるのさえいやな者を相手に、これからどうすればいいのか、わからなかった。

第二章3 バルサと〈花守り〉の死闘:地の文

豪胆かつ冷静、凄腕で名の通った短槍使いがシリーズ中最も苦戦した戦いが、操られ意識と痛みを失って自分を殺そうとしてくる幼馴染との戦いだったのは非常に感慨深いものがある。

さんざ苦戦し、唯一おこなえたことが「肩の関節を外す」である。あのバルサが。相手が格下でも、敵の指を容赦なく折り完全に手出しできなくなるまで決して油断しないバルサが。腕すらも折れないとみえる。

なるほどなるほど。
バルサは幼馴染が傷つくのが嫌なのだ。

確かに『精霊』でも、タンダを救うために、チャグムから目を離してしまうシーンがあった。バルサはぎりぎりのとき、タンダを優先する。タンダが傷つかないように動いている。

『精霊』では、タンダからバルサへの思いは端々に見え隠れしていたけれど、バルサからタンダへの思いはあまり描かれなかった。『夢』はその点大盤振る舞いである。

「……冗談じゃない。あいつを殺すくらいなら、あいつに、この首をくれてやるよ。」
 とん、とん、と首のうしろをたたいてみせて、バルサは言葉をつづけた。
「あいつを止めるために全力をつくす。だけど、あいつを殺さねばならない、ぎりぎりの瞬間がきたら、わたしはあいつに殺されるほうを選ぶ。──あとの始末は勝手につけてくれ。」
 言いすてると、バルサは立ちあがった。

第二章4 〈花〉の息子:バルサの台詞

殺すくらいなら殺される方を選ぶ、とは、なかなかに火力が高い。バルサ、こんなに相手を思ってるくせに、タンダの想いには応えてこなかったのか?何なのあんたの人生に巣食ってる呪い……。

少なくともこれで分かった。バルサは自分の命よりもタンダの命が優先なのだ。
それだけタンダを思っているといえば聞こえはいいけれど、美談にはし難い。本質はそちらではないだろう。

これは言い換えれば、バルサにとって自分の命は二の次だということに他ならないのだから。

バルサとタンダの関係に対する、呪術師トロガイの回答が以下である。

「……タンダはね、物好きなやつで、幼いときから、ずっとバルサに惚れてたんだ。バルサのほうが、どう思ってるのかは知らん。」
(中略)
「だから、バルサは、心の深いところで、自分の人生を人からのもらい物のように思っているところがある。それも、他人の血であがなわれた、もらい物だとね。
 そして、恋だのなんだのはべつにして、バルサがこの世でいちばん大切に思っている者は、タンダだ。だから、口先だけじゃなく、自分の命を守るためにタンダを殺すことは、ぜったいにしないだろうね。それくらいなら、ほんとうにタンダに殺されてやるだろうよ。」

第二章4 〈花〉の息子:トロガイの台詞

トロガイの見立てでは、タンダは「惚れている」バルサは「惚れているかは知らんが一番大切である」という。

トロガイは、一度は結婚し子を産んだ女だ。その上で普通の生き様から外れた人間だ。世間の常識的価値観も、逆に常識の通じない世界も、よく理解しているだろう。そんな彼女は少なくとも、二人の関係を単純な恋愛関係とは捉えていない。
特にバルサのことをよく見ている。彼女がその生い立ち故に、自分の人生を大切にできていないことまで理解している。

バルサは、幼い自分を救うために全てを捨てた男と、ずっと生きてきたのだ。
養父ジグロは、祖国での地位も栄誉も捨て、バルサを連れて逃げてくれた。逃げ続けるため、彼は追手となった友を八人殺した。
自分の命は、誰かの命のうえに贖われている。自分のせいで養父や関係者たちの人生を滅茶苦茶にしてしまった。そういう負い目を抱えているから、バルサは自分が後回しだし、自分を幸せにしようとしない。そこまで踏まえた二人の関係を、トロガイがそっと語るのにびっくりした。

(というか、トロガイ、ずっとそんな風にこの二人を見守って暮らしてきたのか……。良い“大人”すぎる……。)

タンダの方は、確かにトロガイの見立て通り、惚れているといって差し支えなかろう。
ただし、彼の感情も、いわゆる恋というには熟成され過ぎている感がある。

 出会ってから二十年のあいだには、いろいろなことがあった。バルサを自分のもとにとどめておきたいと、焼けつくような気持ちで願ったこともある。
 だが、そういう激しい、夏の陽ざしのような思いは、いつのまにか初秋の光のようなものに変わり、このごろは、いまのような過ごし方が、自分たちにはいちばん合っているのかもしれない……と思うようになっていた。

第二章1 呪術と星読み:タンダのモノローグ

この部分だけで、相当、色々あったんだろうなぁと容易に察せられる……。
きっと『精霊』のときのような問答も、数え切れないくらいあったのだろう。

タンダがいくら思っても、バルサの問題はバルサにしか解決できない。だからタンダはこうして構えているのだろう。

それにしても。
初秋の光のような気持ちか…………。
(溜息)(万感)


そのどうしようもない関係も、この『夢の守り人』で一区切りだと思う。

バルサは『精霊』『闇』『夢』を通して自分の半生を再評価し、自分の生き方を選び始める。(詳細は別記事↓)

これまでのバルサは、大きな負債の意識を抱えて生きており、トロガイの見立て通り、自分の人生を貰い物のように思っていた。だから自分の幸福を求めることなく生きてきたし、血に染まった道を歩く以外、考えもしなかった。


けれど『夢』の最後で、それが間違いだったとタンダに語るのだ。
その上で、身のうちに戦いへの欲望が根付いていて、それをまだ抑えられない、というようなことも言っている。


これこそ、『精霊』でタンダに言われた「一緒に暮らさないか」の答えではなかろうか。

もう彼女は、これまでの彼女に決別している。これからは、自分の幸せのために生きることができるのだ。けれど、まだ戦いへの欲求が自分の中に燻っている。だからバルサはこの先も用心棒稼業を続けていく。
あの冬の狩穴での、幼馴染からの提案。少し時間が欲しいと言い残してカンバルへ向かった雨の日。そして今。帰ってきたバルサは、ようやくこの時点での結論を示したのだ。

(いや、これは小学生にはわからない!)
(昔の私よ、安心しろ)

私は『精霊』『闇』『夢』をひと繋がりの物語と考えている。バルサが養父の思いを理解し、弔い、与えてもらった幸せを肯定する物語であると。そしてその動機のひとつとして、いつも幼馴染のタンダの存在がある。

ここからのバルサは、タンダと新しい関係を構築しているように思う。この後の巻、『神の守り人』から『天と地の守り人』は、自分の人生を生き始めたバルサが、最後にタンダの隣に腰を落ち着けるまでの物語なのだろう。


『神の守り人 来訪編』

「だから、関わらないでくれ。おれは……おまえを、うしないたくない。」

第一章3 不吉な子ら:タンダの台詞

「おれを買いかぶらないでくれ。──おれは愚かな男だよ。なにがあっても、バルサを売るようなまねはしない。」

第二章4 ロタルバルの悪夢:タンダの台詞


神の守り人 来訪編』は、バルサとタンダが旅先のロタ王国で、奴隷として売られていた兄妹を助けたところから始まる。
特に妹アスラは恐ろしき破壊神をその身に宿していた。アスラの力をめぐって、ロタ王国の様々な立場の者たちが動き始める。

『神の守り人』の魅力的なところは、バルサがタンダを巻き込むのでなく、一緒に首を突っ込んでいるところだ。
『神』は『精霊』と重ねられた部分が多い作品だ。数奇な運命を背負った子供と出会い、助け、彼らの問題を解決するまで保護し、場合によっては引き取ることまで考える。
しかし、異なるとすればここなのだと思う。バルサはタンダと共に二人に出会い、タンダと共にこの事件に関わるのだ。

これは『精霊』〜『夢』で自分の前半生に決着をつけた彼女の新しい物語だ。だから、彼女はもう「八人の命を救う」などとは言わない。それを言い訳にタンダとの関係から逃げたりもしない。二人の距離もより直接的かつ物理的に近くなっている。

「だから、関わらないでくれ。おれは……おまえを、うしないたくない。」
 タンダの声にこもっているものが、バルサの胸をうった。バルサは、そっと手をのばしてタンダの顔をひきよせると、口のそばに唇をつけた。そして、かすれた声でささやいた。
「わたしは、そうかんたんに死なないよ。──トロガイ師ぐらい、長生きしてやる。」

第一章3 不吉な子ら:バルサとタンダの会話

……これ改めて読んで驚愕したのだが、口のそばに唇をつけるって…なに……?
相当では?こんな直接的な表現が『神』の時点であったなんてと正直驚いている。これを読み飛ばしていた幼少期の私、目が節穴だったとしか思えない。

 バルサは答えずに、すたすたと近よって、タンダの首に左腕をまわし、ぎゅっと抱きしめた。一瞬だけ視線が合ったが、バルサは、すぐに踵をかえしてしまった。

第一章5 闇へ駆けゆく:地の文

これは戦闘に向かう前の一瞬の出来事。
……一瞬でなんか色々ありましたよね???

子供の頃の私は、2人の恋愛とかじゃなさそうな絆的な感じを好んでいたので「子供にはわからないように描いていただけで2人は"そう"なんですよ」という証拠を次々と見せつけられて、まぁまぁのダメージを受けている。結構威力が強い。

でもこうして整理するとまあ必然的だなと思う。
正直、恋愛とかじゃなさそうな感じは今でも感じられる。口のそばに唇をつけたり一瞬抱きしめて敵を追いかけて行ったりしても、それが別にロマンティックなわけじゃない。大事な人間なので当然そうしますが?という潔さがあるから良い。どちらかというとハードボイルドな感じだ。

ああ、バルサは淡々と、自分とその周りの人々を大切にしているのだなあと思う。そういうことができるようになったのだ。『夢』までと違って行動が直接的になったのは、バルサが生き方を変えたことの何よりの証拠なのだ。

それでもやっぱり、タンダが第三者にバルサを紹介する時の言葉は「幼馴染」だったりする。妻でも恋人でもなく。
この二人の関係には、名前がないのだ。
私はそこが魅力だと思っているが、そういうところが、子どもにわかりづらい点なのだろう。巧妙である。
(意図してやってるの作者……?こわ……。)


バルサとタンダは、その後二手に別れて行動することになる。バルサとアスラ(妹)、タンダとチキサ(兄)に別れ、互いの身を案じながら一つの目的地に進んでいく。

知り合いの呪術師でもあり、ロタ王の密偵でもあるスファルたちに、タンダとチキサは捕らえられ、バルサは追手を撒いて逃亡する。以下は、バルサの居場所を吐かせようとするスファルとの会話である。

「そんなことを教えるはずがないだろう、という顔だな。──いや、おまえは、教えてくれるよ、タンダ。おまえは、愚かな男ではないからな。
 いま、なにがおきているのか、自分とバルサが、なにに首をつっこみ、どんな役割を果たしているのかを知れば、かならず、教える気になるだろう。」
 タンダは、首をふった。
「おれを買いかぶらないでくれ。──おれは愚かな男だよ。なにがあっても、バルサを売るようなまねはしない。」

第二章4 ロタルバルの悪夢:タンダの台詞

本当にタンダは愚かな男だと思う(褒めてる)。だって彼は出会ってすぐにアスラの異様さに気づいていたのだ。さすが当代一の呪術師の弟子である。バルサにも「関わるな」と忠告していた。
なのに、いざ関わってしまえば決して退かない。もうバルサの味方なのである。

『夢』では、タンダを最優先にするバルサをさんざ見てきたけれど、こっちも大概だなと思う。
この二人、ほんと、なに………?

来訪編は、バルサとアスラが二人を救うためにロタ王国へ戻ろうとするところで終わっている。

「あんたにとって、お兄ちゃんがかけがえのない人であるように、わたしにとって、タンダは、かけがえのない人なんだ。」

終章 旅立ち:バルサの台詞

かけがえのない人、というのが、結局のところいちばん適切な言葉らしい。しばらくは。


『神の守り人 帰還編』

「おまえは、ほんとうに運が強いよ、バルサ。おまえの生き霊を見たときは、もうだめかと思ったけど……。」

第三章2 罠漁師の出小屋で:タンダの台詞

「ああ。いっしょに行こうな。あの子たちの行く末を見とどけに。」

第三章2 罠漁師の出小屋で:タンダの台詞


神の守り人 帰還編』では、皆が各々の思惑を持ってロタ王国のジタン祭儀場へ向かう。
アスラの力を滅ぼそうとする者、利用しようとする者、その中でバルサ達は兄妹を守ろうとする。

正直、バルサとタンダの関係の真価は、離れている時にこそ発揮される気がする。
互いを信頼し合い、何かあったときはすぐに互いを思う。

例えばバルサが橋から落とされて死にかけている時、タンダは、少女時代のバルサがタンダを訪ねてくる夢をみている。

うとうとと眠りにおちたタンダは、バルサの夢をみた。
 いまのバルサではなく、まだ十二歳くらいの、痩せっぽちの少女だった頃のバルサが、岩屋の入り口に立っているのだった。全身びしょぬれで、青ざめた顔をして、がたがたふるえている。歯が、カチカチと鳴っている。
 タンダは、あわてて立ちあがり、バルサをひきよせた。いっしょうけんめい抱きしめて、あたためようとした。だが、腕の中のバルサは、氷のように冷たくて……煙のように消えてしまった。
 タンダは、はね起きた。まるで、ほんとうにずぶぬれの少女を抱いていたかのように、全身が冷たい汗にぬれていた。
(バルサ、まさか、おまえ……。)
 息ができないほどの恐怖が、タンダの胸をしめつけていた。

第三章1 波乱の予感:タンダ

なんなのこの二人……。
魂で繋がってるのこの二人……。

とはいえ、この世界は呪術も魂もある世界なので、これは別に「不思議な絆」とかでもなんでもない。バルサの魂はいざとなればタンダの元に行こうとする、という、それだけの端的な事実だ。

バルサ自身も『闇』で「死んだら魂になっておまえのもとに帰る」と考えていたわけだから、ここで本当に魂がタンダのもとにきたのも必然である。「やっぱりそうなのだな」がひたすら積み上げられていく…。
バルサには呪術の素養はないが、たとえ魂だけになっても、バルサの帰る場所はこの広い大陸でタンダの場所だけなのである。……。


それにしても「12歳くらいの少女だった頃のバルサ」がやってくるのは本当にずるいよね…。
12歳というのは、バルサが短槍を覚えて2年くらいの時期だ。ジグロと一緒に旅をしていて、追手も度々やってきている頃。傷ついた姿が最も目に痛々しい年代だ。
タンダを頼るバルサの精神がそうなのか、タンダの心配するバルサの姿がそれなのかはわからんが、いやはや少女姿で表れるのは……。そりゃあ心配にもなるわ……。


タンダは罠漁師の小屋でバルサを見つけ、必死に介抱する。バルサは目を覚まし、状況を把握する。約束の日付まであと数日だった。
ここでは、大怪我をしているバルサが、それでもアスラたちのもとへ向かおうとするのを見たタンダの反応が見どころである。

 タンダの顔が、ふっとくもった。
「バルサ……。」
「ここから、ジタンまでは、だいたい馬で二日。明日までには、まともに動けるようにならないとね。」
 タンダは、しばらく答えなかった。ずいぶん長いあいだ、ふたりは、しずかに暖炉の薪がはぜる音を聞いていたが、やがて、タンダがつぶやいた。
「ああ。いっしょに行こうな。あの子たちの行く末を見とどけに。……だけど、正直いって、おれはもう、あの子たちに、なにかしてやれるとは思えないんだよ。」

第三章2 罠漁師の出小屋で:バルサとタンダ

沈黙、からの「いっしょに行こうな」…。
重いよ人生が……。

この沈黙に色々な感情が含まれているのを、大人になった私は読み取れるようになった。子供の頃なら絶対読み飛ばしていた。

まず、そんな怪我の状態で動こうとするバルサの生き急ぎ方に対して色々と思うところがあるはずだ。
次に、どうもしてやれない兄妹たちにそれでも肩入れしようとするバルサの心情を察して、どう言ったものかと迷いがあるだろう。

そのうえで、彼はいっしょに行こうと言うのだ。

バルサは、人を惨殺できる恐ろしき神の力を持ったアスラを、なんとか救いたいと思っている。それは、バルサ自身が修羅の人生を歩んできたからだ。人を傷つけ、殺し、それを抱えて生き続ける苦しみを誰よりも理解しているからだ。

彼女はこの感情を、ありし日の養父ジグロの気持ちと重ねている。
短槍を教えて欲しいと頼み込んだときの養父は、きっとこんな気持ちだったろうと。

そしてそんなバルサの肩を抱きながら、タンダは静かに涙を流す。

「だれかが、伝えなければ……あの子に、人を殺すことのおぞましさを……。」
 なにもいえずにいるタンダの腕を、バルサはにぎった。
「いつになっても、おだやかな日々に安らぐことのできない闇が、その先には待っているんだと……。」
 肩に、うつむいて額をあずけているバルサには見えなかったが、タンダの目からは、涙が流れおちていた。涙をぬぐうこともせず、なにもいわず、タンダは、ただじっと、粗末な棚がある壁を見つめていた。

第三章2 罠漁師の出小屋で:バルサとタンダ

なにも言わなくても伝わる〜〜!!
小説家ってすごい!!!!(今更)

そりゃあこういう人生観を、おりに触れ間近で見ていたら、初秋の光のような思いにもなるだろう。

本当、タンダがいて良かったよバルサの人生に……。
ありがとうタンダ……。
代わりに泣いてくれる男、タンダ……


思うに今回のテーマは、修羅に生きる者の苦しみだ。
『夢』で自分の半生を肯定したバルサだけれども、まだ戦いへの欲望が体を支配していた。
そんな彼女が、また一つ生き方を見つめ直すきっかけになったのが、アスラとの出会いだったのだ。

これもまた、バルサの最後の選択につながっている。


『天と地の守り人 第一部』

──わたしなんぞと暮らしたら、あの子らのためにならないよ。

第一章6 予感:バルサの台詞(回想)

「時期ってのは、あるのよ。腰をおちつける時期ってのがな。」

第二章7 バルサの決意:宿屋の主人の台詞


天と地の守り人 第一部』では、まずアスラたち兄妹のその後が描かれる。
そして、『蒼路の旅人』で死んだとされたチャグムが密かに生きており、ロタ王国やカンバル王国と同盟を結ぶために動き出したのを知るのだ。

さて。まずアスラとチキサの話からだ。
『神』の事件が一区切りしたあと、タンダは、アスラとチキサを引き取ろうとバルサに提案したらしい。
チャグムの時とだいたい同じパターンである。
その返答がこれだ。

──わたしなんぞと暮らしたら、あの子らのためにならないよ。

第一章6 予感:バルサの台詞(回想)

出!た!!!
そんなわけないだろ!!!!!

……と声を大にして言いたいところだが、残念ながら、確かに一理ある。
バルサは修羅、タンダは呪術に生きている。普通の暮らしはさせてやれない。
特にバルサは用心棒で、流浪の生活をしている。バルサはそれをやめられなかったのだろう。

子を引きとることは、彼らの人生に責任を持つということだ。それは別の言葉で端的に表すなら、「勝手に死んでしまわない」覚悟をすることだ。
そして、誰かと夫婦になることも、結局は同じことなのだ。相手のために自分の人生に責任を持ち、相手の人生を引き受けること。
それができないと思ううちは、バルサは決して誰かの妻や母にはならないのだろう。

もっと平穏に生きる道として、バルサは結局、二人を知り合いの織物商に預けてしまう。

そうして、バルサはまだ用心棒を続けている。


今回の物語では、宮廷内のチャグム派の密命を受け、バルサがチャグムを探しはじめる。最後の物語が大きく動きだしていく。

ロタ王国でチャグムの足取りを掴むも、彼にしてやれることがないと悟ったバルサは、一度宿屋に戻る。そしてこの先どうしようかと思案する。

その時、宿屋の主人がバルサに、無茶をするな、特にあんたは若い女なんだからと話しかける。
バルサは久しく「若い」など言われたことがなかったので戸惑うが、宿屋の老主人にとっては若い部類に入るのだろう、彼は人生について語り始める。

「おれもな、三十すぎまで賭博にはまって、おもしろおかしく生きていたがな。ガキが五人になると、そろそろ腰をおちつけなきゃならねぇなと思った。こいつが、意外なもんでな。時期ってのは、あるのよ。腰をおちつける時期ってのがな。
 若いころには、気づかねぇが、おちついてみりゃ、それもまた、いい暮らしだぜ。」

第二章7 バルサの決意:宿屋の主人の台詞

宿屋の老人たちの話を聞いて、バルサは考える。タンダのもとに落ちつくことを何度も考えたが、それでもこの稼業をやめることはできない。
これまでの人生で得たものをここでしか活かせない。そうしないと過去が死んでしまう、と、そう思うからだ。

けれど一方で、死と隣り合わせのこの生き様を続け、いつか帰らぬ自分を炉端で待つことになるタンダに、むごいことをしているようだとも感じている。


ここ、『闇』と同じことを考えている。
違うのは、バルサの体と世界の情勢である。
年齢のせいか、思うように動かなくなってきた体と、南の帝国との戦の脅威が迫った新ヨゴ皇国。

彼女はここで、「腰をおちつける時期」を意識するのだ。


結局この後バルサは、新たな危機が迫ったチャグムを守って、共にカンバル王国へ向かうことになる。
しかし、最後(第三部)に、タンダを探しに戻るのは、この時の言葉があったからだろう。


『天と地の守り人 第二部』

「そのどっかのだれかが、どんな人か知りませんけどね。あんたはまあ、ずいぶんと、いいお得意さんだったようですね。」

第一章4 イーハンの文:チカリの台詞

「タンダがなでたら、バルサも頬をそめるの?」

第一章5 故郷の調べ:チャグムの台詞


天と地の守り人 第二部』で、バルサとチャグムは共にカンバル王国を訪れる。ロタとカンバルの同盟を仲介し、そこに新ヨゴも加えてもらうためだ。

第二部はチャグム軸の物語がメインなので、バルサとタンダの関わりはほとんど出てこない。
でも、最高なことに、共通の知人チャグムがずっとそばにいるので、すぐタンダの話になる。

例えば、優しげな馬を見て「タンダに似てるね」と言ってバルサを爆笑させたり、結局その馬を「タンダ」と名付けたりする。
この16歳、かわいいぞ……。

また、ロタの密偵に傷の手当てをしてもらうとき、やはりタンダの話になる。冒頭の台詞だ。

「心配をかけたね。だいじょうぶ。一晩眠れば、もとどおりになるさ。
 この人は腕のいい治療師さんだよ。どっかのだれかと、おなじくらいの腕だと思うよ。」
 中年の女性は、眉をひょいっとあげた。
「そのどっかのだれかが、どんな人か知りませんけどね。あんたはまあ、ずいぶんと、いいお得意さんだったようですね。……あたしゃ、はじめて見ましたよ。こんなに傷だらけの人。古いの、新しいの、いったいいくつあるんだか。」
 バルサとチャグムは思わずわらいだした。
「その人は、好きで治療しているんだから、バルサの懐は痛んでいないと思うよ。」

第一章4 イーハンの文:チカリとの会話

共通の知人、最高……。
チャグムって本当、二人に遠慮がなくて良い。
物語には結構色々な性格の子供たちが出てきたけど、結局チャグムがいちばん生意気でくそガキ気質がある。皇太子なのに。

やっぱりバルサとタンダと共に暮らしたからだろう。(あとトロガイの不躾さと強かさも吸収してる、絶対。)

タンダの噂話をする間だけ、殺伐さがぬける。とっても良い時間だ……。

それから、これはご紹介しておく。
バルサたちをからかうことのできる唯一の存在、チャグム皇太子殿下の台詞
だ。

彼は大人びているけれど、こういうときはつくづく少年なんだなと思う。すぐ二人をからかって大変こそばゆいことを言う。
思えば『精霊』でも、
「(自分のために暴れなくていい。)あばれるのは、別の子のためにとっておいて。それ、タンダとの子だったりしてね」とか平気でぶっ込んでいた(トロガイは大笑いした)。

そんな健全な若者チャグムの今回の台詞がこれである。

「アラム・ライ・ラ。」
(中略)
「ヨンサ方言のカンバル語で、山が頬をそめている……って、いったんだよ。母なるユサの山々は、お日さまに恋をしているんだとさ。いとしいお日さまが、眠りにつく前に、ああして頬をなでると、山は頬をそめる。──千年も、万年も、年をとった老女でもね。」
 チャグムは、笑顔になった。
「タンダがなでたら、バルサも頬をそめるの?」
 からかってから、チャグムは、バルサの手のとどかない場所にすばやく逃げた。

第一章5 故郷の調べ:チャグムとバルサの会話


皇太子殿下、二人のこと少年少女だと思ってるの???


完全に同年代をイジるときのそれである。
お前には怖いものがないのか。
目の前にいるのは短槍の達人だぞ。

でも実際、チャグムくらいしか、こんなふうに二人に言及できる者なんかいないだろう。

トロガイは、二人の幼い頃から彼らを見てきて、二人の関係の前に横たわる大きな問題に気づいている。『夢』での台詞がそれを物語っている。変なお節介を焼いたりはしないだろう。(それはそれとしてチャグムのからかいに大爆笑はする)

亡きジグロも、思うところを口にしない男だから、二人については何も言わなかったろう。

例えばユグノ(『夢』に出てくる歌い手の青年)なんかは、デリカシーがないから機会があれば直接尋ねたかもしれないが、多分場を気まずくさせて終わる。

アスラとチキサはチャグムと同じような関係にあるが、変に聡いのと遠慮がちな子たちだから、からかうことはできなそうだ。

本当に、若者みたいに二人をひやかしてやれる人なんて、今までいなかったに違いない。

11で出会って、二人とともに長い時間暮らし、遠慮のない関係になったチャグムだからこそ、そういうことができるのだ。(ついでに言うと、皇太子として振舞いを制限されている彼自身も、等身大の青年としての関わりを楽しんでいるのだろう)

ありがとうチャグム……。二人に下世話な当たり前をくれて……。
(それはそれとしてあんたの発言は、いい大人にはちょっと甘酸っぱすぎるかな……。)

この「アラム・ライ・ラ」だが、伝承でユサ山脈が若い女でなく老女とされているのも、それなりに意味があるように思う。
(もちろん「母なる」ユサ山脈だからというのもあろうが、)今回はバルサとタンダの関わりに絡めて描かれているため相応の年齢となった、ということなんじゃないだろうか。好いた太陽にかかれば老女だろうが頬を染めるし、下世話な若者にかかれば中年だろうが遠慮なく揶揄われる。

誰かが誰かを慕う気持ちに、若いも老いも関係ないのだ。


『天と地の守り人 第三部』

「……あんたの腕を、切りおとす。」

第二章4 タンダの腕:バルサの台詞


天と地の守り人 第三部』で、バルサとチャグムは、カンバル王国から戦火の新ヨゴ皇国に戻ってくる。チャグムは皇太子としてタルシュ軍の侵攻を退けると共に、父である帝と決着をつける。一方バルサは街の人々を助けながら、タンダを探し始める。

タンダはくじに当たった弟の代わりに徴兵され、タラノ平野に送られていた。主戦場となった場所だ。
バルサはタンダを探す際、「タンダが死んだら自分には何か感じられるはずだ」と考えている。
引用する。

(だいじょうぶさ。……あいつは、運の強い男だから。)
 なんの根拠もないけれど、タンダが死んだら、自分には、何か感じられるはずだ、と、バルサは思っていた。それを感じないということは、タンダは、生きている。
 くだらない思いこみでも、そう思っていたかった。

第一章4 見捨てられた街:バルサの心情描写

ここは、『神の守り人 帰還編』と対応している。
バルサが死にかけた際、少女姿のバルサの生き霊がタンダの前に姿を現した。

バルサが命の危機に瀕した時にタンダを訪ねるのと同様に、タンダなら間違いなく死に際に彼女のもとへ魂を飛ばすだろう

バルサは魂が見えないから、「なんの根拠もない」とか「くだらない思いこみ」とか言うけど、いやいや……。絶対タンダはあんたの元に魂を飛ばすよ……。そしてあんたは魂こそ見えなくとも、絶対に本能だか野生の勘だかでそれを感じ取れるよ……。くだらない思いこみとか思ってるのあんただけだよ……。


タンダはその後バルサの無事を確認した時「おまえは、本当に運が強いよ」と発していたが、今回彼女もまた、タンダを運の強い男だと考えている。

同じことを考えている……。

相手のことを「運が強い」なんて言えるのはそれだけ相手を信頼している証拠だ。相手は決して生きることを諦めないだろうという、強い信頼だと思う。


実際、タンダは生きていた。
バルサはその後、山に隠された洞窟で、タンダを見つける。
彼は左腕を負傷していた。腕は腐ってしまい、このままでは全身に毒がまわる。もって数日の命だと見られていた。

バルサはすぐさま決意する。

「……壊、疽。」
「そう、壊疽だよ。──どうしなければならないか、あんたなら、わかるだろう。」
 タンダの目が、ゆれた。唇が、ふるえている。たまらなくなって、バルサはタンダの額に額をつけた。そして、うめくようにいった。
「……あんたの腕を、切りおとす。」

第二章4 タンダの腕:バルサとタンダの会話


このシーン、二人を語る時に必須なのに、最後かつ最大級のネタバレなので本当に困ったものである。

この二人の終着点はここなのだ。誰かを救い続けてきたバルサが、物語の最後に命を救ったのが幼馴染なのだ。そして腕を切り落とすということは、不自由な生活を強いることであり、(それだけが原因ではなかろうが)だからこそ、この後バルサはタンダと人生を共にすることを選ぶのだ。

「……なんて女だ。」
 腕をすっぱりと切りおとすや、バルサはためらうことなく、その切り口に自分の口をあて、歯で太い血管をかんでおさえると、手早く糸でかたくしばった。そして、切り口全体に、焼いた短剣の刃をつけて止血し、刻んだ薬草をつけた布でぐるぐる巻いた。
 それだけの治療をほどこすあいだ、バルサは眉ひとつ動かさなかった。

第二章4 タンダの腕:バルサの描写

『闇』でバルサの叔母ユーカを「患者の腕を切りおとす時でさえ眉ひとつ動かさない女」と形容する箇所があるが、このあたりを見ると、バルサは叔母と本当によく似ているのだなと思う。

彼女はそういう女だと思う。大事な存在を救うと一度決めたら、躊躇なく踏み込み、立ち回り、冷静にことを終える。
多くの命を奪い、救い、血を流し、何度も死線をかいくぐり、命のやり取りを続けてきた彼女は、救うときもためらいがない。

作者上橋菜穂子氏が、獣医師の齊藤慶輔氏との対談で言っていたことだが、彼女のつくる物語の主人公たちは、困難に直面したとき、他者を救う術を持っていれば、半歩前に出てしまわざるをえない人間なのだそうだ。(『命の意味 命のしるし』Switchインタビュー後編を参照)

バルサはずっと、誰かのために半歩を踏み出してきた。修羅の道を行くことも、重荷を背負うことも分かった上で、誰かを助ける選択ができる人だ。バルサは最後にタンダの命を救うために、その責任と苦しみを引き受けて鉈を振り下ろしたのだ。

眉ひとつ動かさずに!!!!!

なにこの女……凄すぎ……。




しばらくたって、タンダが少しずつ回復に向かった頃、バルサはタンダに付き添って、外に出る。ようやく喋れるようになったタンダと、ぽつ、ぽつと話をする。

タンダの頬に寄ってきた蚊をはらってから、バルサは、その耳のわきの髪に触れた。
「ずいぶん、のびちまったね。湯にはいれるようになったら、髪を洗って、切ってやるよ。」
 タンダの目に、やわらかい光が浮かんだ。その光を見ながら、バルサはそっとタンダの頭をひきよせて、頬に唇をつけた。タンダの右手がゆっくりとあがってバルサの髪に触れた。唇をかさねると、そのやわらかさが胸にしみるようだった。
 顎をバルサの肩にのせ、タンダは目を細め、長いこと、若葉におどる初夏の光を見つめていた。

第五章3 若葉の光:バルサとタンダ

ここ、最初に読んだときは衝撃を受けたものだった。
なにせそれまで恋愛関係と思っていなかったので「え、唇をかさねてる……?」と一気に天地がひっくり返った。
やはり子供の身の上からすると口づけなんて一段上の世界にあるものだから、なんだか二人が遠くに行ってしまったような感じがしたのだ。随分と可愛らしいものだ。

でも今になって全編を通して読むと随分味わいが変わってくる。
なんというか、唇をあわせることはこの物語の終着点のほんのいち表現に過ぎないんだなとわかるのだ。

戦が終わり、都が洪水に流され、傷病兵たちが死んだり、或いは回復したりして、ゆっくりと日々がすぎていく。少しづつ人々が立ち上がりはじめて、それと呼応するように春が深まっていく。

傷ついた新ヨゴ皇国の民は、痛々しい傷を抱えながら、それでも隣の誰かに支えられて生きていこうとしている。誰もが近々と死に触れあったからこそ、傍に手を伸ばし、生きている隣人と手を取り合って、暮らしを続けていくのだろう。

タンダとバルサもまた、そのひとりとして描かれている。左腕を失ったタンダを支えて、なんでもない話をして、肌を触れ合わせて、相手の存在を確かめる。痛みを共有し、隣で生きる。

初夏の若葉のなかで、そっと、新しい人生を始めるのだ。
そのいちばんの象徴が口づけなんだろう。


最後、青霧山脈のふもとの家に戻るバルサの姿で、物語は終わっている。この時、「しばらくは家を離れずにすむだけの金をかせいだ」と書いてあって、2つの意味で感慨深い。
まず「家」とあること。「幼馴染の家」でなく。
それから、家でしばらく過ごすことができるような生き方をしていること。たまに戻るのでなく。

『精霊の守り人』で幼馴染に言われた「一緒に暮らさないか」の、最後の答えがこれだ。

長かった……。長い6年間だった……。



※ここからはその後の二人について。
読んだことがない人は,先に買って読んだ方がいいかもしれませんが…。

春の光:『守り人のすべて』収録


この話は貴重だ。
守り人のすべて』は電子書籍化されていない。お願いだからこの本を買って欲しい。
全編が終わった後に、外伝でもなんでもないガイドブックにこんな短編が記されているなんて、かなり盲点じゃないか……?多くの人にもっと広めてほしい……。
(ちなみに買う時は増補改訂版にしてください。新規で短編や対談が追加されています。)

バルサとタンダが青霧山脈のふもとの家で目を覚ます。村の子どもが預けていった手負いの老犬と戯れるタンダとの朝の風景が描かれる。

ここで特筆すべき点は、二人の関係性に名前がついていることだ。
ここでタンダはバルサのと形容されている。

「……お、よしよし、鼻がぬれてきたな。頑丈なじいさんだなぁ、おまえさんは。」
 しゃがんで、犬の頭をごしごし撫でてやっている夫に、バルサは声をかけた。

短編「春の光」:バルサとタンダ

そうなのか「夫」かあ。

うわああああ。

私は別に呼び名なんかどうでも良い派なんだけれど、でも明確にそう描写されるとこそばゆくってたまらない。

バルサの人生を描いた物語なんだから、ここは「バルサが相手をそう形容するくらい生き方を変えた」ことに注目すべきだろう。

家族を殺され、人生を呪い、養父への負債やわだかまりの意識を抱え、修羅の道を好んで生きてきた女が、
一人の子供と出会い、養父との思い出を親の立場から経験し(精霊)、故郷へ戻って養父の汚名をそそぐと共に、彼の魂と対話して弔い()、幼馴染を救うなかで、あったかもしれない人生と決別して()、恐ろしい力を持った少女と出会い、人を傷つけて生きる虚しさを厭い()、最後には、ずっとそばにいた幼馴染の命を救い、彼のもとで生きることを決める(天と地)。


その果てに、彼女が幼馴染を「夫」と形容するようになったのなら、ここまで追いかけてきた読者としては、感無量というほかない。


まとめ

とりあえず外伝を除く全編を順に振り返り、バルサとタンダの関係を見直してみた。

結論としては
思ったよりがっつり描かれてるな
という印象。

でも、確かに小学生が手がかりを探すには、手の届かないところやわかりにくいところに散りばめてある、という感じだ。

子供は先入観がないので「恋愛」とか「夫婦」とか「恋人」と直接描写されなければ、無理に型にはめようとするのでなく、ただ“そういうもの”として受け止めるのだろう。

あるいは逆に、「恋愛」というものに対してロマンティックだとか燃えるようなとか、そういったわかりやすいイメージに染まってしまったがゆえに、二人の淡々とした交わりも広く「愛」と形容できるものだと、理解できないのかもしれない。

私が「二人はそういう関係じゃない」と誤解してしまったのは、そんな罠にはまったせいだろう。


守り人シリーズは別に人間関係が全ての物語ではないし、自然や国や人々が複雑に絡み合って動いていく物語だと思っているが、バルサの人生という意味で見つめ直してみると、やはり
三十の女用心棒が幼馴染の薬草師と添い遂げる道を選ぶまでの六年を描いた児童書
という表現がいちばんしっくりくる。

昔の私なら「恋愛脳みたいな形容をするな」と怒る所だが(過激派…)、結末を知った上で2人の人生に注目して見返すと、結局彼女の行動の先には常に幼馴染がいるのだと思い知らされるのだから仕方がない。

当初掲げていた八人の命を救う誓い、なんていうものは、前述のとおり全く意味を失ってしまっていて、結局は「腰をおちつける時期」に来ただけなのかもしれないけれど、やはりバルサがタンダの元で生きていく覚悟をするまでに、これまでの8冊の物語が必要だったに違いない。

最後に幼馴染を救って終わるのがいい。
八人の……なんかじゃなくって、たった一人の大切な人の命を救う。それでよかったのかもしれないなと思う。



良い物語だった。



了。


後書き

最初にも書きましたが、これは守り人シリーズをバルサとタンダの関係性という一側面だけから切り取った考察(にも満たない何か)です。
本編はもっと多層的な話であることを承知した上で、割愛/捨象したものが沢山あります。

そしていちファンの妄言です。
個人的な解釈をお許しください。

このnoteが、どなたかの守り人シリーズ再読のきっかけになれば嬉しいです。

またaudibleを聴き直して、語りたいことができればお話しするので、よろしくお願いします。

※上橋菜穂子作品の記事はシリーズにしているので、よければ他のものもご覧ください。


読んでいただきありがとうございました。

宇宮7号

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