あなただけの特別な切符 (「銀河鉄道の夜」読書感想文)
この物語はジョバンニがみた夢の話だ。そして、現実に起こった話だ。
この2行は矛盾しているようだけど、子どもの時のことでなんとなく覚えている記憶のことを考えて欲しい。例えば学校からの帰り道にいた犬、友達と探検した裏山、たまに会う近所のおばあさんー。あれは本当に自分が実際に見たものや経験した事だっただろうか。誰か他の人から聞いた話だったか、それとも子どもの頃にみた夢だったのか、定かでない事はないだろうか。 子どもにとって、夢と現実を隔てる壁はすごく低く簡単に跳び越えて行き来できるもの、もしくはその境界は2色の絵具が混ざり合うようにマーブルで、はっきりした線のない曖昧なものなんじゃないか。そう思う。
物語の序盤、ジョバンニは幸せとは言い難い。病気の母、遠くへ漁に行った父、意地悪な同級生たち。自分は学校帰りに仕事をし、お祭りの明るい町を横目に母のために牛乳を貰いに行く。カムパネルラが優しくしてくれるのが唯一救い。 ただ、ジョバンニほどじゃないとしても、四六時中幸せ、元気100%!みたいな子って意外と少なくて、どんな子どもも母親に怒られたり、友達とうまく仲良くできなかったり、子どもなりの不幸せや悩みを大なり小なり抱えているものかもしれない。私自身もそうだったように思う。
その後、物語では銀河鉄道の旅が始まる。銀河だけれど汽車の外には星だけじゃなく、美しい花や光、鳥、水が次々と現れる。今までに見たこともない、ジョバンニと一緒になって窓から顔を出して見てみたくなるようなわくわくする景色。この感じは子どもの頃に感じた、新しい場所、いつもと違う場所へ行く時の感覚に近い気がする。 そして出てくる不思議で楽しい物たちー黒曜石でできた星座早見のような丸い地図、お菓子の味がするぺちゃんこの鳥、自分だけの特別な切符。文字だけの本を読んでいるはずなのに、私は子どもに戻り、美しく珍しく楽しい挿絵のついた絵本のページをドキドキしながらめくっている。想像力が追いつかない所もあるが、そこは脳内の絵本に無理に描かなくても、ぼかしておけばいい。これは夢なのだから。
「おっかさん、ぼくをゆるしてくださるだろうか」 カムパネルラは言う。そして母親を幸せにしたいと願う。私はこの本を初めて読んだので、ここでなぜそんな事を言ったのかは分からなかったんだけど、それなのにめちゃくちゃ心打たれてしまった。子どもというものはみんな、親を悲しませたくないし親の幸せを願っている。親が悲しんだり失望した様子をしているととても心配になるし、自分がした事を見て笑ったり幸せそうにすると、また笑って欲しくて何度でもそれを繰り返す、そういう生き物なのだ。母親である私は、カムパネルラとジョバンニに改めてそれを気付かされた。 子どもになったり、母親に戻ったり、読みながら感情が忙しい。
旅の時々で、ジョバンニはなぜだか分からない寂しさや悲しさを感じる。私も子どもの時、日が陰っていく夕方などによく、何ともいえない寂しさや不安を感じた気がする。もしかするとそれは、ずっとは続かない子ども時代独特の穏やかで楽しい時間や、友達といつかは一緒にいられなくなる事を、無意識のうちになんとなく予感していたのかもしれない。 それにしても、この物語にはものすごい力がある。読者の30年近くも前の感情を、文字だけで蘇らせることが出来る。ほとんど魔法だ。本の魔法。 そして、その蘇らされる感情の種類が楽しいだけでなく、寂しい、悲しい、切ないと多岐に渡るのもすごい。これは喜劇なのか、それとも悲劇なのか。ただ、楽しいことも悲しいことも起こって、1つの感情で言い表せないのが人生だ。この物語はジョバンニの人生のうちの大切な一夜を描いていて、だから喜劇とも悲劇とも言えるんじゃないか。
そして、汽車で乗り合わせる死者と思われる人たち。人は死んだら星になる、と言う事がある。この銀河鉄道は死者を銀河へ送る鉄道で、だから一方向へしか行ってくれないのだ。出会った子どもたちやカムパネルラとの別れは悲しかったけど、それまでに見た景色や一緒に食べたりんご、旅の時間はきらきら輝いていて楽しかった。 「おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで。」 ジョバンニは言われる。じぶんの切符とは何を意味するんだろうと考えた。人生を鉄道だとすると、行き先を示す切符はその目標、つまり未来の夢じゃないかと思う。子どもには、今おかれている環境を変える事はできないけど、人生の行き先はどこでも自由に決められる。 じぶんだけの夢を持つことができるのだ。
ジョバンニはなぜこちらの世界へ戻って来れたのか。実験だったからか、特別な切符を持っていたからか。 分からないけど、もしかしたら子どもにとって生と死の世界もまた境界が曖昧で近しいもので、ブルカニロ博士が実験をジョバンニに託したのは、死者以外に子どもだけが、銀河鉄道の汽車に乗ることができるからかもしれない。
カムパネルラとは現実でももう会えなくなってしまった。でも物語にはそれほど悲壮感はなく、最後には希望があるように感じた。ジョバンニは母に牛乳を持って行くことが出来るし、父はもうすぐ帰ってくる。 儚いけど、人との別れはこんなものなのかもしれない。通り過ぎた駅と同じように、その人がいた時には戻りたくても戻れない。だけど、その駅まで一緒に過ごした素敵な旅は変わらないし、現実で会えなくても、その人はいつまでも自分といっしょに行ってくれるのだ。ジョバンニはじぶんの切符をもって、あらゆるひとの幸福をさがして、これからまっすぐ進んでいける。 人生で辛いことや大切な人との別れは避けて通れない。でも、子どもたちにはそれらを経験した上で、じぶんだけの人生の切符を手に生きていく力がある。 それが宮沢賢治がくれたメッセージじゃないだろうか。
最近、4歳の娘が寝る前に突然「死ぬのが怖い。死んだらどうなるの?」と泣きだした事がある。少しびっくりしたけど、このくらいの年の子どもにはよくある事だそう。もし今度また同じ事を訊かれたら、銀河を走る鉄道の話をしてみようと思う。 娘だけの特別な切符を持って、いろんな感情を味わいながら人生のレールを進んで行ってくれたら。この本を読み終わった今、そんなふうに思う。