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人生を運転に例えるのはナンセンスな気がする


今日運転免許の更新をしてきた。駅から歩いて15分圏内に住みたいと思う私が、今の住所で良かったと思う数少ない1日だった。

免許をとったばかりのころに比べたら緊張しなくなったものの、未だに右折するときはドキッとするし、できるだけ赤信号の下にある矢印が点灯してから曲がりたいと思っている。実際、矢印が出るまで待っている。後ろの車から「今のタイミングで曲がれたじゃん」と声が聞こえてきそうだけど、申し訳ない、行けるかいけないかは私が決めることだ。

右折するタイミングを決めることは、人生で大きな決断をするのにちょっとだけ似ている。

ルーティンと呼べる行動は見慣れた街を運転するとき、自分の経験から(こっちだ)と判断できるものは左折、新しいことに挑戦するドキドキは車で旅先に出かけるときの高揚感。当てはめる内容に違いはあれど、例を考えれば考えるほど似ていると感じる。

「じゃあ人生と運転の違いって何?」って質問が出てきそうだ。その質問をされたら、すかさず「カーナビ」と答えたい。目的地を入力すると、最短距離・料金が安い・高速道路優先など、自分の都合に合わせた行き方を選ぶことができる。途中で曲がる道を間違えたとしても、すぐに別ルートを提案してくれ、状況に合わせてゴールに対する明確な道を示してくれる。助手席の人が地図を持って、案内する必要はなくなった。

「人生はたとえるなら運転だ」という言葉がナンセンスだと感じた理由はここかもしれない。

これから先もデジタル化・IT化はどんどん進んでいく。機械が対応できるところは、機械に任せることになると思う。それでも人間が絶滅しない限り、人との関わりがなくなることはない。道に迷ったら助手席に座っている誰かと「こっちの道のほうがいい」「いや、この道のほうが混まなそう」と、分厚い地図帳を広げながら、進んでいけたらいいなと思う。



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