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【小説】遠いみち⑩

昭和34年秋――。

 私が入院している間、千紗は新婚の花枝さんが、恵利は姑の道子さんが、それぞれ預かってくれた。
 私は毎日、病院の硬い寝台の上で一人、めそめそと泣き続けた。拭いても拭いても涙が溢れて、まるで壊れた蛇口のようだ。
「ごめんなさい⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」
 と私は、昼も夜も謝ってばかりいた。
 死なせてしまった赤ん坊に。昭さんとお義父さんに。そして今、きっと寂しい思いをして泣いているであろう、千紗と恵利に。

 私が不注意だったのか。私がちゃんと安静にしなかったからだろうか。私が、気管支喘息なんて病気に、なってしまったからだろうか。
 私が、私が、私が――。どれほど間違い探しをしても、答えなんか見つかるわけもない。何よりも、死んでしまった赤ん坊はもう戻ってはこない。
 お医者さまは、
「ご自分を責めてはいけませんよ。残念だけれど、よくあることです」
 と言われる。
 それでも私は会いたかった。
 どうしても、あの子を、この腕の中に抱きたかった。


 二週間ほどして退院し、家に戻ってみると、お茶の間に真新しいテレビが置かれていた。テレビを買った家は、ご近所でもまだそれほど多くはなくて、最初の日には人が集まって大変だったそうだ。
 千紗も恵利もテレビに夢中になり、二人仲良く並んで、大人しく見ていてくれる。
 このテレビは、お義父さんの計らいだった。

「なに、10台ほどまとめて買ってやったから、電気屋に貸しがあるんだよ。ここへは、ほんのついでだ。気にすることはない」
 と相変わらず、大きなことを言われる。
 昭さんは、そんなお義父さんの物言いに少し、辟易しているみたいだったけれど、私は心から有難かった。

 昭さんもまた奮発して、月賦げっぷで洗濯機を買ってくれた。洗濯機は本当に、夢のような機械だ。ことにローラーの絞り機を通して絞ると、大きな物でも短時間で乾くようになる。私は握力が弱くて、これまで寝間着や手拭いを固く絞るのが苦手だった。お陰で毎日の洗濯は、見違えるほど、とても楽になった。
 
 お義父さんも、昭さんも、言葉には出さなくても、私を気遣ってくれているのがわかる。すっかりしぼんでしまっていた私の気持ちが、ほんの少し膨らんで温かくなったような気がした。

 私の気管支喘息は、良くなったり悪くなったりを繰り返した。
「大きな発作が起こると、命に関わることがあるからね。十分に気をつけて」
 とお医者さまは、すぐに無理をしてしまう私に釘を刺される。
 そして三度の食後の薬の他に、いざという時の頓服の吸入薬も処方された。体の具合がすっきりしないうちに、短い秋が足早に去っていった。



 その年の12月、冷たい木枯らしが吹きはじめた頃に、里の姉さんから、予期せぬ報せが届いた。義兄さんが、仕事先の足場から転落して急死されたのだという。
 まだ49歳の若さだった。残された姪っ子たちは18歳と12歳、末っ子は9歳だ。

 会社の事務員さんに取り次いでもらって、受話器を受け取ると、懐かしい姉さんの声が聞こえた。
「⋯⋯和ちゃんかぁ? ⋯⋯赤ん坊は、難儀なことやったでなぁ。体はもう、つろうないんかいねぇ」
 姉さんはこんな時でさえ、まず、私の体調を気遣ってくれる。
「姉さんこそだが。急なことで。ほんに驚かれたじゃろう? みぃんなぁは、どうしとられる? 泣いとられるんじゃぁないか?」
「⋯⋯こげなことになろうとは、夢にも思わなんだでなぁ⋯⋯」
 姉さんの声が、だんだんと震え出す。
「あんな優しい、えぇお人が、なんで⋯⋯」
 私は堪えきれずに、また涙が溢れた。もう散々泣いて、涙なんか枯れたんじゃないかと思っていたのに、姉さんの声を聞くと、また新たな涙が湧いてくる。

 義兄さんは、お義父さんのすぐ下の弟さんだから、昭さんにとっては叔父さんに当たる。
 義兄さんたちは元は12人の兄弟だったけれど、一人減り二人減りして今は、お義父さんを入れて四人しか残っておられない。
 神様も仏様もおられないのだろうか。どうしてこんなに、辛いことばかりが押し寄せるのか。
 電話が切れた後も、姉さんの声が耳に残り、私はしばらくその場にしゃがみ込んで、動くことができなかった。


 年が明けて、昭和35年のお正月を迎えるとすぐに、治さんの結婚が決まった。道子さんがせんから方々で探されていて、ようやくそのお眼鏡に叶ったお相手が見つかったのだ。
 お嫁さんの陽子ようこさんは大柄な女性で、治さんよりも少しだけ背が高い。華道、茶道、書道を修められた良家の子女だそうだけど、おしとやかというよりは、とても朗らかな人だった。性格が底抜けに明るくて、いつも大きな声で「あははは」と笑っている。名前の通り、太陽のような人だった。

 そしてその年の春には、前年に結婚した花枝さんが、はじめての子どもを生んだ。
 目がくりくりとして、色白の花枝さんによく似た、大層かわいらしい男の子だった。産後の肥立ちも良く、嫁ぎ先のお姑さんがとても気のいいお人で、付きっ切りで見ていてくださるらしい。

 このところ不幸が続いて、暗く沈みがちだった私たちにとっては、久しぶりの嬉しい報せだった。
 家族が減ると、不思議と今度は、家族が増える。新しい年に替わって少しずつ、私の気持も明るくなりはじめた。

 そしてこの春から、千紗が幼稚園へ通いはじめることになった。
「えっしゃんもぉ、のるのぉー! よちえん、いくのぉー!」
 と毎朝、恵利がバスの後を追って、泣いて、大騒ぎだったけれど、それでも新しい生活に、私たちはゆっくりと慣れていった。
 気管支喘息とうまく付き合いながら、昭さんと共に、二人の娘を大切に育てて生きていこう。そんなふうに前向きに、私は考えはじめていた。

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