それでもまた、朝は来る。
先日に引き続いての、竹内まりやである。
「駅」の後に発表された「シングルアゲイン」と「告白」はどちらも、過去に別れた男性が描かれていて、直接ストーリーがつながっているわけではないけれど三部作と見られることが多い。
「シングルアゲイン」の彼には、「彼女を選んだ理由」さえ聞けないまま、ただ季節は流れた。
時を経て、また一人に返った彼に「ざまあ……」とほくそ笑むこともなく
「私と同じ痛みをあなたも感じてるなら 電話ぐらいくれてもいいのに」
と思いやる。
ただ心の内では、これで「やっと本当のさよならができる」と一区切りにもなったようだ。
「告白」の彼は、「今ごろ」になって電話で愛を打ち明けてくる。違う道を選んだくせに。寂しさに負け、ワインの酔いに任せて。どうにも「今さら」感が否めない。
「人恋しさは年をとったしるしでしょ」
「無邪気になれない 出会った昔のようには」
と塩対応しつつも、言葉とは裏はらに「密やかな恋の証」である告白に悪い気はしない。
1980年代ごろからようやく、女性の生き方に選択肢が生まれはじめていた。
実力、人気の絶頂で結婚し、芸能界を引退した山口百恵。それは本人の強い希望だったけれど、旧来の女性の生き方を踏襲したものだった。
仕事も、結婚も、出産も、すべてを手に入れる生き方を選んだ松田聖子。その後の離婚、再婚遍歴も含めて、自分の人生を主体的に構築した。
結婚後の一定期間、露出を控えて出産、育児を優先させた竹内まりや。その間も人気は衰えず、数年を経て発表した楽曲もまた高く評価された。
女性であることを、何も失わない生き方。
今ならそれが主流かもしれないけれど、当時は遠い遠い存在として、そんな生き方に私は強く憧れた。
憧れて、渇望して、焦燥感とともに必死で足掻いていた。
1990年代当時、カラオケで歌うと殊に「告白」は、同席していた男性陣からの評判が悪かった。
冷たく突き放しておいて、その実「どんなに遅すぎても告白 待ちわびて生きているの」というのが性悪だ、と。
去っていった俺をいつまでも想って待ち続け、戻ってきたなら昔のように受け入れてほしい……という男性の本音にうんざりしながら、私は酒席でいつも挑発的に、この曲を選んでマイクを握った。
このクールな歌詞に私は、心の中で喝采した。
「駅」で、涙が溢れてきそうになりながら、私だけ「が」愛してたんだ、と悲嘆していたのはもう遠い昔のこと。電話で「告白」されてからの、この強かさはどうだろう。
今さら引き返せないし、壊したくない今の暮らしもある。
もうとうに終わった恋だからこそ、勲章のように心の中に飾っておきたい。朝になればまた、素知らぬ顔で日常に戻るのだから――。
私は、芯から強くなりたかった。
少しずつ、秋が深まっていく。
センチメンタルは、だからやっぱり秋のせいだ。
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