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2013年のSEKAI NO OWARI

子どもが高校生になった時、突然
「軽音楽部に入部してバンドを組む!」
と言い出した。
娘は、幼い頃からピアノを習ってきたから、キーボードを担当するのだという。



彼女は、いくつもの発達障害の特性を抱えている。
精神的に、実年齢よりも少し幼いところがあって、場の空気を読むことが不得意だ。
だから時に、場違いな発言をしたり、不意に不躾に笑ったりしてしまう。

そういうことの積み重ねでハブられ、いじめられるのではないか。
やがては孤立し、学校へ行きたくないと言い出すのではないか――。
小学校でも中学校でも、私はいつも、不安で不安で仕方なかった。



そうして迎えた、はじめての演奏会。
観覧は自由だったけれど、幼稚園のお遊戯会じゃあるまいし、高校生にもなって見に行く保護者はほとんどいない。
けれども私は、どうしても気になって、目立たぬようにコソコソと会場へ向かった。
私はやはり、過保護で、過干渉だったのだと思う。

眠れない僕たちは いつも夢のなか
太陽が沈む頃 僕らはまた一人だね
僕の一つの願いは
綺麗な星空に また消えていくんだ

Welcome to the “STARLIGHT PARADE”
星が降る眠れない夜に
僕たちを連れて行った あの世界
Please take me the “STARLIGHT PARADE”
星が降る眠れない夜に
もう一度連れて行って あの世界へ

スターライトパレード/SEKAI NO OWARI

私はこの時、SEKAI NO OWARI というグループをはじめて知った。

子どもたちは、ボーカル、ギター、ドラム、キーボードのガールズバンドだった。
ちょっと恥ずかしそうに、だけどとても楽しそうに、息もピッタリで演奏している。

そこには、私の見たことのない娘がいた。
いつも友達の言いなりになることで、浮かないように、仲間ハズレにならないように、彼女は必死で自分を守ってきた。
けれども目の前の彼女は、とても堂々とリズムを取り、見せ場である間奏のキーボードソロの部分を得意気に奏でている。

流れるような印象的な旋律に、会場が一際、ワーッと盛り上がる。
娘は生き生きとした笑顔で、全身で演奏していた。



子どもが幼稚園や小学校の頃までは、その交友関係を把握することができた。
中学生になっても基本的にはその延長線上なので、参観や行事を通して様子を伺い知ることができた。

けれども高校ともなると、そうはいかない。
通学エリアも広く、時折り出て来る友人の名前も、顔が思い浮かぶほうが稀だ。
また子ども自身も、幼い頃のように
「あのね、あのね、今日、学校でね⋯⋯」
と話してくれることはない。
家にいるほとんどの時間をスマホで過ごし、やがて食事時間もバラバラになっていった。

部活でのキーボード、推しのライブ、ピアノのレッスン。
彼女の高校生活は、大好きな音楽と、仲間たちと、ただそれだけでキラキラと輝いて過ぎていった。

空は青く澄み渡り 海を目指して歩く
怖いものなんてない 
僕らはもう一人じゃない
空は青く澄み渡り 海を目指して歩く
怖くても大丈夫 僕らはもう一人じゃない

煌めきのような人生の中で
君に出逢えて 僕は本当によかった

街を抜け海に出たら 次はどこを目指そうか
僕らはまた出かけよう 愛しいこの地球せかい

RPG/SEKAI NO OWARI

娘は、赤ん坊の頃から泣いて泣いてばかりで、なぜ泣くのかもわからない私は、その泣き顔を見るだけで、いつも胸が張り裂けそうだった。

できないことが多く、わからないことだらけだった彼女にとって、この世界は、さぞかし恐怖と不安に満ちていたのだと思う。

そんな娘もこうやって、どんどん一人で歩いていくのだろう。
そして、失敗しても、怪我をしても、あの頃のように泣いたりはしなくなるのだろう。

私が母親を卒業する日は、それほど遠くないのかもしれない。
そう思うと私は、嬉しいのか、悲しいのか、自分でもよくわからない感情に包まれた。



娘の就職活動に対して、私たち夫婦は一切、口出しをしなかった。
こんな業種がいいとか、あるいは駄目だとか、そいうことは何も言わずに、ただ見守ることに徹した。
それでも何となく私は、彼女が自宅から通勤するのだろう、と思っていた。

ところが結局、娘は、遠い県外への就職を決めた。
それは家を出て、一人暮らしをするということを意味した。

私は君を濡らす この忌々しい雨から
君を守る為の それだけの傘
それは自分で決めたようで運命みたいなもの
何も望んではいけない 傷付くのが怖いから

もう一度あの日に戻れたとしても
繰り返してしまうでしょう 私はきっとそう

この雨が このままずっと降れば
願ってはいけない そんな事は分かってる 
だけど 君に降る雨が いつの日か上がって 
青空を望んだら その時私はきっと

雨が静かに上がり 傘立てに置かれた傘
忘れた事さえ忘れられてしまったような

umbrella/SEKAI NO OWARI

家を出るために、わざと遠い就職先を決めてきたのだ、と娘は言う。

生活習慣の些細なあれこれで、その頃、私たちは毎日のように揉めていた。
また、片付けることのできない特性をわかってはいても、彼女のゴミだらけの部屋にも、私はうんざりしていた。
娘にしてみれば、口うるさい親の束縛から逃れて、とにかく自由に生きたかったのだろう。

自由であることは、大きな責任と、とてつもない孤独感とを伴う。
その厳しさを親は知っていても、今から巣立つ子どもはわかっていない。

子どもの背中を押してやりながら、本当にこれが最善なのか、と私はいつまでも、ぐずぐずと迷い続けていた。



巣立った頃はギクシャクしていた、私と子どもたちとの関係も、やがて時が経つにつれて、ほんの少しずつ変わりはじめていた。

娘は今春、ささやかな昇格をした。
そしてその結果、中途採用の年上男性を指導する立場になった。

若い女性に指導されることを望まない中年男性。
どこにでもあるような、人間関係の悩みではあるけれど、切実な日々のストレスだ。
それでも彼女は、精一杯、向き合い、仕事をこなし、結果を出そうと努力している。

君たちったら何でもかんでも
分類、区別、ジャンル分けしたがる
ヒトはなぜか分類したがる
習性があるとかないとか
この世の中
2種類の人間がいるとか言う君たちが標的
持ってるヤツと モテないやつとか
ちゃんとやるヤツと ヤッてないヤツとか

大人の俺が言っちゃいけない事
言っちゃうけど
説教するってぶっちゃけ快楽
酒の肴にすりゃもう傑作
でもって君も進むキッカケになりゃ
そりゃそれでWin-Winじゃん
こりゃこれで残念じゃん
そもそもそれって君次第だし
その後なんか俺興味ないわけ

俺たちだって動物
こーゆーのって好物
ここまで言われたらどう?
普通 腹の底からこうふつふつと
俺たちだって動物
故に持ち得るOriginalな習性
自分で自分を分類するなよ
壊して見せろよ そのBad Habit

Habit/SEKAI NO OWARI

時折り、深夜に電話をかけてくる娘の話を、私はただ、黙って聞いていることしかできない。
そして終わりがけに、私はいつも同じ言葉をかける。

あなたは間違っていない。
自分を信じて、堂々として。
給料分だけ仕事したら、後は手を抜きなよ。
⋯⋯それでも、どうしても辛い時は、いつでも帰っておいで。

翌朝、娘からLINEが届いた。

ありがとう。元気出た。
今度帰ったら、肉じゃがと、カレーと、シチューと、ハンバーグ食べさせて。

小学生か!
と私は、心の中で突っ込んだ。

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