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コロナ禍の渦中の人

世の中はコロナで大変なことになっている。

私が住んでいるここフランスはご存知の通り外出禁止令真っ只中である。

外出禁止令が出てもう1ヶ月経過したのに、死者の数は2万近くなってしまった。

結果が出るまでには時間がかかることも分かっているが、先日の大統領による外出禁止例の延長のスピーチを見た時、ちょっと涙が滲みそうになった。

勘弁してくれよと。仕方ないと分かっていたものの、あと二週間、、、そしてもうあと二週間、、、と様子見で伝えられるだろうと思っていたので予想以上に心がえぐれた。そう、仕方ないことなんだ。だがやはり人と会わないで過ごす1ヶ月はなかなかにしんどかった。慣れてはきたけど、さらにあと1ヶ月。

ラインやzoomなど世の中の便利なアプリのおかげで生き延びられているものの、出かけもしない、することといえばnetflix, youtube, amazon primevideo, そして食っちゃ寝。話題は「コロナで太った」「いつまでつづくんだろうね」「今日は何を作って食べた」「やることねぇな」「毎日同じ繰り返しで昨日以前の記憶がない」に終始し、新しい話題もそうそう生まれるべくもなく数日置きの通話が限界だ。

夜中に通りで叫んでいる輩にも、普段なら「うるせぇな」と思うのに、こんな状況だから「叫びたくもなるよね、、、」とシンパシーを抱きつつも帰る家のないかもしれないその人の暮らしに胸を痛めてしまう。

この世の中、誰もが我慢している。何かしらを。出かけられないこと、会いたい人に会えない事、ずっと楽しみにしていたイベントが中止になってしまった人、仕事がなくなってどうする事もできない人。それでも人命を守るために皆が外出しないようにしている。

人は我慢を強制されていると、その我慢から逃げおおせた人を取り締まりたくなるところがあるようだ。社会的な生き物だから一つの集団のルールを破るものを見過ごすと集団の維持に不利になるから、そして叩く事を正当化できるので快感なんだそうだ。脳科学者の中野信子先生の記事でそんなようなことを読んだ。

そしてまさにそんなことが周りで起き始めている。

友人と話しているとき何気なく、「今日買い物にいったんだ」と発言したら「え?ペース早くない?笑」と軽く言われた。一人暮らしで五日に一回くらい買い物に出ていたのだが、確かにもっと頻度を下げている人もいる。片や「外出を減らして、今ランニングと買い物で週に2回でてるよ」という人もいる。

前述の友人で言えば悪気は全くなく、もう少しがんばらなきゃ〜と励ますような感じでの発言だったのだが、その電話を切ったあと私の心は沈んだ。

もっと頑張らないと。自分を甘やかしすぎていたのかもしれない。自己嫌悪に苛まれた。結果今は週に1度の買い物で済ますようにしているが、とんでもない量を買い込むので肩がちぎれそうになる。朝昼晩全て当然だが一週間分用意するととんでもないことになるし、それしか楽しみがないので際限なく欲しいものを手にする。アイスクリーム、ポテチ、チョコ、おかし作りの材料たち。急に欲しくなっても買いに行くことはできないのだからとタガを外し切ったらもう止まらない。今まで叩き出したことのないような数字がレジで叩き出される。驚愕の84ユーロ。一人暮らし。普通のスーパー。

この友人の一言は結果的に私の行いを向上したので良かったが、このように他人の一挙手一投足をパトロールしたくなり始めるのが今の問題だと思っている。

別の友人と電話中、彼女が不服そうにもらした。「5月に日本で仕事があると話していた知人がこのタイミングで日本に帰ったらしい。え?その仕事キャンセルになってないの?この状況で帰るの?って思った。」

おっしゃる通りだとも思う。本当に今行く必要があったのかい?と言いたくなる気持ちもわかりすぎるくらいわかるから。でもその人には、今その仕事を受けなければいけない事情があったのかもしれない。その仕事が今後のキャリアの分かれ道になるような仕事でどうしてもやりたかったのかもしれない。

本当のところは本人のみぞ知るだし、結局はその人が選んだことだし。でも私が恐れているのは、こんな叱責の香りを含んだ探りが蔓延することである。

今後、外出禁止が解かれたとする。少しずつ前のような暮らしに戻りつつも、一斉に元どおりとはいかないだろう。そうなった時、もし各国が日本のように「禁止ではないけど、不要不急の、、、」と移動の可否を本人に委ねるようなことをアナウンスしたらどうだろう。

フリーの人間は、その仕事を受ければ2ヶ月ぶりの仕事としてしばらく暮らせるかもしれないなら出かけるだろう。政府からの保証も、現時点ではいつまで続くのかわからない。そして万が一コロナに罹患して帰ってきて、周りがそれを知った時、「あいつあの時外国行ったらしいよ、それでコロナだって、迷惑なやつ」というようなコロナによる軋轢がそこらで発生するのではないだろうか。

戦争も恐いが、隣組も恐ろしい。


もちろんコロナも嫌だ。でも無事に生き残れたのに、仕事の事情で活動した結果罹患したことを周りに非難されるのはきつい。


わたしの職種はどうしても人との接触を避けられない美容業だ。

外出禁止がとけて仕事ができる環境になっても、このウイルスがなくなっている訳ではない。本当の意味で”普通”に仕事ができるのはいつなんだろう。アルコールもまだ一般には全然回っていない。アルコールが手元にたくさんあったとしても、相手に移さない、移されない保証のない中でボディコンタクトをせざるを得ない職業。リスクしかない。でもやらないと食べていけない。

そして想像する。

「海苔子さん、コロナになったらしいよ、、、」「えーこわい!!」「もう治ったらしいけど、クライアントにも移しちゃったらしいよ」「えーやばい!」

コロナ渦で渦中の人にはなりたくない。

転職を真剣に考えた方がいいのかもしれない。



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