![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141306274/rectangle_large_type_2_8bbb2da19edf7224c2f22f43f7ab2915.jpeg?width=800)
投資#198 1%の違いを楽しもう!
書籍の情報
タイトル:「自分の意見」ってどうつくるの? 哲学講師が教える超ロジカル思考術
著者:平山美希
発行所:WAVE 出版
発行日:2023年4月28日
書籍の抜粋
フランスでは政治の話題を好んでする人が多いという話はすでにしました。
一方、日本では、政治の話題はむしろタブーに近いものとして扱われていますよね。
なぜでしょうか?
それは人間関係にヒビが入る可能性があるからでしょう。
「自分は政治に興味がない」という人も、死刑制度や中絶、安楽死などの重いテーマでお互いの価値観の不一致が起こると、「この人とは合わない」と関係に見切りをつけてしまうことがあります。このように、日本では相手の関わり方が変わってしまうことがあるので、あえてリスキーは話題を避けるのではないでしょうか。
フランスでは価値観の違いで人間関係が変わることはありません。人はそもそも自分とは違う存在なので、違う考え方をして当たり前だと思っているからです。
だから、大勢いるなかでひとりだけが異なる選択をしても、「自分勝手だ」と咎められることはありません。
私自身、この考え方を知ってとても気が楽になりました。
日本で生活していたときは、相手の言ったことに100%同意できないときでも、「だよね」「うんうん」と相槌を打ちながら、10パーセントでも同意できる部分があれば、「わかる」と言っていました。
相手が自分の考えとは異なる意見を言っても、「そういう考え方もあるよね」と違いには深く踏み込まずに会話を終了させていました。
ところが、フランスでは、逆に相手と自分の違うところを探します。
相手の言葉の一語一句にまで注目して、
「あなたが使っている○○という言葉は、この状況を表すのにしっくりこない」
「それは言うなら○○より△△という方が適切ではないのか」
こんなふうに、自分の認識と相手の認識の違いを見つけようとします。
そして、もっと深く考えた方がよいところを徹底的に追求していくのです。
あるとき、私のパートナーと彼のお兄さんが政治についての話をしていました。
私からすれば、2人の政治観はほぼ変わりません。
それでも会話が始まると、「オレはその点には同意できない」「お前の意見はここがおかしい」と相手を批判し始めたのです。
議論がエスカレートすると互いに本気で怒っているようにも感じられて、私は、
「なんで同じような価値観を持っているのに平和的に議論することができないんだろう?」と半ば絶望的に感じられたのでした。
あとでパートナーに、「2人ともほぼ同じ政治観なのに、なんで言い争うように議論するの?”わかる、わかる”でいいじゃない」と言うと、
「それじゃつまらないよ!同じように見える意見でも、違う人間なんだからどこかに絶対違いがあるはずだ。その違いを探るのが面白いんじゃないか」
という答えが返ってきました。
フランス人は、自分とは異なる意見を聞くことに、むしろ喜びを感じるそうです。
また、相手の意見のうち、99パーセント同意できても、同意できない部分が1パーセントでもあれば、それにたいしては「違う」とはっきり伝えています。
「99パーセント同じなら、ほぼ100パーセントじゃないか!」と思うのですが、彼らにとっては「ほぼ」であって100パーセントではありません。
だから1パーセントの違いが見つかれば、そこに言及せずにはいられないのです。
フランス人のそんな思考が理解できてから、私は軽々しく「わかる」と言わないようになりました。また、相手に「わかる」と言われると、「どこがどうわかったの?」と聞き返したくなるとうになってしまいました。
ここまで読んで「フランス人ってちょっと面倒くさい人たちだな」と思いましたか?
でも、「一人ひとりが違う考え方を持っていて当然」という考え方ができると、とても生きやすくなります。
ムリに相手に同意する必要はないですし、相手がどんな考えを持っていようと、自分は自分の考えを素直に伝えればいいだけなのです。
フランス人と日本人の考え方はどう違う?
●意見の違いを面白がる
感想
読んだきっかけ
この部分では、
日本では、政治の話題はむしろタブーに近い
この記載が気になりました。
政治ってタブーなんだっけ?
ってところです。
ここは著者のフック
(読者を釣るための餌)
なのでしょうね。
見事に引っ掛かった(笑)
本文
考え方の違いがあると
相手と距離感を感じて
しまうのは、日本人の
特性なのでしょうか。
確かに距離は感じます。
ただ、その後は、その人
次第な気もします。
同じがいいのであれば、
距離感を感じた話題を
出さなければいい。
それだけなのだと
思います。
一方、フランス人は、
違いが1%でもあると
根掘り葉掘り議論
するのですね。
私の感覚からすると、
仕事しているみたい(笑)
仕事をしている時は、
本文中にもありますが、
「あなたが使っている○○という言葉は、この状況を表すのにしっくりこない」
「それは言うなら○○より△△という方が適切ではないのか」
そういう議論をよく
します。
流行り?!の「言語化」
というやつでしょうか。
ただ、仕事をしていても、
△△というのがベストだと
落ち着くところまで
行かないときもあります。
○○だとメリット・デメリットはこれ。
△△だとメリット・デメリットはあれ。
と整理したところで、
PDCAサイクルを回すほうに
舵を切ります。
今回は、○○にする。
結果の検証をやってみる。
まぁ、検証してみると、
想像以上に良かったり
するものもあるのですよね。
「それじゃつまらないよ!同じように見える意見でも、違う人間なんだからどこかに絶対違いがあるはずだ。その違いを探るのが面白いんじゃないか」
仕事だと期限がありますから
心ゆくまで議論できないのが、
違いでしょうかね。
プライベートでの楽しみは
そこにあるのかもしれません。
それにしても1%の違いを
逃さずにいれば、意見を
つくることは可能だと思います。
意見が作れなくて悩むのであれば、
違いを見逃さないのも手ですね。
日本人の特性を考えると、
99%の同意している部分も
敢えて言葉にするといいと
思います。
阿吽の呼吸って言葉がありますが、
言語化しないことも多いと
思いますので。
とは言え、日本人は同意する方に
目を向けやすいとのことですから、
1%の違いに目を向けることで、
より意見が出しやすくなりそうですね。
まとめ
1%の違いを楽しもう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?