特に好きな短編集
おはようございます。こんにちは。こんばんは。小萩です。
毎週日曜は「電子書房うみのふね」がのんびりまったり開きます。今日はこちらの海岸に船を下ろしました。みなさまお元気でしょうか。台風一過したり豪雨が降ったりと水害の報せがいくつも届いています。どうかお気を付けて。
さて今週は「一番好きな短編集」です。
なんですがこの週企画にも慣れてきたというかだいぶ気分がラフになってきたもので、わざわざ一番(というかジャンルフリーで一番というのも難しい)を選ばなくてもいいか、という気がしており、「特に好きな短編集」を三冊選びましたので紹介いたします。
「月の文学館/和田博文編」
これは去年の年の瀬から今年頭にかけて実家で少しずつ読んでいた本なのでけっこう新しい方なのですが、好きです。短編集といえば短編集なのですが、月を題材にしたアンソロジーですね。何十名もの作家による短編が収められており、全部で43篇。主に昭和と平成を中心とした作家で編まれています。
私はこれを読むまでアンソロジーが苦手で、というのも作品が終わるたびに作風が変わって頭が切り替えられなくて戸惑うことしばしばでして。それでも買ったのは「月」にただ惹かれたというそれだけなのですが、一読して、アンソロジーというのは手軽にいろんな作家の作品を読める宝庫のようなものだったのだ、と考えを改めました。読んだことのない文豪の作品に自分の興味のある視点から触れられるというのは面白くて、特に昭和期は読んだことのない作家も多くこれをきっかけにして更に別の作品を読んでみるきっかけにもなったりしたので、文学の入り口としても良い本なんじゃないかなあと。小説に限らず、随筆や詩など、さまざまな形の作品が入っていて贅沢スペシャルを詰め込んだという本。昭和、いいです。平成もいいです。
個人的な話にはなるのですが、前述したようにこれは実家で読んでいた本で、昔ながらの漢字遣いも出てくるので出会ったこともないしそもそも読めないというような難解な熟語なども出てきたりしまして、それでこれが読めんと家族に言いながら読んでいました。その中で印象的だったのが「韜晦(自分の才能・地位・身分・行為などをつつみかくすこと、人の目をくらますこと)」だったんですけれども、それを読めずスマホなどで検索して妹とへえ~と感心していたら、「そんなの使うなんて誰?」と母が言ってきたので「伊藤整」と伝えたら「伊藤整なんて読んでるの?」と驚かれたりなどして、母の世代に触れたようでなんだか繋がったようで、少し心地よい思い出でしてそういう意味でもこの本は好きです。
他にも「猫の文学館」や「星の文学館」、最近「森の文学館」も出て、まだ手元にすらありませんが、読みたいなあと思っております。先日行った本屋のレジ横に「森の文学館」を店主の方が読んでいたのであろう形跡があり、やはり読みたいなあ、とふつふつと思いが膨らんできています。
幻想的な作品が多いです。現実から離れて様々なかたちの月を楽しみませんか。
「きみはポラリス/三浦しをん著」
夏の100冊常連本でめちゃくちゃ有名処ですが。
恋愛小説の短編集。私が好きなのは最初「永遠に完成しない二通の手紙」と最後「永遠につづく手紙の最初の一文」の小説と、誘拐された少女と誘拐したおじさんの小説「冬の一等星」と、死んだ先生の骨片を盗んだ女性を中心とした雲行きの暗い小説「骨片」、飼い主を大好きな猫に注目したおもしろおかしい(失礼か、いやでも開くたびに笑ってしまう)ラブたっぷりな小説「春太の一日」です。変幻自在な作家だなあと思うのですが、微細な表現に舌を巻きます。多彩な作品集なので面白い。さまざまなかたちの恋愛があって、どれも普通のかたち(普通、というのもなんだという話ですが)に収まりきらない、ただひとつの愛のかたち、といったものが表現されていてとっても良いんですね。
寺島の髪の先に、小さな煙草の灰がついていた。消えやすい雪に対するように慎重に、指でそっと払ってやった。
この部分が今も昔もたいへん好きで、少女漫画心をくすぐられるような感覚がありまして、ふとした時に読んではなにか純粋に指先に宿るものをとりもどすような気持ちになるのです。
「びょうびょうたる季節/スイミーさん著」
こちらは同人誌です。なんというかまったくもって近しい方ではないのですがSNSで繋がりやすい昨今、遠い作家に比べると一般に近い方を敬称略するにはちょっと気が引けるものがあります。
関西で開催される文フリを中心に活動されている方で、他にも短編集をいろいろと出されているのですが、その最初の作品になります。いや、すごい好きなんですよね。この短編集。一緒にユニットを組まれているいと花さんの小説も文体がおだやかで好きなんです。
文体が良いんですよね。少し不穏で、どこか世界のことわりからはずれているような物語を編むにふさわしい、静かで美しい文章は、流れてくるように穏やかにすんなりと入ってくる。まず冒頭を読んでこれは……!となった感覚を今も追いかけ続けているような気がしてなりません。
ある三月の晩に茶碗が欠けた。
碗が欠けると常ならば表へ出て粉々に割ってから棄てるのだが、もう夜も大分拭けた時刻で、隣近所に迷惑だから明日の朝になってから割ろうと思い、ひとまず洗って伏せておいた。
次の朝、洗顔も朝食も済ませて一息ついた頃、その碗を何気なく見遣ると、なんだか昨晩置いた位置から少しずれているような気がした。妙だなと思いじっくり前の晩のことを思い返してみたが、やはり茶碗の位置は昨日置いたところから僅かに左、移動していた。
この家には同居する人間は居ないので茶碗を動かすものは私以外に誰もいないのだが、しばらく客人も無かったし、無論自分でも触っていない。
夜のうちに虫か鼠が出たのだろうかと思いながら欠けた茶碗をそっと手に取った。するとどうしたことか、さっきまっで茶碗が伏せられていたその場所に、碗の丸みに沿うようにちいさな人が膝を抱えて横たわっていたのである。
(あれま、一寸法師が出た。)
咄嗟にそう思った。
良い。流れがスムーズで滞りがなくてそれでいて足りないわけでなくてすごく好き。
2015年の作品なのでもう売り切れている……ような気がしなくもないというか多分売り切れてそうで通販を確認してみたらやはり売り切れているみたいでちょっと心苦しいのですが以降の作品も素敵なのでどうぞぜひ。
いと花さんの作品もどうぞぜひ。
通販はこちら。
以上、三冊でした。いかがでしたか。
今もまさに「瀬戸内海のスケッチ」という短編小説集を読んでいるところなのですが、短編小説は気軽に読めて、通勤通学などにちょうどいい。私は通勤通学で日常的に公共交通機関を使ったことが無いのでそういう感覚に疎いのですが、もしも使っていたらいい感じだろうなあと思います。日常遣いしやすい短編集、生活のおともにどうぞ、気に入って頂けましたら手に取ってみてください。
来週は「作品世界に暮らす妄想が楽しい作品」です。ご縁がありましたら、また来週も会いましょう。ではまた。ぷかぷか。
たいへん喜びます!本を読んで文にします。