見出し画像

ゲームを隣で一緒に遊ぶこと

画像1


 昔からひとり遊びが好きだった。ゲームもまた然り。

 でも、ゲームに関する実家での思い出は、たいてい隣に妹がいる。

 初めてプレイしたゲームは、ポケモン赤。幼稚園の頃のこと。ゲームボーイをぷちぷちと遊ぶ隣に、覗き込むように妹がいた。ゲームボーイは画面が暗いので、けっこう正面から見ないとよくわからなかったりする。だから、あまりに顔が近いと邪魔! と怒ることもあった。

 でも、64だったりスーパーファミコンだったり、あと、ゲームボーイアドバンスも我が家ではテレビに繋いでできるようにしていたので、テレビでやることが多くなると、覗き込まれて嫌ということもなくなり、私が操作して、それを妹が観ている、という場面ばかりになった。私ひとりでやってることも、いつのまにか妹は寝ていることも多々あったけれど、たいてい目に見えるところにいた。

 友人と通信した経験も思い出としては深いが、さほど積極的にゲームでのつながりを持とうとはしておらず、中学生あたりからはむしろゲーム好きであることを隠す傾向が強くなった。ゆえに、だいたい人とやるとなると姉妹でやることになる。通信した記憶はほとんどない。私がやってるのを妹が見て、たまにその逆もあった。わーわー言いながら、どちらかが操作する。それだけだった。唯一、おばあちゃんちでファミコンをやるときは二人同時にプレイしていた。だいたいスーパーマリオ3なので、同時、というより交代しながら、だけれど。それとか、スーパーファミコンのセーラームーンRの格闘ゲームとかは、あれは同時プレイだった。そういう思い出もある。忘れてるだけでもっとあるかもしれない。

 実家を出てもゲームはする。けれど、昔に比べればあまりやらなくなったのは、興味が広がったことも時間が少なくなったことも勿論あるけれど、私にとって大きな要因は、隣で一緒に楽しんでいた妹がいなくなったことにあると思う。

 楽しんで、Twitterで呟いて、ネット上のひとと感動や驚きを共有したり、マイク音声で通信しながら一緒にプレイできることも可能になったけれど、リアルタイムでのわくわくや瞬間瞬間の楽しさをすぐに分かちあえることに勝る面白さの増幅は、なかなか無いんだと気付かされたのは、一人暮らしを始めてから。

 基本的には一人は自由で好きだけれど、あの楽しさを日常的にできる日々が懐かしくなったりもする。


 つい先日、ちょっとした連休をとり、越境も許可されていたのと諸々の理由があり帰省した際、スイッチも一緒に持って帰った。妹とどうぶつの森を通信するかもしれないから。

 実家の巨大なテレビ画面ときれいな音声に感動しながら、姉妹でわーわーと騒ぎながらゲーム。どうぶつの森や、ポケモンなど、既に持っているゲームを囓りながら、せっかくなので新しいゲームもやろうと、雨音が部屋の中までうっすら響く中、絵本のようなビジュアルのかわいらしさに惹かれたうえ、謎解きという要素が一緒に楽しめそうなので「Rain City」を初見プレイ。二人で謎を解いて、途中どうしてもわからなくなったりしながら、やっぱり一人でやるのと傍に誰かいる状態でやるのは、全然違うんだな、と実感。

 そんな妹から進められた「UNDERTALE」。序盤だけ実家で一緒にやって、途中からは一人の部屋に戻ってからプレイし、先日ひとまず一周目Nルートをクリアしたことを報告。

 隣でリアクションを観たかった、という言葉に、私も、隣にいてくれたらもっと楽しかっただろうなあ、と。

 ゲームは、もちろん楽しい。でも、隣に誰かがいると、もっと楽しい。こっそり一人でやりたいゲームもあるけどね、でも最近はそういうのも減ってきた。こころが懐かしがっているのだ、あの頃の気楽な楽しさを。

 また、一緒に遊びたい、と思うとき、誰かといることを望んでいる。


 ちなみに、なぜ今、猛烈に隣にいてくれれば、と考えてやまないのか。それは「UNDERTALE」のGルートがまだ序盤にも関わらずつらいからである。

この記事が参加している募集

たいへん喜びます!本を読んで文にします。