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朝の記録 0312-0316

3月12日(金)の復活

 モンちゃんがいつまでもかわいい。
 Twitterのトレンド欄をたまたま見ていると「ファンモン」というワードが入っており何事かと確認してみるとどうやらTBSの音楽の日で一夜限りで歌うということで、中高生時代に彼等に熱中していた私は慌ててテレビをつけて、二十二分ほどの出演を見守っていた。あとひとつだけかと思ったらまさか三曲も、しかもフルでやってくれて、番組は太っ腹だなあと思っていた。歌い出して一発目、ガンガンに音を外していって下手くそだなあと思わず苦笑してしまったのだけれども(モンちゃんは今も上手かった)、久しぶりに泥臭いただただ叫ぶような歌を浴びてなんだか目頭が熱くなっている自分がいた。あまりにもドストレートな歌詞が未だに響いているのか、三人が揃っている姿を見られたことに感動しているのか、感情はよくわからないことになっていた。ファンモンの歌詞がいつ頃からか響かなくなって、もう随分と長く聞いていなかった。それなのに久しぶりに聞いてみるとどこか新鮮な歌に聞こえてきた。いいからとにかく生きろやとにかくがむしゃらにやってみろやという声のようで、その体育会系的ながむしゃらさが歳を重ねるにつれてずれていったように思うのに、なんだか改めて、そうだよなあ、地を這いつくばって泥だらけで生きることを突きつけられたようだった。
 スイッチ入ると必死になってどんどん苦しみながらも頑張らなきゃいけない時には頑張らなきゃならんので、そういう時にもう一歩頑張れ格好悪くたって力を振り絞れというファンモンの歌に励まされていた時があったのだ。
 それにしてもモンちゃんはいつまでもかわいいな、ともう彼はとうに四十を過ぎているはずなのでかわいいという言葉がいよいよ不適切なんだろうけれども、なんというかいい意味で全体的な雰囲気がファッションも含めて変わっていなくてその存在自体の肩の力が抜けた雰囲気が、やっぱりかわいかった。そして歌が上手い。
 ケミカルは住職、他二人はソロ活動としてそれぞれ頑張っていること、知っている。でも加藤さんは不倫以来聞けなくなって、モンちゃんもなんだか追わなくなっていた。夕べ三人が揃って、じゃあ果たして推しであるモンちゃんの活動を追うかというとそれはまた分からないのだけれど、番組冒頭でモンちゃんが三人揃うと何か起こるといったような、彼等三人が集まることによる力を今回びしびしと感じたのだった。切ないな。でもなんだか凄く嬉しかった。
 暖かい休日だったので日中はほとんどベランダで過ごし、本を二冊併読。「JR上野駅公園口/柳美里」と「プルーストを読む生活/柿内正午」。
「JR上野駅公園口」は思っていたよりも短かったので、読み始めてそして読み終えた。
 上野駅といえば動物園のイメージが強い私だったが、物語の主人公はホームレスの老人であり、彼の生涯について書かれながらホームレスの生活状況を描いた小説だった。天皇と同じ年齢で、皇太子と同じ年に生まれた息子をもちながら、息子は若い頃に突然死し、妻にも先立たれ、やがて東京に流れるようにやってきて家も無しに上野駅周辺で生きる姿を読んでいて、そういえば上野駅は第二次世界大戦後に浮浪児が全国から引き寄せられるように集まってきて、地下道には何千という家のない人々がいた場所だったことを思い出し、それについて書かれた「浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち/石井光太」を思い出した。戦争によって身よりを失って戸籍がわからず自分の本当の名前も分からないまま老いた人、ヤクザへとなっていった人たちの半数以上が浮浪児であったこと、文字通り地を這いつくばりながらそれでも生きるしかないから生きていた人たちのことを思い出し、「JR上野駅公園口」もまたそうした物語だった。
 全体に流れる無常観。雨の音や念仏の声が静かに耳の奥で鳴り続ける。ホームレス同士のどこかあたたかさが感じられるやりとりはすぐに消えて、家を持つ人たちに蔑まれ、住処を追いやられ、日々アルミ缶を集めゴミ箱を漁り、これはフィクションであるけれどもほんとうの話で、そうして生きている人が確実に日本にはいる。
 小説って、文学って、すごいな、と月並みのことを思う。ノンフィクションではない、フィクションとしての世界だからこそ訴えられる世界、小説だからこそ浮かび上がる文脈、生み出された文章がある。そしてこの小説は遠いアメリカで評価された本だということがまたすごくて、アメリカの人々はこの上野駅周辺でのことをどう感じたのだろう、アメリカもまた、似た空気が流れているのだろうか。アメリカはより一層貧富の格差が凄まじいように思うが。
 あとものすごくしょうもないのだが、果たして念仏はどのように翻訳されているのだろう。気になる。
「プルーストを読む生活」は、いつだったか気になっていた引用ばかりの日に差し掛かって過ぎていった。それは夏休みだという文脈での出来事だった。「宇宙よりも遠い場所」について良かったと言っていてそれに全力で同意した。あれは良いアニメで、かつて私もまたべそべそ泣いていた。泣くと思って見たアニメではなかったけれども、終盤はずっと泣いていた。自分が好きなものを誰かも肯定してくれていると嬉しいし、どこが良かったかをきちんと言語化しているのを読んだり聞いたりすると感心しそして安心する。じっと読んでる日記が少しずつ少しずつ終わりへと近付いている。
 夜はお風呂に入りながらまだ「新潮 2021.03」が続いており、たまたま開いたら多和田葉子だったのでそれを読むとめちゃくちゃに良かったから、散歩をしたくなり、そして多和田葉子を読みたくなったので「遣灯使」を読み始めた。これも全米図書賞を以前取っていたことを思い出し、そういう流れ、ベストセラーな流れ。「読書の日記/阿久津隆」で推されていた「百年の散歩/多和田葉子」を読みたくもなってポチろうか考えたけれども、今は本を買うのを抑えているのでやめた。それはもう少ししたら大盤振る舞いで本を買おうという計画に微笑んでいるからだ。悪の組織のボスが浮かべるような余裕とカリスマ性と野望を含んだとっておきの笑みを模しているだけであって、私にあるのは野望ただ一つだった。本を買うという、慎ましい野望である。


3月13日(土)の嬉しいことごと

 昨日は嬉しいことや驚きなことがなんと三つもあったからそのことを書こうとわくわくしていたら、夢で推しの二次創作をしてその本を売っている夢を見た。その推しを昨日ガチャで当てたのは確かに昨日嬉しかったことの一つだったが、夢にまでしっかり影響を及ぼしていることに我ながら驚愕しそして朝から苦笑する。推しは生きる世界を笑える平和なものにしていく。
 三月で部内で辞めるもう一人が昨日が最終出勤だったから、まだ一歳にもならない子供の写真を最後に拝ませていただき、かわいいかわいいと感嘆しながらそしてちょっとだけ今後のことだったりを話した。畑のことを話すといいカモフラージュになることに気付きつつある。畑をもっとやっていきたいことも間違いではないのでカモフラージュという言い方もちょっと違う気もするけれども、こいつこれから農業やっていくんやろうかという目で見られるのもそれはそれで面白おかしいものだった。
 そうして帰っていつも通りポストを覗くと半透明の白い封筒が入っていて確認してみるといちかわともこさんのオンライン展示のDMが入っていて、わあ、と喜びが溢れる。いつ見ても素敵な作品を作られていてわくわくするから土日は展示を見ようと思って目を全体に配っているとnoteを見たという旨が書かれていて硬直した。結構前のことだから、その記事を出した時にいちかわともこさんの名前をたとえばTwitterで出したかどうかをきちんと覚えていなくてでもとりあえずそのnoteとこちらが一致されたようでうわあ、とそれは驚きと恥ずかしさと、でも嬉しかったのは、喜んでくださったからで、すごいなあ、嬉しいなあ、と笑っている。
 その後音ゲーをやっていると次のイベント情報が公開されていた。推しの新規カードがピックアップされたガチャは昨日ではなくもう二日前くらいに公開されていて即座に十連ガチャをしたのだけれどもかすりもしなくてものすごく悲しくなったのでその場は十連で抑えたのだけれども、昨日やっぱりとても欲しい!!!と思い無課金でいつのまにか集まった石は十連ガチャ二回分ほどは回せる量があり、二十連で来て欲しかった、そうしたら二十連の最後の最後で出てきて、心の中で歓喜のオーケストラ。推しがとてもかわいくて昨日も今日も明日も平和。言うても最高ランクの☆5ではなく☆4だったので、これがもしも☆5だったならば地獄だったろう。おこぼれで別キャラの☆5もやってきてものすごく有難かった。推しじゃなくてもみんな好きだし慢性的火力不足なので誰が来てくれても嬉しい。
 それでうきうきしながらTwitterを開くと、フリーランスで即興ピアノ演奏をされている真島こころさんが、「どこかの汽水域」を買って読んでくださって、最初に収載されている「墨夏」の冒頭をイメージしてピアノを弾いてくださったというとんでもない通知が届いていて震撼し推しどころではなくなった。ものすごくありがたいことに、こうしたイメージ曲をもらったことは初めてではないのだが、ふと、それはあまりにも運がいいというか、私の周りはすごい人が多すぎることに今更のように気付いた。ずっとわかっていたけど、改めて気付かされたのだ。
 こころさんの演奏はいつも優しい。繊細で、いつも穏やかな気持ちになる。そして「墨夏」に寄せられた曲は、文章から立ち上がったイメージを音にしてくれたようで、音を聞くと文章にされていたあの世界の朝の光景がすべて立ちのぼってきた。朝の光、夏の山と空、そして舞台となる川、おばあちゃんち、そこに置かれている机やラジオ、古びた台所、畳、梁、柱、縁側、虫の声、木々の豊かな緑、襖を開けていく音、おばあちゃんが歩いている音、ひなこの瞳、両親の寝顔、ひなこがそっと布団を出ていく姿、すべてが見えて、あれ、いつのまにこの「墨夏」は劇場版になったのだろうか、と思った。仮にこの小説が短編映画になったら、その冒頭、スタッフクレジットが流れながら、ゆっくり次々と舞台情景のカットを入れながら曲と共におばあちゃんやひなこにフォーカスしていきそして物語が始まっていく、そうした冒頭が見えた。私は映画館の椅子に座っていた。この頭の中に浮かんでいる映像を形にしたい、本当は。素敵な曲をいただいて、その幸福を噛み締めている。
 ずっと嬉しい夜だった。そんな夜でいいのか戸惑うくらいに何故だか嬉しいことがどんどん降り注いでくる夜だった。


3月14日(月)の悲観

 あまりにも身体が重たく起きるのが結局昼前となってしまった。ぎりぎり午前中に起きれて良かったけれども。生活の変化に伴うストレス疲労もあるかもしれないけれど、恐らくはPMSの影響が強く出ている。皮膚の状態もすこぶる悪くアトピーがあちこちに生まれていて苦しい。いい加減皮膚科に行かなければならないと思う。髪も切りたい。なんだか不健康な感じ。
 月経周期アプリのおかげでぼんやりと日々を過ごしていてもそろそろ時期だと心積もりができて、そうはいっても備えられることといえば外装の部分で、内面に関してはどうしようもなく、できるだけ穏やかに、その瞬間瞬間に求めている声に耳を傾ける他ない。
 休日に晴れたベランダでぼんやりしたり打鍵したり読書したりしているのが一番今幸福かもしれない。陽射しが少し暑いけれど。春と秋のちょうどいい気温の頃だけの特権だ。外出自粛がシビアだった去年、この時間にどれだけ救われたろう。よく晴れているからきっと畑は生き生きとしているだろう。水をやって雫が太陽の光を反射して、心なしか植物たちが元気になったように見えるあの瞬間がとても好きだ。片足の爪先だけ突っ込んでいる程度しかやれていないが、もっと畑のことを学びたい。
 昨日どうやって過ごしていたか、という記憶がとても朧気だ。Youtubeで見ていたライブ映像で、一人目のラッパーの言葉が突き刺さってきたこと、その突き刺さった穴が心に残っていて、どういった言葉が槍となったのかをきちんと記憶していない。弱者がどんどんふるい落とされていくこと、切り捨てられていくこと、いないものとして扱われていくこと、を、歌っていた。ああそうだ、自分は悲観的な人間だと断言したのだ、MCで。夢や希望や感動という言葉がどんどん薄っぺらく思えるようになって、それらを前面に押し出し、押し付けようとしてくるものよりも、いつのまにか、悲観的だと断言して、死んだ方がいいんだろうとさらっと言う人の方に共感を覚えるようになった。感情は人それぞれで勝手に抱くものであって、こちらの感情を代弁したように、それを「みんな」というくくりや「国民」というくくりで誰もが抱いたというような言葉でなされるのが癇に障る。感情に限らない。だからそれぞれ自分の言葉を話してそれに対して勝手に共感したり勝手に反感を覚えたりして、それでいいはずだ、それがヘルシーである、……のだろうか。
 昨日働き終わって、実働はあと一日になった。なんだか疲れたな。


3月15日(月)の夢

 毒殺する夢を見た。職場の、部内の人を手にかけていた。理由はよく覚えていないが、そうするのが仕事、というような雰囲気だった。皮膚から吸収される毒で、天井に設置しているエアコンの取っ手に貼り付け、調子が悪いようだから見てほしいと声をかけて、そしてやがて毒がゆっくりと回って血を吐いて死ぬというものだった。その時実感はなくて、その後たまたま出会ったその人の家族が泣いている姿を見てようやく感情が少し動いた。その後、エアコンにまだ毒がたまたま付着していて、ほんとうにエアコンの調子が悪くなって自分が様子を見たところその毒が付いたのか、でも毒に耐性があるのか(どういうことだ)、ゆっくりとすぐには回らなくて鼻血が突然出て恐ろしくなり、○○さんと同じものが付いたのかもしれないとその場にいた職場の先輩に涙目で震える声で訴えて励まされながら医者のところへ連れて行かれて死ぬかもしれないと恐怖に襲われながら(でもその一方でどの面下げて泣いているのだろうあほじゃないかなと遠くで私は思っている)目を覚ました。夢で殺した人は今日も生きていて、別に私はその人に対して殺意どころか嫌悪も抱いていないしむしろ慕っている、なんで夢で殺したのかよくわからないけれども、生きていてくれている現実で良かった。
 警察が機能していればあっさりと逮捕されている夢だったろう。
 出勤最終日に見るにはあまりにもタイミングが悪い、居心地が悪くなるような夢だった。久しぶりに血生臭いものを見た。

 昨日は昼過ぎに畑に行く。よく晴れていた。気分が晴れない状態だったけれども、野菜たちが茂っている姿を見るとなんだか元気が少しずつ沸いてくるようだった。秋に種を蒔いた大根が順調に太くなってきており、一本収穫する。ぐっと手に力を込めて引っこ抜く。十五センチほどの長さの大根が姿を現した。楽しい。春キャベツも収穫する。あまりに立派でほくほくする。他、レッドレタスもちまちまと収穫。
 本当に小さな畑だからあまり頑張りすぎずにやれているけれども、本業で農業をやっている人はもっと広大で巨大な畑を管理していて、それを改めて凄いと尊敬する、それは大根一本抜くのに地味に力が必要だったからで、非力だからということもあるけれども、これを何本も何本もやる必要があってしかもそれは商品となるのだから形が悪かったりすると出荷できなかったりするということもあるだろうし、大変なことだ。育てている誰かがいるからスーパーには食べものが並んでいる。
 大根は味噌汁にして葉も実もいただいた。小さい頃大根が苦手だったけれども、今は大好きで、好きになって良かったと大根の味が滲みた味噌汁をすすりながら思う。


3月16日(火)の終わりと始まり

 今朝は曇っている。ぼんやりと白い向こうにきっと太陽が昇っている。
 美しい花束や餞別の品をいただいて、たくさんの人とお喋りをして、昨日無事、退職の運びとなった。実のところまだ少し残っているこまごまとしたことがあって、今日行くのだが、部内に寄ることはないのだし出勤ではないのでやっぱり昨日が最終日で、あんまりそういう実感のないままにいたのだけれど、いろんな人と喋る中で少しずつ実感が湧いてきた。朝、冷たくて寒いけれども、ふわふわとした暖かい寝間着の上に更に暖かいブランケットを羽織って、冷たさを指先に求めるみたいに外にいる。そして、この平穏な時間がずっと過ぎていくのだということを思う。ずっと、は、永遠ではないのだけれど、しばらくは、こうしていられるのだと思って、思い込もうとして、実感を得ようと努力しているような気がする。
 ここは終わりで、始まりだろうか。
 きちんと言語化しようと思うのにまとまらないというか、まとまらないどころか浮かばないといったぽんこつ具合で、随分と空白で、夕べの、アドレナリンがどばどばと出てきてとても疲れたことがまだ尾を引いている。眠たいわけではない、しっかりと寝た、けれども、なんだか言葉が出てこないのだ。

 昨日、様々な人から言葉をもらった。
 どんな道に進んでいくとしても、すべてのことは人に繋がる、ということ。人のためになっていくということ、それを忘れないでいること。
 広い視野は育っているから、今度は時間軸として、過去、今、将来と、奥行きをもたせて考えることが、これからどんな人生を歩んでいったとしても、大事になっていくこと。
 努力はできる人だから、定めていったら、きっと大きなことができるようになっていける、ということ。
 人生はいろんな道があって、思わぬ方にいったりするけれども、どうにかなるよ、ということ。
 力はちゃんとあるよ、ということ。学んできたことをちゃんと還元できることは、教えた人の力ではなくて、ちゃんとあなたの力と言っていいんだ、ということ。
 もっと教えたかった、教えるべきだったかな、ということ。
 よく頑張ったと思うよ、ということ。
 頑張ってね、ということ。
 なんだかいいことばかり書いているけれども、最後だということもあって、励ましや、いい言葉ばかりもらった。本音ではいろんなことを思われていたとしても、今はその言葉を言葉として、きちんと受け止める。こうして書いているのも、覚え書きであり、同時に、ちゃんと受け止めるために書いている。私は言葉を受け止めるのに、時間がかかる。だから、声で聞いたり伝えたりすることが少し苦手で、文で読んだり書いたりする方がちょうどいいのだと思う。速度、の話。
 たくさん助けられた、という言葉をいろんな人からもらったけれども、助けられたのはこちらで、助けられたからこそ助けたいと思った。その当然の営みをここでやっていた。大変だったけれども、こういう風に励ましてくれる人、大事にしたい言葉をかけてくれる人に恵まれた場だったのだ。それは、本当に、価値があることだと、私は思う。書きながらまた思い出して涙と鼻水が止まらなくなっている。

 一時期、自分の普段の生活状況を可視化できるように、Googleカレンダーで、いつ何をしていたのか、予定ではなく実際の記録を記入していたことがある。五月や六月のあたりだったと思う。仕事をしながら創作時間を捻出するにはどうしたらいいのか、あるいはどういったリズムで創作したり読書したり勉強したりするのが自分にとって一番ちょうどいいのかを模索するためにしていたことだった。そうして記録してみると、八時半から十七時半、実際は移動時間や残業などが入ってくるのでもっと多くなるのだが、一日がとりあえずそうして大量に労働に割かれること、それは言ってしまえば当然のことではあるのだが、それが目に見えて明らかとなってしんどくなり、これだけの時間を割いて、そして体力と心を削る、それは本当に自分にとって正しいことなのか、と思ったのだった。
 生きていくのに、労働は必要なことだ。日々勉強でもあり、働かざる者食うべからずとはその通りだとも思う。だけれども、そうして大量の時間をとられるのならば、自分の納得できるように使わせてほしいと思うのはそんなに変な発想では、恐らく、ない。なにも大変な仕事をしたくないという話ではなく、仕事というのは往々にして何かしら大変な部分がある。そこで見いだせることも、得られることも、ある。救われることもある。忙殺されるからこそ、目を逸らしたい大事なことから背けていられることだってある。
 だけれども、大事なことをもっとまっすぐに大事にしてもいいのではないのか。もっと違う生き方ができるのではないか。すぐパニックを起こして思考停止しそうになる脳ばかりを頼りにせず、開かれた外と自分を繋げて、身体で生きるように生きていくことが、できるのではないか。そうしたことを、ベランダに出ながら風を受けて打鍵をしながら思う。外に向けて言葉を放ちながら思う。畑をして土に触れて育つ植物たちに触れながら思う。空の移ろい、季節の移ろい、そして自分自身の体調の変動に耳を傾けながら思う。
 坂口恭平の「独立国家のつくりかた」に書かれていた、公園や川、歩いて行けるすべての場所を自分の家のように言ったホームレスのことを思い出す。ついこの間「JR上野駅公園口/柳美里」を読んでこの世の無常に打ちひしがれたばかりなので、なかなかあれほどのたくましさで生きていける人ばかりではないとは思うものの、それでもどうにかいる場所で生きていくということは、根底で繋がっているだろう。生きていることそのものが、抵抗のようだ。生き方は一つではないし、複雑なモザイクやグラデーションの中に生きている。その繊細な色の移り変わりの中にいることを、時に忘れやすい。
 抱いている強い違和感への抵抗なのだ、今の時間もまた。けれど何に違和感を抱いているのか、もっと具体的に言語化していくことは必要だろう。何に対して抵抗するのかを明らかにしたら、言葉が生まれ、景色が見えていくのではないか。それを、この世のあらゆる出来事に触れながら、考える。あらゆることを、他人事として些末に扱ってきたから、まずはちゃんと知ることから始まっていくだろう。
 生きることへの抵抗もまた、生きる、ということで。
 頭でっかちに考えようとしてもきっとうまくはいかないだろう。どうせ思ったようにはいかないのである。これまで通り、やってみたいと思ったことをとりあえずやってみる、と軽やかな風のように身体を動かしながら、同時に土に根ざすように下へ下へ、目に見えない部分を育てていく。本を読んで、創作をして、少しだけ、人生の休息を味わいながら、これからのこと、歩きながら実践しながら抵抗しながら歩いていこう。Googleカレンダーの八時半から十七時半は、ぽっかりと空白になった、そこに何が注ぎ込まれていくだろう。わからないけれども、きっと無駄なことは何一つ、ないのだと思う。
 日々ままならないことへのささいな抵抗のように綴り、散らかしたまままとまらないこの「朝の記録」は、これから違う場所へと向かっていきながら、それでも私という人間は変わらないまま、抱えたまま、ふらふらと暗闇の中を進んでいき、そうして小説に、絵に、また辿り着いたら、きっとまたおかしなものが出来上がっていくだろう。
 ようやく重たかった身体が起き上がってきた。朝がきた。きっと大丈夫。何が大丈夫なんだかまったくわからんけど、どうにかなるよ、と遠くで笑う声がする。


*


一回終わります

 2020年8月29日、朝起きて思い浮かぶことごとを記録するように文章を綴る。そうしたことをやってきて半年以上。その過程で、さまざまな本を読み、そして心情の変化や発見、身の周りの変化がありました。ほとんど読書していたような気がするので見た目には立ち止まっている時間の方がずっと長かったようにも思うのですけれども、でも常にどこか違う場所に立ちながら、どうでもいいことも思ったり書いたりしながら、歩いています。
 今回の日記にもあるように結局退職して、振り返った時、この「朝の記録」は、多くの人が現状に対して閉塞感を抱いてそれでもなんとか生きようとしているのと同じようにまたもがくように生きてきて、そうしたことが結果としてまとまった感じがあるので、一度ここで第一シーズンというか、第一クールというか、「朝の記録」というマガジンを閉じたいと思います。でも今もなお毎日朝書いているので、ただまとめるだけで、次からはまた違う名前で始めようかなと思っているのですが今もまだしっくりくる名前がきていません。そういえば「朝の記録」を始めた頃も「朝の記録」ってダサいなあもっといい名前ないかなあと考えたものでそうしたことも書いたりした日があったけれども結局「朝の記録」のままでした。
 当初は、この日記をまとめて本にするつもり(そして11月東京文フリに出すつもり)だったけれども、結局文フリに関しては東京は入金忘れで無くなって京都は中止になって、だけどずっと続いていて、もう本にするためとかそういう感じではなくなっていて、私にとっては、生きることを相手とした戦う生活の断片なんですね、ぐだぐだしながら。退職するまでを、今のところは自分用に一冊作ったらそれでいいかなあと思ったりしながら、最近編集作業のために読み返したりしていると、調子の良い日もあれば悪い日もあり、面白いですね、自分が書いた文章だから大体自分好みだし、完全に忘れていることごとも残してあるからこんなことあったなあと、あ、宇宙の片隅に保存されているようだ、と嬉しくなったりもして。死んでない! 存在してる! と気付く。だから、あ、書いてきて良かったなあなんて、後付けで思います。ありがたいことに、たまに日記も面白いと言ってくださる方もいたりして。読んでいる人いるんや、という驚き。(卑怯な言い方になりますが、もし本で読みたいという人がおられたら、ちょっと考えます。)
 先の見えない「書くことをまんなかにする」ことを模索する新しい日々も今まで通り、オープンとクローズのあわいを彷徨いながら、読書しながら、作りながら、垂れ流していきます。特別でもなんでもない日々を生きていきます、どうにかね。


 記録の続きはg.o.a.tで日々更新しています。


たいへん喜びます!本を読んで文にします。