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農業最強説の検証 〜原始生活から現代までを追体験〜

3月から知り合いが管理していた山菜畑を「山菜は管理がしやすいから素人にはもってこいだ」とうまく乗せられ、あれよあれよという間に引き継ぐ運びとなり、現在肩書きは役者、積極的ニート、環境活動家、山菜農家と複業化していっておりますw 複業と言いつつどれも収入にはなっていないのですがw しかしこれからの社会は収入だけではない価値観も増えていくのだろうなぁとも。

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青年海外協力隊として中米のパナマで活動した際、食物を自給できることの重要さを体験したことから農業(漁業、酪農)への関心は高かったのですが、ここにきてようやく自らやることになりました。

コロナの影響で基本家にいる(そもそも昨年1年間は積極的にニートをやると決め込んで家にいることが多かったので生活スタイルに全く影響がない😆)のですが、週に2度ほど今が最盛期の山菜収穫と畑の管理に通っています。家から畑までは片道35キロ。車を所有しておらず、3密を防ぐため公共交通機関も使用しないのでチャリ通です! 往復にかかる時間はおよそ4時間。ちょっと長いなとは思うのですが、乗っているとそんなに時間が経っているようには感じません。どっちにしろ週に3日は運動をして毎回2、3時間費やすので、通勤に費用もエネルギーもかからずエコだし、景色も綺麗で楽しく運動でき一石五鳥ですw 

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畑周辺は猪も出ますし(私はまだ遭遇していません)、農作物は荒らされてしまうこともあるのですが、山菜は猪も食べないので無傷です。それに苦味やえぐみを美味しいと感じる民族は世界でも稀なんです! 確かに下処理が必要な分多少手間のかかる山菜もあるのですが、日本人が古来から食してきた天然の野菜は固有の食文化です。苦味を美味しいと感じるのは食文化が発達・成熟している証拠でもありますしね!

寿司やしゃぶしゃぶなどを食べ尽くした外国人の方々には今後山菜など日本古来のものも人気が出てくると考えています。私が海外に行くときは地元の人が美味しいと言って食べる地元料理を食べたいですしね。そこでしか味わえない食材の方が価値があると思いません? 古い文化があるのは外国から見れば最高に羨ましいことですからね。山菜を食べなくなった日本の若い方々にもまた美味しく食べていただきたいなと。調理法や新しいアイデアレシピなども一緒に提供できたらなと。

さて前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。

− ぷち原子生活体験

青年海外協力隊の時は電気も水もない本格原始生活もしましたが、最近では現代生活にどっぷりだったのでコロナで社会的距離をとる意味では良い機会かと思い、現在移動は自転車、収穫は手作業。収穫量もそれほど多くないですし、販路を持っている訳でもないため、収穫した分を地元に卸したり個人消費用にしています。

先日は友人にお裾分けするため、畑から40キロ離れたお宅まで届けに行きました。友人は着払いで送っていいよと言ってくれたのですが、運送屋さんは猫の手も借りたいほど忙しいですし、不要不急な配送は自粛し、ちょっと遠まわりだけど新鮮なものを届けようと自ら向かいました。

普段は川沿いを走るのでほとんど急な坂はありませんが、初めて通ったこのルートはアップダウンが激しく、途中で「なんて約束をしちまったんだ!」と半分後悔しましたw ですが約束を守りたかったですし、喜んでもらえたらいいかと悲鳴をあげている太ももと農作業で痛くなった腰のことは考えないことにしましたw

そして自転車を漕ぎながら途中こんなことを思いました。現在コロナ禍の中配達してくださっている方々や流通システムってありがたいなぁと。これを千円で配達してくれるってすごいなと。2時間かけて自転車で千円で配達してくれと言われたらやらないですねw こういう大変な経験があったからこそ、今の便利なシステムが生まれたんだなぁ。やはり人間はすごいと思う反面、人間の楽をしたい欲求がこのような便利で新しいシステムを生み出し続けるのだなと。それなのに我々は一向に楽な生活をしていないのはどういうわけでしょう? この機会に生き方や社会システムを見直すのは重要ですね。

− 思いがけずギフト(物々)交換で感動!

友人宅へ着き山菜を手渡すと、お返しにと玄米やゼリーをいただき、届ける約束を後悔していた自分を恥じたと同時に、そんな暖かい心遣いにすごく癒されました。そしてもう1件すぐ近くの友人宅へも持って行ったらそこでもお返しにお菓子をいただき、心が洗われました。人ってなんて優しいんだ! こういう循環が増えていけばいいなぁと思いました。

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− 我々はどこへ向かうのか

元々人類が農耕を始めたときは自分たちが消費する分だけでよかったのでこんなに移動して運ぶこともなかったかもしれません。それが村の拡大やコミュニティー同士の交流が広がるにつれ生産が増え、交換が始まり、そこから奪い合いへ発展し、広域化する中で物流と共にお金が生まれたんだなぁと歴史に思いを巡らせていました。

そして思考が現代に戻り、こんな妄想をしてみました。

現在コロナで様々な社会システムに混乱が起きています。もし物流も滞るほどになったらどうなるでしょう? 海外からモノが入って来なくなり、国内の食料自給率は低いので、すぐに食品の値段は高騰します。お金を出して買える人しか食料にありつけず、それもすぐに尽きてしまうでしょう。そしたらいくらお金を出しても手に入らないことになり、お金も意味を持たなくなります。

そのとき一番優位に立つのが食料生産者です。高額で売れるならまだ良いですが、高額を出しても買えないほど食料が減ってしまった場合どうしましょう? 私が農家として食糧を持っていたとして、欲しい人は大勢いても十分にない。お金も意味を為さなくなった場合誰にだったらあげますか? 家族や友人、お世話になった人? もしくは誰にもあげませんか? 力づくで奪われる可能性もありますよね。生き残るために自衛をしなくてはならないかもしれません。そうしたとき弱者は強者からただ奪われるのです。では“ガードマン”を食べ物で釣って雇いましょうかね? そのガードマンにも裏切られるかも? などなど不安は尽きません。

結局人間の歴史とは奪い合うものになってしまうのでしょうか? 我々はいざというときの自衛の手段として自衛隊“ガードマン”を組織するのなら、食糧を自給できるようにも組織しておくべきではないでしょうか? 行政の業務をもっと効率化(IT化)させ無駄な人員を減らし、その分農業従事者を雇用し、安定的な生産量を確保するのはどうでしょう。そうすれば最低限奪い合い・争いだけは防げます。(農業もIT化していくでしょうがそれまでは人手が必要です)

現在農業は高齢化、後継者問題、耕作放棄地などで衰退していますが、一部国が管理することで海外への依存度を減らし、食料自給率(国力)を維持するためや失業者・シルバー人材の雇用、一部の農業従事者への依存度を減らしたり、365日管理しなくてはならない農業・酪農従事者にももう少し世間一般並みの生活を選択することも可能になります。さらに自然と触れ合うことがうつ病回復に効果があることも多数報告されています。

ただ、今の政府を見る限り、政府に任せておくのは賢いアイデアとは思えませんよねぇ。アメリカも日本はおいしい取引相手ですし、一筋縄ではいかないですよね。一方カナダのトルドー首相は演説で失業者に対する農業従事をサポートする案を表明しています。

https://www.cbc.ca/player/play/1726047811629/

私が現在畑でお世話になっている方々は70歳前後ですが、たくさんの知識と経験を持っています。私の知らないことばかりでたくさんのことを教えていただいています。このままこの知識や経験を無かったものにさせるのは本当にもったいない!

地球規模で広がる温暖化も、身動きの取れない個人農家がうまく対応をするのは難しいですが、国全体として対策を講じていけば、専門家や研究者を活用できますし農地や作物の変更もしやすいのではないでしょうか。

そうした人材活用や複業という生き方が広がり、隙間時間でちょっとだけ農作業で小遣い稼ぎをする人も増えるような社会システムを整えていきたいですね。そして何より楽しくなくては!

農作業だけをずっとやるのは大変ですが、ちょっとだけなら実はすごく楽しいんです! 1、2時間だけならいい運動にもなるのでダイエットもできてお小遣いももらえるならどうですか? 人と話さなくてもできることが多いので、もの思いにふけることもできますし、好きな音楽を聴きながら楽しんでやることもできます。それでお小遣いがもらえるのはなんか楽しそう!って思えません? 親子で参加したら子供には良い遊び場にもなります。

ちょっと古いアンケート調査ですが、田舎暮らしをしたい20〜30代が半数近くもいるようですし、リモートワークが今回の件で普及すれば、田舎暮らしにより魅力が集まってきますね!

面白い世の中になってきそうです!

https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK23032_X20C12A3000000/



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