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母星

短編小説

◇◇◇


母星

 私たちの祖先は、何世代にもわたって船の中で子孫を繋いできたと言われている。船の中で生まれ、船の中で成人し、船の中で子を儲け、船の中で生涯を終える。私たちの祖先の目的は、四光年離れたところにある水の惑星に子孫を届けることにあったとされている。私たちはまず、そのことを親から教えられる。学校に入ってからも最初にそのことを学ぶ。私たちはこの惑星で生物として発生し、長い歳月をかけて進化を遂げてきたのではない。大気圏を突き破って明るく燃えながら地上に到達する隕石のように、私たちは外部からこの惑星に届けられたのである。そしてこの話の最後に、私たちはいつもこう聞かされる。私たちには母星がある、と。


プロキシマb

 母星に棲んでいた私たちの祖先が、どのような理由でこのプロキシマbを目指して長い航海を決意したのかは謎に包まれている。小さな衛星に匹敵するような巨大な船を建造し、それに数億人が乗り込んでこの星に到着したという説もあれば、規模の小さな船で大船団を結成し、途中で故障や内紛で離脱する船を出しながらもわずかに生き残った船が、やっとのことでこの星に辿り着いたのだという説もある。いずれにせよ、プロキシマbにそのとき持ち込まれた母星の古代資料には、多大なリスクを覚悟してまで恒星間移動を決行した明確な理由を示すものは見つかっていない。ただ、私たちの祖先の目的が、最初からプロキシマbへの移住を目指していたことは間違いないとされている。なぜならこのプロキシマbは、母星と同様に、表面のほとんどが水に覆われた惑星だからである。私たちの祖先は、おそらくそれを知っていた。今の私たちが持ち得るものよりも遥かに優れた天体観測設備とテクノロジーで、母星の環境と酷似する太陽系外の惑星を、事前に探し当てていたのである。学校の授業で、あるいは恋人とのデートのとき、あるいはディナーの前の空いた時間に、私たちは今でもプラネタリウムを鑑賞する。そのとき、必ず一度は以下のような説明を、ドーム型の天井に映し出された星の映像とともに聞いたことがあるだろう。

「今、私たちの頭上に燦々と輝いている恒星が、プロキシマ・ケンタウリであるように、遠く離れたところにある太陽という恒星の恩恵を、母星は受けていました。水を湛えた、青く、美しい姿で……」


科学開発省・広報局 西側トイレ

 入ってきたのは二名の局員のように思われた。二人とも小便器に向かい、ほぼ同じタイミングで放尿を始めたようだった。声の感じから、入り口に近い便器を使用している方が年配で、清掃用具を入れるロッカーに近い方の便器を使っているのが年若い局員に思われた。

「さっき、出来上がったあれ、見せてもらったよ」

 年配の男が咳払いをしながら言った。

「わざわざありがとうございます。……どうでした?」

 年若い方の声には、いくらか緊張が混じっているようだった。

「よく出来ていると思った。かなりゆっくりと膨らんでいくから、最後は早送りして見たけどね」
「内側から瓦解していく感じにしたかったんです。表面からぱーんと弾けるのは派手で見栄えはいいけど、作り物っぽい感じがして」
「あのくらいゆっくりがちょうどいいさ」

 そのあとの二人の会話は、急に声を潜めて話し始めたこともあり、すべてを聞き取ることはできなかった。かろうじて聞こえたのはわずか二つのフレーズのみだった。

「四年前にもしも……」

「手遅れだ、なるようにしかならない……」

 トイレに静けさが戻り、完全に人の気配がなくなったことを確信するまで、たっぷり時間を使った。そのあと、音を立てないように細心の注意を払いながら、清掃用具のロッカーの扉を内側から慎重に開けた。


シュリケン牧場 ウォーレン家別棟・屋根裏部屋

 少年は、干し草の匂いのするベッドに横たわりながら、ガラスの嵌まっていない窓から星空を眺めていた。ときどきむっくりと起き上がると、夜空に向けて設置していた天体望遠鏡に目をあてがい、期待している現象の確認を行った。少年は飛来する物体を待っていた。流れ星ならいくらでも見たことがある。年に一度、ピンク色の星雲を横断する流れ星の群れなら、これまでに何度も肉眼で観察している。少年が今か今かと心待ちにしているのは、そのような、ありきたりの天体ショーではなかった。晴天が三日続けば、少年は父と井戸を掘りに出掛ける。目的は井戸の底から採掘される砂だった。粒子の細かい泥のような砂で、それを父と二人ですくい取り、牧場の隅に建てた小屋へ運ぶのだ。その小屋の中には、回転する台座の上に分厚くて大きな円形のガラス板が置いてあり、少年と父親は井戸から組み上げた砂と蒸留水を使ってそれを研磨する。何日も何日も丁寧に磨き、精度の確かな、いささかの歪みもないレンズに仕上げていくのだ。最近組み立てた天体望遠鏡は、筐体がこれまでのものより大きくなった。レンズの組み合わせも、新しい設計のものに変えた。倍率が上がり、これまで不鮮明だった惑星の姿も捉えることができるようになった。手造りではあるが、これなら……。少年は期待に胸を膨らませ、星がうるさいほど散りまかれた夜空の、ある一点に向けられたレンズの捉え先を、今夜も覗き続ける。


ゴテンマリシティ 七番区・船着場通り

 イフニはこの商売を始めたとき、誰でもいいわけではない、こちらの基準できっちりと選ばせてもらう、と思っていた。けれども、すぐにその基準は緩くなり、そのうち基準がなくなり、今では節操すらなくなってしまっていた。世の中の景気が悪くなるにつれて船着き場の人通りはまばらになり、その気のない男でも客に仕立て上げる必要が出てきた。以前なら、気品のある身なりに艶やかな黒髪、吸い付くような素肌を大きな武器にしていたイフニだったが、最近では、光沢のある派手な柄のキャミソールとヒップを強調する黒いレザーのマイクロミニで肌の露出を増やし、髪にはアイキャッチとしてバイオレットとゴールドのメッシュを入れていた。その手の商売をする女であることを、一目でわかるようにすることが大事だ。手段など選んではいられなかった。おかげで、以前より客はコンスタントに取れるようになった。だが、それと比例して客の質は落ちていった。粗野で狡くて不潔で金払いの悪い男しか、イフニの元に集まらなくなっていた。サービスにケチを付けて、わずか二千メルレのオプション料金を値切ろうとした男から口論の末に殴られて唇が腫れた夜、イフニは幸せになることを夢見ていた少女時代を思い出して、自分はずいぶんと岸から離れて戻れないところまで流されてしまったと思った。だから最後くらいは……最後の夜くらいは、人生で一番いいときの格好でいようと決めた。噂は以前からイフニの耳にも入ってきていた。宇宙の遠いところにある私たちの母星が爆発してしまうらしいこと。爆発したらどうなるのだろう。それをイフニに説明してくれた人はいない。誰も本当のことは知らないのだ。でも、噂で耳にした「母星は私たちの魂が眠るところだから、爆発したら私たちも死んでしまうだろう」という話が、イフニには一番しっくりとくる言葉に感じた。幸せとは言えない人生だった。でも、明日ですべて終わるのだ。イフニは唇の腫れが引くまで、船着場通りには立たなかった。メッシュを入れた髪を元の黒髪に戻し、わずかに残っていた保湿クリームで、くすみと乾燥でガサガサになった肌のケアをした。それから、もう着ることはないと思っていたAラインのシルエットが美しいブルーのワンピースをクローゼットの奥から引っ張り出し、これまで履いていたピンヒールではなく、足元を慎ましく見せる紺色のパンプスを履いた。全身が映った姿見を見て、イフニは自分が初めてデートに出掛けたときの格好のようだと思った。四日ぶりに向かった船着場通りはいつになく閑散としていた。皆、最後の夜は家族と過ごしているのだとイフニは思った。女が、それも、普通の格好をしている女が、ひとりで立っているのはことさら寂しいように感じて、イフニは通りを歩くことにした。船が到着する時間になれば船着き場に向かい、知り合いを探すふりをして、自分と最後の夜を一緒に過ごしてくれそうな人を探した。誰でもいいわけではない。今夜だけは、少しでも基準に合った人をイフニは選びたいと思った。できれば、自分と同じように孤独な人。できれば、こんな自分の申し出を快く受け入れてくれる人。できれば、明日地球が粉々になっても一緒にいてくれる人……。


私たちの提言

 私たちの生活は、母星から持ち込まれた古代のテクノロジーに多大な恩恵を受けて成り立っている。道路、鉄道、電気、水道、ガス、通信といった重要な社会インフラの原型は、母星から移植されたものであり、また、陸地面積よりも圧倒的に海洋面積が広いこの惑星において、海上の往来に必要な航海術及び船舶の建造技術も、同様に現存する古代資料からトレースされたものである。だが、以前から言われているように、私たちはここで大きな疑問を持たざるを得ない。すなわち、古代テクノロジーの中でもその欠損が惜しまれている、航空技術、宇宙航行技術の存在である。政府の公式見解では、膨大な古代資料の中にその存在があったことは認められるが、再現するにあたっての十分な資料は残っていないという。その理由として、プロキシマbの大気圏に進入する際に起きたと思われる宇宙船の炎上事故、着陸ミスによる海中流出をあげているが、綺麗に航空と宇宙航行の資料のみが毀損されていることには疑問が残る。何らかの理由により、政府が隠していると考えるのは当然のことであろう。太陽系から私たちの祖先を運んできた船やその残骸は、すべて政府の管理下に置かれ、着陸した跡地すら立ち入り禁止になっている。改めて、私たちはプロキシマb統括政府に申し上げたい。政府の隠蔽は、これからも私たち庶民の間で様々な憶測や根拠のない噂を生んでいくと同時に、反政府組織が大衆に向けた思想浸透を企てる巧妙な陰謀論の発生源になるであろう。今、私たちが政府に望むのは、古代資料の全公開である。航空と宇宙に関する古代テクノロジーは、この星に住む人類の共有財産だというのが私たちの主張である。母星崩壊の怪情報や、魂の喪失といったいたずらに社会不安を煽る昨今の風潮を払拭するためにも、是非とも私たちの声に耳を傾け、この提言を真摯に検討のうえ、速やかに受け入れてくれることを願うのである。


反政府組織ベルエポ メールマガジン・第1192号(抜粋)

『……ついでに諸君、この一時間後、政府広報による母星崩壊の電子映像と称するものが放映予定だが、騙されてはいけない。映像は真っ赤な偽物である!』

『第一に、太陽ならともかく、周囲の軌道を回る惑星の姿は小さいうえに暗すぎて、政府保有の技術程度では、観測することも、撮影することも、不可能だからである!』

『第二に、母星が爆発なり崩壊なりしたとしても、放出されたエネルギーを四光年離れた場所で確認できるのは、地球時間で言う四年後である。これは子供でもわかる科学常識だ。ライブ中継などあり得ないのである!』

『第三に、我がベルエポの有志が、長年の潜入調査により、これから放映される映像の実態を事前につかんでいる。政府が今回、どのようなインチキ動画を製作し、編集したか、我々は正確に説明することができるのである。その証拠として、地球がどのように崩壊していくのか、その過程をこれから克明に述べよう。なお、ここから先は有料会員だけが読めるようになっている。(新規会員希望者は今すぐアカウントを取得せよ!)』

(このメールの閲覧は、有料アカウントをお持ちの方だけに制限されています)

『以上、我々の情報が本物であることを、まもなく放映される政府放送で確かめて頂きたい。諸君にもう一度言おう。地球爆発は捏造である! 政府のプロパガンダには断じて乗せられてはならない! 我々は、我々とともに行動し、現プロキシマb統括政府の転覆に協力してくれる有志を常時募集している。さあ、ともに革命を!!』



ゴテンマリシティ 五番区・ホテル ハツマゴ

 イフニは男の年齢を訊き、そのあと誕生日も訊ね、すべてが自分と一致している偶然に驚いた。二人でホテルに入り、イフニとしては慣れているので一緒にシャワーを浴びても良かったのだが、男の方が「ぼくは君を買ったわけじゃないから」と言って断り、別々にシャワーを浴びた。男とは、最初に船着き場で目が合った。目が合い、どちらも先に逸らすことがなかったので、イフニは男にゆっくりと近付いた。誰かを待っているのかとイフニが訊ねると、男は、母を待っていると答えた。イフニが立ち去ろうとすると、男は「もう二十年も待っているんだけどね」と呟くように言った。男は二十年前の六歳だった頃、この船着き場に母とともに訪れ、まさにこの場所でアイスキャンディーを買い与えられたあと、すぐに戻るからここで待っているように、と言われたのだという。結局、それが彼の母の最後の言葉になった。辺りが暗くなり、近くの木陰にひとりでしゃがんでいた彼は、警察に保護されたあと、リュックに入っていた手紙によって母親に捨てられたことがわかったのだ。彼は何年かぶりにこの場所を訪れ、ちょうど自分が捨てられた日に、母を待ってみたのだという。そこにイフニが現れた。イフニの年齢は、当時の彼の母親と同じだという。男は言った。子供を置いていくってどういう気持ちなんだろう、自分も母と同じ年齢になったら少しはわかるかと思ったが、やっぱりわからないや。イフニは男に事情を打ち明けて、一緒に過ごしてくれることを頼んだ。男は申し出を受け入れてくれた。ルームサービスで食事をとり、まもなく放映される母星の電子映像が始まるのを二人でソファーに座って待った。もしも地球が粉々になるようなことがあったら、私たちも死ぬんでしょう? イフニが不安を口にすると、男は、死なないよ、と言った。でも私たちの魂が眠る場所なのよ、とイフニが食い下がると、彼は、地球が粉々になったとしてもそれは四年も前の話さ、でもぼくらは死んでないじゃないか、と言った。男はさらに続けた。プロキシマbに住む人類にとって、母星の存在は、遠く離れた故郷と似ているようだけど、実際はそうじゃない。あまりにも遠くにあるので、観念的で抽象的な存在に押し込めたくもなるけど、現実にこの惑星にぼくらが存在しているのは、外部からやって来たこと以外に考えられない。ぼくらにとって、母星という存在は、その名の通り、「お母さん」なのだと思う。ぼくたちを生んでくれた唯一無二の存在、つまり、お母さん。彼はイフニに向かって、そう静かに語った。イフニは、ソファーの上に無造作に放り出していた自分の手を、彼が握っていることに気付いた。温かくて、柔らかくて、優しい気持ちになる握り方だった。初めて男の子の隣に並んで座ったときの、ドキドキした気持ちをイフニは思い出した。イフニは彼に訊きたかった。私たちはお母さんを捨ててこの星にやって来たのだろうか、それともお母さんから捨てられてこの星にやって来たのだろうか。もちろん、そんなことは訊けなかった。イフニは彼の肩に自分の頭をそっと寄せて、モニターに放送が始まるのを待った。遠くに流されていたけれど、イフニは自分がようやく岸に戻って来られたような気がしたのだった。


マスノスシ島 ウォーレン天文台

 老人は、ベッドに横たわりながら、少年時代、まだシュリケン牧場で暮らしていた頃の習慣のままに、窓から星空を眺めていた。孫たちは、天文台のそばにある牧場のサイロのような形をした老人の隠れ家を気に入っていて、ときどき遊びに来てくれる。そういうときは、手造りの巨大な天体望遠鏡で星を見せてやるのが老人の楽しみだった。天文台にあるもっと巨大で大口径の望遠鏡は、簡単に見せてやることはできないけれど、老人が昔、父とレンズを磨き上げて作ったこの望遠鏡なら、いつだって誰でも覗いて見ることができるのだ。それに、この望遠鏡は自慢の望遠鏡でもあった。かつて、地球の崩壊をいち早く観測したのが、この望遠鏡だったからだ。アマチュア天文家の父は、太陽を観測したとき、わずかな異変を察知した。すぐにスペクトルを解析し、他の天文の専門家にもデータを渡して協力を仰ぎ、そうやって出た結論が、太陽系の惑星から、エネルギーが放出されているというものだった。それが地球だと判明したのはしばらくあとのことだが、父はそのあと、政府から正式に要請を受けて、天体観測所の仕事に就くことになった。そのとき少年だった息子も、のちに父のような学者になり、この惑星でもっとも天体観測に適した島に建てられた天文台の、初代所長を任されることになったのだ。あの当時、母星の崩壊は、ここに住む人類にとって、魂を喪失するのに等しかった。世情の不安を煽り、反政府組織が暗躍したのもその頃だった。政府は母星崩壊を正式に発表したあと、古代テクノロジーで隠蔽が疑われていた航空と宇宙航行の関する古代資料の存在を認めた。政府が恐れていたのは母星回帰による人材流失と技術の兵器転用だったという。現在でも政府は小出しにしており、すべてを公開していない。その中で、ようやく飛行機の運用が始まったのは喜ぶべきことだろう。ときどき、老人はシュリケン牧場で暮らしていたあのとき、父に言われたことを今でも思い出すことがあった。かつて、父はこう言ったのだ。粉砕した地球の欠片が、長い長い旅のあと、流れ星となってこのプロキシマbに降ってくるだろう、そのとき、おまえなら、どんな言葉をかけてやる? 老人は、追憶と覚醒の狭間でむっくりと起き上がると、夜空のある一点に向けて設置されたレンズを覗き込んだ。もうじき、ある特別な流星群が観測されることは確実だった。老人は、そのとき、たぶんだが、幼いときに亡くした自分の母親に会えたときのような、嬉しい気持ちになるだろうと思った。

(了)


四百字詰原稿用紙二十一枚 (7307字)



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