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宮部みゆき『火車』《砂に埋めた書架から》30冊目

 宝くじを買ったあと、もし、一等が当たって、1億円やそれ以上の大金が自分の手には入ったら、どうやってそれを使おうか、などと夢想したことのある人は、たくさんいると思う。
 有り余るほどの大金の使い途に、いっときでも思いを馳せることができるのは、まさに宝くじの魅力であり、それが、宝くじを買うことは即ち夢を買うことだ、と言われる所以でもあるわけだが、このとき、もう一歩、想像力を働かせて、自分が本当にそれだけの金を手にしたら、人生が狂うんじゃないか、と考えてしまう人がいる。
 そういう人は、お金の恐ろしさと人間の弱さに対して、少なくとも鈍感ではない。

 宮部みゆきの長編小説『火車』は、現代社会の陥穽、カードローンによる自己破産をテーマに描いた社会派ミステリーの、文句なしの傑作である。

 日本におけるクレジットカードの利用者はとてつもなく多い。年間貸出額約60兆円、個人借金比率世界一位(当時)、というのだから、いかに、現代社会において個人の生活とカードが、密接な関わり合いを持っているか推察できるだろう。

『火車』の主人公、本間俊介は、怪我で休職中の刑事である。ある日、親類の男が訪ねてきて、失踪した婚約者を捜して欲しいと依頼されるのだが、調べていくうちに、不可解な状況に突き当たる。その婚約者である女性、関根彰子は、誰からも足取りを追うことができないように、丁寧に自らの痕跡を消していたからだ。一人の女性が、何故こうまでして身を隠さなければならなかったのか。彼女が自己破産申請をした多重債務者であるからか……。リハビリ中の体を引きずりながら調査するうちに、本間俊介は、普通に暮らす人々を、いつの間にか地獄の裂け目に引きずり込んでしまうカード社会の不幸な実態と、それに飲み込まれた女の巧妙な犯罪の匂いを嗅ぎ取ってゆくのだった……。

 私の知り合いの中には、カードをまったく持たない者もいる。逆にたくさんカードを所持し、頻繁に使っている者もいる。
 使い方さえ誤らなければ、クレジットカードは大変便利なものだ。ならば、その使い方を誤り、雪だるま式に借金が増えて、人生を棒に振る人はどんな人なのか。それは、何も特別な人ではない。自分だけは大丈夫だ、と言っている我々の身にも十分起こり得ることなのだ。

 カードに翻弄され、カードに苦しんでいる人たちの声は、『火車』の中でも、詳しく説明がなされている。
 それを読んだとき、私は正直に言って震えあがるほど恐ろしかった。お金という人間の欲望の象徴に、人はかくも易々と足元をすくわれ、自ら地獄にはまってしまうものなのか。そう考えてぞっとしたのである。

 本文中でも語られているとおり、クレジットカードは、地獄へ行く切符なのかも知れない。しかし、それは利用者の誤解や知識の不足、そして、消費者金融の構造に問題があることを同時に指摘している。不幸の元凶はつまりそこなのだ。
 いみじくも作品の中に登場する弁護士は、多重債務者に対してこう呼びかけている。

「とにかく夜逃げの前に、死ぬ前に、人を殺す前に、破産という手続きがあることを思い出しなさい」

 宮部みゆきの、巧まざる筆致は、普通の人間が持つ弱さを浮き彫りにして、カード地獄の本質をあますことなく描いていると言っていい。何という傑作だろうか。
 そして特筆すべきは、この作品の秀逸なラストである。緊張で心臓がバクバクするほどのパーフェクトな出来。
 宮部みゆきはこの傑作を三十一歳でものにしてしまった。この作品で山本周五郎賞を受賞したが、直木賞を取っても良かったのではないか、と私は思う。


書籍 『火車』宮部みゆき 新潮文庫

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■追記■

 この書評(というよりは感想文)は、2000年4月に作成したものです。

 今回は最初から余談です。

「火車」というと、今でこそ宮部みゆきさんのこの代表作を私は思い出すようになりましたが、最初は「火車」と言ったらまず江戸時代の絵師、鳥山石燕の妖怪画が思い浮かんだものでした。子供の頃、私は妖怪が大好きだったからです。小学生のときにジャガーバックスの『日本妖怪図鑑』や小学館入門百科シリーズの『妖怪なんでも入門』のような本を何冊か買ってもらい、飽きずに読んだり眺めたり描き写したりしていました。なので、私の体に染み込んでいる妖怪のイメージのほとんどは、鳥山石燕と水木しげるの成分で出来ていると言っても過言ではありません。

 最近私は皮膚科に通うことがあって、それは急に蕁麻疹が出来て、治ったと思ったらまた別のところから発疹が出てくるということが続き、だんだん気味が悪くなってきたからなのですが、実は蕁麻疹で医者にかかるのは生涯で二度目のことです。

 一度目は小学生のときでした。ちょうど今みたいな年の瀬に、私は要らなくなった大判のカレンダーの裏紙に青のサインペンで絵を描いていました。白い大きな紙でしたので、存分に好きな絵を描くことができたのです。今でもはっきりと覚えているのですが、このとき私が描いていたのは「天井下がり」という妖怪の絵でした。鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に原画がありますが、天井を破って顔を出し、そのまま逆さまにぶら下がってくる妖怪です。蓬髪で髭があり、口角を上げた口の間から舌をべろりと出し、腕や背中に目立つような毛が生えているのが特徴です。

 絵がもうじき描き上がろうという頃、私は自分の目や、顎の辺りがむず痒くなり始めました。掻いたり擦ったりした後、気になって鏡を見たら驚きました。赤い発疹が顔中に広がっていたからです。

 蕁麻疹というのはその原因にさまざまなケースがあるようで、なぜ、あのとき、急に蕁麻疹が出来たのか真相は今も不明です。ただ、それ以来、カレンダーの裏に「天井下がり」を描くことはやめました。

 今思うに、あの蕁麻疹は“妖怪の仕業”だったのでしょう。昔の人は、不可解な現象や根源的な恐怖に物語を付与し、妖怪の名を付けたわけで、現代でも原因不明という名のスペースがあれば、そこに妖怪の居場所があるということになります。私は科学や医学の進歩が妖怪を駆逐したことを残念だとは思いません。大事なのは、妖怪や物の怪などの発想をもたらす人間の特異な感性を、これからも忘れないでおくことだと思っています。鳥山石燕や水木しげるが伝える空想の産物は、大人になった今でも、別の見方で現代を教え、人間を豊かにしてくれるのだから……というのが今回のどうでもいい余談でした。

 本当に、全然『火車』に関係ない話ですみません。

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