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文学の名作を追いかけたりつかまえたり逃げられたり【エッセイ】


 この間、Twitterのタグで興味深いものを見つけたので、自分も思い付くまま140字以内に収まる分だけ列挙して、ツイートした。


#最初に意識して読んだ有名作家の小説
二葉亭四迷/浮雲
夏目漱石/彼岸過迄
芥川龍之介/地獄変
梶井基次郎/檸檬
横光利一/機械
谷崎潤一郎/春琴抄
川端康成/雪国
中島敦/山月記
坂口安吾/桜の森の満開の下
太宰治/人間失格
三島由紀夫/禁色
福永武彦/廢市


 そもそも、このタグにある〈最初に意識して読んだ……〉の部分を、どう解釈したらいいか正直私は迷った。しばらく考えて、〈たまたま書物に載っていたから読んだのではなく、この作家の作品を読んでみよう、あるいは、この作品を読んでみよう、と明確に意識して読んだ初めての小説〉ということではないかと私なりに解釈した。

だからというわけではないが、なぜこの作品を手に取ったのか、私はそのすべての動機をひとつひとつ覚えていたので、それを短かいコメントにして、今回載せてみようと思う。
(以前、書いた文章の内容と重複する部分もありますが、お許し下さい)


(発表年順)

二葉亭四迷『浮雲』
日本で初めて、話し言葉の口語文、すなわち、言文一致体で書かれた記念碑的な小説、ということで知られているので読んでみた。文語体で書かれたこれまでの明治の作家の小説よりは、間違いなく読みやすいと思うが、慣れるまで時間がかかった。坪内祐三編集の明治の文学第5巻で読んだので、振り仮名や脚注や挿絵が充実していて、とても助けられた。

夏目漱石『彼岸過迄』
当時『坊っちゃん』すら読み切ったことがない、へなちょこな私だったのだが、なぜか『彼岸過迄』で初めて漱石を一冊読破した。たぶん、探偵小説のような趣があったからだと思う。文章から文章へと、興味が湧くように作られている感じがした。

芥川龍之介『地獄変』
楳図かずおの漫画に、この『地獄変』を題材にした短編作品があったように思う。それを読んで原作が読みたくなり、学校の図書室から本を借りたのが最初だった。夏休みの読書感想文も、この作品で仕上げて提出した覚えがある。

梶井基次郎『檸檬』
文学が話題になる場のいたるところで、この梶井基次郎の『檸檬』は取り上げられている。しかも短い作品なので、これほど手に取りやすい有名作もないのではないか。けれども、私は一度読んだだけでは『檸檬』の良さがわからなかった。一発でこの作品を理解して感心できる人を私は尊敬する。

横光利一『機械』
NHKの番組だったと思うが、作家の筒井康隆が『機械』を朗読していたのを観て興味を持った。昔の文庫は活字が小さくて、特に『機械』はびっしりと文字が詰まって見えたのでなかなか手が出せなかった。現在は読みやすくなっている。横光の小説はどれも表現が面白くて夢中になる。

谷崎潤一郎『春琴抄』
『春琴抄』は決して読みやすい小説だとは思わないが、文章が上手いので読んでみたくなる。挫けそうになるときもあるが、表現が美しいので頑張って読んでみたくなる。そして読み終えることができたとき、自分と谷崎の両方を、すごいすごいと褒めたくなる。

川端康成『雪国』
もっとも有名な書き出しを持つ作品であると同時に、ノーベル文学賞という光背効果で、一度は読んでおかなければと思った。高校の同級生Mくんが『雪国』を読んで「こんなにもスケベな内容だと思わなかった!」と興奮気味に話していたのを、当時むっつりスケベの私はそばで聞いていて、密かに興味を持った。結局、成人になってから読んだが、エロの期待値を上げすぎたようで、Mくんが言うほど「スケベ」だとは思わなかった。純情な十代のうちに読んでおくべきだった。

中島敦『山月記』
高校の現代文の授業で読んだのが最初だった。冒頭から言葉とリズムが気持ちよく、思わず暗誦したくなるほどだった。数年後、もう一度読みたくなり、『山月記』目的で新潮文庫を買ったが、他の作品を読んでも同様に感服した。短い文章の中にこれほど中身を濃く表現できるのはすごい才能だと思った。のちに私は岩波文庫も手に入れた。

坂口安吾『桜の森の満開の下』
野田秀樹主宰「夢の遊民社」の演劇『贋作・桜の森の満開の下』の舞台を観たことがきっかけで興味を持った。読んでいると、夢みるように美しい夜桜が眼前に浮かぶが、物語自体は鬼が出てきて、むごたらしく血まみれで恐ろしい……にもかかわらず、清澄さに支配されているような印象を受けるのは、いったいどういうわけなのか。

太宰治『人間失格』
中学の同級生Sくんが授業中に、教科書で隠すようにこっそりと文庫本を読んでいた。そのSくんが突然げらげらと大きな声を出して笑ったので、先生に見つかり怒られた。このときSくんが読んでいたのが『人間失格』だった。のちに私もその本を読んだが、爆笑するシーンは特にないように思えた。Sくんはどこを読んであんなに大きな声で笑っていたのだろう。未だに気になっている。

三島由紀夫『禁色』
私は最初、三島由紀夫が苦手だった……かつてはこういう言い方をすると逆に格好いいという風潮があったが、私の場合は本当に『仮面の告白』も『金閣寺』も最初の方で躓いてしまって読み切れずにいた。要するに、へこたれなのだ。けれども『禁色』は読めた。分厚い作品を先に読み切れたことは、その後の自信になるように思う。

福永武彦『廢市』
古書店で見つけた青いカバーの単行本は、『廃市』ではなく『廢市』と書かれた旧字体で印刷され、本文も旧仮名遣いだった。けれども、印象的な書き出しにつられて読んでみると雰囲気があり、『廢市』というこの美しい作品にとても似合っているような気がした。私だけかも知れないが、この本の巻末にある「後記」の文章は、ため息が出るほど格好いいと感じる。


 以上、初めて意識して読んだ本の動機を思い出しながら書いてみた。後になって、志賀直哉の『城の崎にて』や、永井荷風の『墨東奇譚』を挙げていなかったことに気付いたが、いやいや、よく考えてみれば、私は森鷗外も泉鏡花も樋口一葉も田山花袋も国木田独歩も島崎藤村も武者小路実篤も読んだことがなく、海外の有名作家や名作にまで広げれば、ほぼ壊滅的で、たとえばドストエフスキーの『罪と罰』を三年かけてようやく読んだとか、トーマス・マンの『魔の山』の下巻の最初の方まで読んでいたのに、ほったらかしていたらすっかり内容を忘れてしまい、もう一度上巻から読み直すのを億劫に感じているとか、そういう珍エピソードしか出てこない。トルストイも未読、フローベールも未読、フォークナーも、ヘミングウェイも未読である。世間ではカミュの『ペスト』が売れているそうだが、私は『異邦人』すら何年も積んだままだ。

 それでも、いつかは読んでみたいと思っている。有名作家、名作と呼ばれている作品には、やはり、そう呼ばれるに相応しい理由があると思うからだ。


〈今回登場した図書(一部)〉

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