文は制約がある方が前にすすむ

子どもの小学校で、「友人に紹介したいこと、すすめたいこと」というテーマで短い作文の宿題がある。
ブログのような宿題だ。

この宿題が出るたびに、息子は、毎回どう書いていいか頭が真っ白になるらしく、型、テンプレートのようなものを作ってやりたいと思った。

どうしようかなと考えているうちに、この2つを思い出した。


制約を支えにして知を働かせる。
一見、制約に見えることが、一転、それが支えとなって、知が生み出される。このような体験を教室の内と外で、何度も体験してきた。
雑誌論文の執筆は、テーマ、ページ数、字数等、何から何まで指定されている。制約だらけ。最初は「かけそうもない」と思うのだが、とにかく毎日、少しずつ書く。書くことで、次に書くことが見える。論文筆記の場において、制約は、思考と想像をもたらす原動力との考えるようになった。

結局、前から持っていた立命館小学校の作文の神様の岩下先生のこの本を参考に、

「はじめ→なか1→なか2→まとめ」

の形式を使うことにした。

この型でやってみると、思いのほかすっきり書けてしまった。

おそらくこんなあたりが、よかったのだと思う。

・型があることで、書けなかったらどうしようという不安が減った。

・型があることで、自分の思考、体系化できていないイメージのもやもやを、すっきり外出しできる。

・出来上がったものがいい感じにまとまっているので、発表しやすく、そこに対する不安が無くなった

・この型があれば、次も書けそうという自信がもてて、この宿題が嫌じゃなくなった

制約がある方が前にすすむ。

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