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保育園はママの代わりになれない

 日本保育学会元会長が書いた本を読んだ。

どんなに保育者が一生懸命に対応しても、やっぱり親と同じにはなれません。保育園はあくまでサブなのです。
汐見稔幸. 新装版 0~3歳 能力を育てる 好奇心を引き出す (p.241). 株式会社 主婦の友社


 衝撃を受けた。
 保育士は国家資格で、保育のプロで、素人の親より保育士に育ててもらった方が子のために良い。本気でそう思い込んでいた。しかし保育の専門家が、保育士はママの代わりになれないと言っている。

 他の国家資格で考えると、ありえないことだと思う。病人の前で「どんなに医師が一生懸命に治療しても、やっぱり家族がなんとかする方がいい」とはならない。でも子育てに関しては「どんなに保育士が一生懸命に対応しても、やっぱり親が子育てする方がいい」ということらしい。

 産前、私は親がバリバリ仕事をして楽しそうにしているのが子どものために良いのだと思っていた。男女平等に、母親も父親も半分ずつ子育てと仕事をするのがいいと思っていた。
 しかしどうやらこの考えは、子の成長を一番に考えると少し誤っているらしい。私はいつの間にか経済至上主義のイデオロギーに染められていた。

●赤ちゃんには1対1対応がベスト

 子がある程度大きくなってから両親が働くのは別に良いのだと思う。ただ、人として生きていく礎をつくる0~3歳に関してはそうではないらしい。

 特定の保護者と強い愛着を形成することで「安心して帰れる場所」をつくり、いつでも安心を得られるという保証ができると、子は社会に出ていけるようになる。
 愛着を形成するには「アクションしたらすぐリアクションが返ってくること」がポイント。赤ちゃんが泣いたらすぐ対応してあげる。ミルクくれ、おむつ替えて、遊んで、抱っこして、という赤ちゃんの欲求にすぐ答えること。アクションとリアクションの積み重ねで親子間の基本的信頼感(これは専門用語らしい)が確立される。基本的信頼感があると、子が社会の中へ飛び出して行ける。

 教科書的には上記のように説明されている。
 すぐに気が付くが、保育園に行くと「泣いたらすぐ対応してもらえる」という状況は望めないだろう。もちろん保育士の先生方はできるだけ即座に対応するよう心掛けていらっしゃると思うが、配置基準は子:保育士=3:1以下だし、お散歩やお食事の準備に追われていることもあるだろう。家で親がすぐさま対応するのがベストということがわかる。

厚生労働省 児童福祉施設の設備及び運営に関する基準


●ママがいい

 保育園に預けようとしている親をさらに揺さぶる言葉がある。

慣らし保育で、「ママがいいー、ママがいいー」と泣き叫ぶ子どもたち
(中略)
0歳から預ければ「ママがいいー」という言葉さえ存在しなくなる。
(中略)
保育で「ママがいいー」と叫ばれた母親は、自分がいい親だったから叫ばれたことを覚えていてほしい。それは勲章だったのだ。
松居和『ママがいい! 母子分離に拍車をかける保育政策の行方』

 子どもは環境に順応するから、保育園に行き始めたらそれなりに楽しそうに日々を過ごすようになるのだろう。でも心の奥底で「ママがいい」と思っているとしたら……。
 そして0歳は言葉を持たない。言葉で表せないけど「ママがいい」と思っているのかもしれない。というかきっと、ママがいいと思っている。
 「ママがいい」という事実に産前は全く気づかなかった。「プロの保育士さんがいい」と思っていた。赤ちゃんにはママがいい、と教えてくれる機会はなかった。

 むしろ国が、社会全体が、ママが早く復職することを望んでいる。それを疑うこともなかった。だって生産性上がるし。ママも社会でやりがいや給与を得られるし。それって良いことでしょう。こう考えるのは経済の視点からであって、子の成長の視点からではない。


 少し話が逸れるが、当然「パパがいい」も考えられる。
 生物種としてのヒトを考えてみると、母乳を出す機能があるのは母親だけなので、母親に子の世話の負担が偏り、生物として自然な性的役割分担が発生する。
 実際に今はだいぶパパの役割が増えているけど、引用した本に則ってこの記事では「ママがいい」と書いている。


●それでも私は0歳で保育園に入れる

 そもそも保育園は厚生労働省管轄の「福祉施設」であって、義務教育で行くような「行って当然の教育施設」ではない。なんらかの理由があり子を預けざるを得ない状況の人に、福祉事業として税金を使って国や自治体が用意している施設だ。保育園の申込書には子を預けざるを得ない理由として、就労や妊娠出産などを選択する欄がある。

 では、私は福祉に頼らないといけない状況なのか。子を預けてどうしても働かないといけない状況なのか。別に私の稼ぎがなくても、夫の収入に頼って向こう数年暮らしていくことはできる。じゃあなぜ子を預けるのか。


 もしかしたら、怖いのかもしれない。復職しないと社会での立場を失い、自分の働きに対して対価が得られず、経済的に弱くなってしまう。
 実母は専業主婦で、離婚したくても一人で生きていくお金がなく、離婚できなかった。そんな実母を見ていたから、私は「働き続けなければならない、失職したら死ぬ」と思っている節がある。
 少なくとも今、夫はとても信頼できる人で離婚することは考えられないけど、実の両親も離婚すると思って結婚していたわけではなく、人生何が起こるかわからない。何かあっても先立つ金さえあれば少しは安心できるから、保険をかけるようにして働き続けなければならない、そう思っていた。


 でも、本当にそうなのだろうか。産前の私は怖いから働いていたのか……?

 違う。私は働くことが好きだった。顧客とディスカッションしながら課題を解決していくのが好きだった。顧客からの「ありがとう」に喜びを感じていた。働く対価としてやりがいと給与を得て、満足していた。
 ニコッと微笑んでくれる我が子は可愛いが、仕事で得ていた満足感とは異なるもの。仕事の満足感と育児の幸せを比べることはできないが、どちらも私にとって大切なもの。

 大前提として、親が心身共に健康でないと持続可能な育児ができない。言葉が通じずギャン泣きし暴れまわることもある赤ちゃんと24時間ベッタリの生活は、体力も気力もだいぶ消耗する。仕事の方がよっぽど楽。仕事をしている方が、私の心身の健康が守られる気がする。

 私の脳は経済至上主義に洗脳されてしまっているかもしれないけど、脳を簡単に変えることはできない。だから私は仕事と育児の両方で幸せになる。金銭面だけでなく、母親が心身の健康を保ち持続可能に育児をするため、就労が必要。ということにさせていただく。

●子に「ごめんね」と言わない

 わかっている。こんな戯言は詭弁で、子を保育園に預けるのは私のエゴだ。だからこそ、保育園に預ける絶対的な理由を用意しておきたい。
 もし子に「ママがいい」と言われても、預けてごめんねと謝るのは違うと思う。ごめんね、は悪いことをしたときに言う言葉。私は悪いことをしているのではない。自分の幸せを守っているだけ。
 ママが幸せでいるために仕方ない、と説明するのが妥当なところか。そう自分に言い聞かせるしかないか。

 そして本心から「ごめんね」と思う日が来たら、退職を考えるときだと思う。常に自分が幸せでいられる選択をしたい。


 冒頭の日本保育学会元会長はこう言っている。

 働くお母さんは、子どもとふれ合う時間が短い分、いっしょにいられる時間は濃密に接してあげてください。たまった家事はあと回しにしても、子どもと遊び、話し相手をしてあげてください。
汐見稔幸. 新装版 0~3歳 能力を育てる 好奇心を引き出す (p.241). 株式会社 主婦の友社


 数年前、仲の良い友人が出産を機に退職し専業主婦になった。当時はその選択が理解できなかったが、今は素晴らしい選択だなと思う。仕事より大変な育児を一手に引き受ける勇気に頭が下がる。
 友人の子は3歳になり、全然人見知りせずほぼ初対面の私の手を取ってたくさんおしゃべりしてくれた。きっと母との強い愛着が形成されたからだろう。

 今私は0歳児を4月から保育園に入れる申込みをし、結果を待っている状況。保育園に受かったら、春から復職。「ママがいい」の言葉を忘れずに……。

《終わり》


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