死別を乗り越えるということ

忘れたくても忘れられない。 

思い出そうとしなくても思い出してしまう。

考えたくないのに考えてしまう。

眠りたいのに眠れない。

意識と無意識の世界を、自分でコントロールできない。

なぜ人の死を、こんなにまで引きずってしまうんだろう。

6月に友人が亡くなり、7月に三浦春馬くんが亡くなった。

若く聡明で輝かしい前途が期待されていた2人の突然の死は、重く重く生活にのしかかってきている。

乗り越えることが出来るのだろうか?

どう向き合っていけばいいのだろうか?

向き合わない方がいいのだろうか?

同じことばかりを考えて苦しくなる。

みんな、どうやって死別を乗り越えているのだろう。

全く分からない状態に、今また立ち戻ってしまった。

三浦春馬くんと共演していた女優さんが、舞台挨拶をしていた。華やかな姿で挨拶をしていた。

容姿と才能にますます磨きがかかって、美しく可愛らしく輝いていた。

彼女は悲しくないのだろうか。

悲しいに決まってる。

人の心を決めつけてはいけない。

分かっているのに、こんな哀しみの渦の中では

邪な感情が湧いてきてしまう。

馬鹿だなと思う。

どうやって生きていこうか。

若き君よ、学生時代、そう励まされた。

若き君よ、理想の華を散らせてはならぬ。

生ある限り、「もうこれまでだ」などと言うな。

少しくらいの苦労で「人間とは、世間とはこんなものだ」などと言うな。

安穏は魂を殺し、順調は魂を殺し、自己満足は魂を殺す

心から血を流したことのない人間が、どれほどつまらないか。

どん底を見たことのない人生がどれほど味気ないか。

…人も、一生の最後に咲けばよい。

途中は全部、準備に過ぎない。

最後に花咲けば、一生は幸福。

トルストイは「自己完成の途上で立ち止まってはならない」と言った。

・・

どんなに満たされた環境でも、心が満たされなければ

不幸なのだと実感する。  

この心の泥沼の中に、花を咲かせることができるだろうか。     

こんな悲しみが人生を一重深くしてくれるのだろうか。

ただ、耐える。ひたすら耐えて祈り待つしかないのかもしれない。

夜が明けるのを。

雨が止んで、雲の切れ間から陽が差すのを。

コップの中に一雫ずつ溜まっていく水が、溢れ出すのを。

だからそれまで、

本当に意味があるのか分からないことも

誰かのために自分のために

心を込めてひとつまたひとつと積み重ねていくしかない。

それしかできないと思うのだ。




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