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自分の見せ方(魅せ方)と実際。言葉だけになっていないか?他者からの評価は肩書きがあってもなくてもやっぱり大切だと思う。

久しぶりの内観…というより学んだことというか、やっぱりそうだよなぁって思い返したことをひとつ。

評価に対する価値観

私は小さい頃からスポーツをやってたわけで、上には上がいるって思ってたし、もっと自分をよくしていきたいと思ったら、自分はまだまだだなって思うタイプで。それなりに自信があっても、評価は試合結果とか周りが自分を見てどう思うかだと思ってて。

普通のスポーツみたいにシュートを決めて目に見えて点数が入って…とかじゃなく、審判が評価として点数をつけるスポーツ(フィギュアスケートみたいな)だったから正直、審判の好みとか派閥みたいなものもあって。

そういうのをどう乗り越えるかと言ったら、誰から見てもこの人が1位!すごい!って納得させるしかないって小学生から思ってスポーツしてた。


自分の能力はすごくない、普通・不必要、汚らわしいと思っていた。

幼少期から霊感があったけど、そういう地方だったから周りにそういう子どもも人も多かった。だからそういう話が小さい頃から飛び交っていたし、私の中では当たり前で。

でも本当に不思議なことや恐怖体験もあるし、人に差別されること・怖がられることもあったから不必要で厄介で人と違うと思ったら、すごく嫌になった。

もともと明るい子だから霊感があるようにも見えないし、信じない人もいるし、そういうのを嫌う人もいるから、すごいと思うことやいいことだと思ったことは正直なかった。

でも危険を回避できたり、勘が当たって感謝されたり、死んだ親族や身内を見てあげて感謝されるとよかったなぁ〜!って思うこともあった。


人を納得させるためには資格や肩書きが必要だと思い始める

学生になって就職や進学を考えると、とにかく資格を取れと教えられる。それで評価があがるから。それに資格はこれができるという能力を形にしたものであるし。

でも自分自身も、努力して得た資格であるから自分自身に対してそれだけ自信も持てるようになる。

だけど、資格はあってもそれをしっかり実用できなければ意味がないとも思うし、資格がなくても資格を持ってる人と同じくらいの能力がある人がいることを社会に出て知る。

でも資格というものは、人と関わる際に人を安心させる信用をいただくためのものとして大切ではあると思っていた。


口先だけのこと、人。

人生、自分を過大評価したことはなかったと思う。自分でそうだとかすごいと思っていても、他人から見たらそうでなかったり、またその逆もある。

自分が長年やってきてどんなに自信のあることでも、他人がどう思うかやそこに価値があると思われなければ、信用性がなければ、自分を使っていただいたり、ましてやお金をかけていただくこともないと思う。

けれどもなかには、うまく言葉を扱える人間や自分に対する自信や価値から最初から自分で自分の価値を決めて、お金や条件を提示する人もいる。別にそれが悪いことだとは言ってはいない。

けども、そうだと思ってたのにそうでもなくてガッカリみたいなこと、なかにはあるよね。

やっぱり実績とか肩書きとか、別に肩書きがないとしたらそれだけ周りが評価してくれるかとかそういうのって大事だなって思った。

他人に自分の価値を知ってもらうとか、自分を売り出したかったら、誰も知らない世界に飛び込んだときには「わかってくれる人だけでいい」なんて思わず、まずはみんなに知ってもらった上で、評価してくれたり、大切にしてくれたり、求めてくれる人により与えていってあげるっていうのが、いいよねって思った。


おわりに

自分がないとか自信がないとかが理由で、自分軸が大切とはいうけれど、やっぱり他人あっての自分であって。

この世界は自分一人じゃないし、共存

人を見て自分を見て成長していくなぁと日々感じます。人に何かを言う時は自分のことを振り返ってから言おうとか。当たり前のことだけど、それを忘れて人から不信や反感を買うことだってある。

自分を犠牲にしなければ、自分も大切にした上なら、周りの人っていくら大切にしても損なことってないなって、私は思います。

もし、恩を仇で返されたとしても、神様は見てるし、因果応報だと思うし、別で良いことが返ってくる…そう思うからです☺︎

こういうルールは自分で決めると、本当目に見えない契約みたいに宇宙や目に見えない存在が、ちゃんとその通りに動いてくれたりするんですよ〜!

ただ、大切なのは、"心からそれを信じる"っていうことかな!

引き寄せの法則だなんだっていうより、自分がそう思って信じることが一番の引き寄せだと思っているのでした〜!✨





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