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落ちるとこまで落ちてみろ YouTuber僧侶大愚元勝『苦しみの手放し方』

きのうの続き。
「暗い自分の性格を変えたい」という青年に対して、鷲田センセは「自分に対して定型句を外す」というアドバイスを贈っていた。
それと同時に、「はやく自分に飽きなさい」という真逆のことも伝えているのだ。これもおもしろいなと思って。

反対に、はやく「自分」に飽きてしまうことです。自分を開くために、自分とはあきらかに違う生き方に貪欲に関心をもつことです。魅せられてでも、反発するからでもいい。自分のことはさておいて、その人たちの話をどんどん聞くことです。(p.147)


「自分に飽きろ」という表現ですよ。これにグッときたのです。
一般的にいえば、「自分の殻を破りなさい」「自分を変えるよう努力しなさい」「自分のこだわりを手放しなさい」って言い方になると思うのです。
つまり、自分の力で自分を変えていきなさい、という方針になるでしょう。


でも、鷲田センセの方法は「飽きる」ですよ。
アプローチが真逆だと思いません? 
自分の力で、飽きることはできないじゃないですか。「よし、今日からスマホゲームに飽きよう」とかと思っても無理じゃない。

でも、ゲームをやり尽くして、あるときふと「あ、飽きた」って思うわけでしょう。飽きるって、むこうからやってくることじゃないですか。人事を尽くして天命を待つ的な。

焦らんでもそのうち飽きるから、飽きるまでは自由に苦しみなはれやっていうちょっと達観した感じにほっとした。



で。なんとなく仏教っぽいこのアプローチ。これを体現なさっていそうなのが、YouTuber僧侶の大愚元勝(たいぐげんしょう)さんだなーと思っています。さいきんゾッコンです。「大愚和尚の一問一答」って番組、ご覧になりました?

なんかもう、世俗的な言い方しますればあれですよ、「説教の講師は顔よき!(坊さんはイケメンに限る。ありがたみが違うじゃん)」という清少納言の気持ちが痛いほどわかるお坊さんです。ご著書もあるのだが、もうまずは動画でお話ぶりをお聞きいただきたい。圧倒的な説得力、です。

たとえばこちらとか。
どうして大愚というお名前なんですか? 大愚とはどんな境地ですか、という質問。

修行すればするほど苦しくなった修行道場にて、師匠にかすかな希望をもとめてハガキを書いたら、「落ちろ」「今日からお前は『大愚』だ」という返信が返ってきたお話。すべてを捨てて、受け入れるためにはどうしたらいいのか。壮絶な修行話、「飽きるまでやる」というのに似ている気がしています。


うめざわ
*ご本も、よくある仏教系人生相談とは一線を画している印象。ひかれている経典とか禅の公案とかが相当多いのがひとつ。あとは、大愚和尚がいまも会社経営をなさっていることが大きいのでしょうか、理念だけに走らない足腰の強さみたいなものをひしひしと。

和田裕美さんのラジオでたまたま知りました。これもよかったな〜
https://youtu.be/3a62k_aeZM4



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