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《転載》 迷子の天才

※この記事は、2016年に以前のアカウント「まいにちアスパーガール!」で記載した記事からの転載です。


わたしは迷子の天才でした。

こども時代のわたしの得意技。
それは、『迷子になること』でした。
家族での外出のたびに、どこに行っても、迷子になります。
ショッピングでも、テーマパークでも、スキー場でも迷子になります。
お兄ちゃんも他の子も、迷子にならないのに、いつも私だけ迷子になります。
でも原因は一般的な迷子とはすこし違うのかもしれないなと思っていました。
それは、『勝手にどこかに行ってしまう子』ではなかったからです。

立ち止まる子。

たとえば、ショーウィンドウに可愛い展示をみつけたとき。
たとえば、面白い服を着たおじさんをみつけたとき。
『気になるもの』をみつけたとき、わたしは立ち止まってしまうのです。
時間を忘れて、それを飽きるまで、みつめてしまいます。
気づいた時には、まわりに家族はいなくて。
「みんな、またどこかにいっちゃった。。。」と思って、
家族が私を探して、引き返してくるのを動かずに待っているんです。
おでかけの時のお決まりのパターン。マイペースまりこちゃん。

おかあさんがどこかに行っちゃった。

思い出す限り、係員に発見されて、迷子放送をされたことはないですが、
わたしの感覚的には、いつも逆に迷子放送を頼みたい気分でした。
「すみません、おかあさんが迷子になっちゃったんですけど。。」
だって、勝手にどこかに行ってしまったのは、おかあさんの方だったから。
わたしはずっと同じ場所に立っていただけだから。
「わたしは、迷子じゃないです。母の戻りを待っているだけです。」
そう思って、慌てることなく、泣くこともなく、平気な顔をしていたのです。

限定された物事への興味・こだわり?

アスペルガーの特徴として、『興味のある物事に関して、一度手を付けると熱中しすぎて周りが目に入らない』というものがあります。
いま思うと、この迷子エピソードの原因もそのせいだろうなあと思います。
さらに『相手の先の行動を想像できない』というものもあるので、まさか、立ち止まっているのが自分だけだとは思っていないのです。

そして個人行動がすきになる

限定的な興味に立ち止まりたくなる癖は、成長してもなかなか変わらないもので、目的がはっきりした外出であれば、集団行動は苦手なままでした。

・立ち寄りたくなる場所
・どれだけの時間をそこで過ごすか
・何を楽しむか
は、こだわりが強くでてしまう私としては、『そのことを濃密に味わいたい』が先行して、思わぬところで立ち止まってしまいます。

集団行動だと、そのことでみんなに迷惑もかけちゃうし、かといって我慢しすぎると自分がぜんぜん満足できず、フラストレーションがたまりやすいのです。だんだんと疲弊して、つまらなくなってしまいます。

どうしたら、みんなでいることを楽しめるんだろう?とモヤモヤとしてきましたが、おとなになって、そんなわたしにひとつの結論がみつかりました。

【何を】楽しむか、じゃなくて、【誰と】楽しむか。

それは、集団行動を【みんなでいることを楽しむこと】を目的として、考えることでした。それを最優先に考えると、自分のこだわりを弱くできることを発見したのです!
「何を」じゃなく「誰と」。
それを大切する場合もあるんだと気がついたのです。

やっとか。って思うかもしれないけど、その通りで…。えへへ…。

「モノ」が好きなアスペルガーな脳みそは「人」は後回しにしがちなんです。
無意識に「モノ」にフォーカスを当ててしまう。
ナチュラルにしていると、脳裏に人の姿すら出てこないこともあるんです。
「何を」しているかは、意識はあるけれど、「誰と」いるのかは、忘れてしまうことも多いのです。
そして「今」やっていることに熱中してしまうあまり、「いままで」してたこと、「これから」やることが目に入らなくなってしまうんです。
アスペルガーが「発達障害」の仲間になっているのも、そんな「社会的な生き物」である人間社会にうまく馴染めてないからだと思います。

でも、経験をつめば、徐々に学習します。

アスペルガーはマニュアルがあれば強いといいます。生まれもっては理解できていないことも、いつか体に腑に落ちる時がくると思うんです。それは日々、自分なりのマニュアルを更新して作っていっているから。だからわたしは、アスペルガーであることを諦めずに楽しんでやっていこうと思っています。

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