「或る異端の書」(虚無的世界観からの超克より抜粋)
「或る異端の書」(拙著・虚無的世界観からの超克より抜粋)
不可思議な命運に導かれ冥府を旅したる者の所業量り難く、その意味するところ捉え難し。これ古今を問わず。
叡知の果実食らいしものら世にあふるる。曰く、蛇の道は蛇とは地に這うものの真理というも愚かしく、万物の一片をかいま見たのみ、されば明滅せざるところの世を奇形に捏造せるもやむなし所業。
呪縛されしもの、世のそれ解きても深淵の深淵たる所以に混濁せる意識のおかしくも哀れなる呟きに一瞥はすれど関わらず、この謂れ問いもならじ。
ああ、温血もてりゆえ同化すれど変容ならず。
金色の龍に変化しものの異様さよ、その姿人にも似て人にあらざり。されど故ありて炎の舌すでに抜かれたること誰も知らざり。この様如何様にも例えならざるも、さては人に似たるとは此れ奇妙な事実と云うべきか。
憤懣憤怒、やるせなしと諦めたるは遥かなる秘めし記憶。
陰々滅々たる土壌の地を異形の群が徘徊するなか裸形の幼子歩きたり。おお、さながら地獄絵図の観あり。柔肉を喰らわんと怪異妖怪群がれど食せるもの痺れ硬直せり。その肉甘き香りすれど口に苦く毒なれば食うに能わず。
さて、此の世ならぬ因縁に導かれしものの数奇なる物語の序とはかくの如きなり。
「愚者の夢」
一切は諸々の現象的な比較による観点の考察にすぎず、そのあまたの関係性に呪縛されることによりわれわれは古来より全てを規制され虚勢されてきた。
かかる呪縛の積み重ねをわれわれは歴史と呼ぶ。
われわれがこれらの一切を黙殺消去することが出来ないのも過去の因習に骨の髄まで毒されているからにすぎぬ。何と、不自由極まりない存在であるか!
われわれにとって、そもそも意識とは、意識自体とは?小賢しい思考の捏造以外のなにものでもない!純粋にうごめくものではあっても、そこに何故意味などというものを付加した。限りなく遡及すれば一切はなにものではあってもなにものでもない!これが如何なる根拠をもって存在の存在たる偏見と化したのか?この問いこそわれわれを絶対的解放へと導くものであることは疑う余地はない。
簡単に言えば一切のものに対する思考停止、これこそがわれわれというも愚かな存在の意識自体に対する問いであり答えである。だが、この真理に耐えうるほどわれわれは強靭ではない。あまりにも長期間に亘って呪縛、飼育されてきた我等は――
そうなのだ、おれたちは人生そのものが様々な関係や環境に規定されていると思いこんでいる。おれはそこで悟った。意識無き意識こそが一切からの解放であると。これは何もこのおれの独創ではない。
古来より伝わっている方法である。ただ、この方法の困難は生身の肉体を所有していることによる。そこで、おれはある単純な原理に至った。おれを徹底的に他者、或いは事物と等しくみなすことである。執着そのものを消すとか煩悩とかの気取った観念などがそもそも偏見に満ちた観点にすぎない。生も死も単なる些細な一変化にすぎず、大局より見れば一瞬とも言えない。ここには常に何物かとの比較が働いている。その比較する視点自体を消し去れば全ての関係も価値観なども消失する。自他の関係も価値の質も、いわんや進化も退化も運動も何もかもが意味というも無意味になる。
感覚も無感覚も等しく消し去ること、この絶対的放棄こそ人類の目的にまでなれば無上の至高存在となるであろうに。ゆえにおれはその鍛錬を長年を経て獲得した。今では一切と無縁になりなにものにも関わりをもたない。おれはおれであってもおれではない。単にものとしては在ると他人は知覚されても無頓着でいられる。
最近はこのおれが生きているのか死んでいるのか、はたまた眠っているのか、それすら判然としないのである。単なる生物らしきもの、これがおれの存在ではあるのだが、やがてそれすらも稀薄になるだろう。
おれの方法以外に何の意味も見いだせぬ以上、この在りようがおれの此の世での生存に理想的とは自明と思われる。苦悩や痛みなど全く無縁のこの方法は通常には耐え難いと思う事自体が錯覚であると広めるつもりもない。一切の放棄こそ真理と知るもののみが理解するであろう。
あの世も此の世も超越して神とも悪魔とも虫けらとも共に戯れる。意識自体も放棄すれば何もかもが無関心とも言えぬ無関心の悟りとなる。 こうして不在も非在も無く世界そのものと化す。
だが、この前代未聞の怖ろしき存在、全き不在、不在の在に誰が耐え得ようか?
「自由という責め苦」
さて、かくも数奇なる流刑地にての戯れ言にも似たる物語を誰が聞こうか。ああ、死屍累々たるこの土地に誰一人訪れるものとてない、、、。
この荒涼たる空間こそあらゆる魂の凝縮された意識空間でもあるのだが、この土地に個人の魂が一歩でも踏み込んだ瞬間に失神する。自我を喪失した屍のみが横たわり土壌と化したこの豊饒なる世界。
自己探求者の終焉の地。この永劫の自由という極限の拷問と至福と絶えず変転変容する一切の万物の意識、意識、意識……
おお、畏れを知らぬのどかなる探求者や求道者共等よ!早く来い!
この名状し難い、究極の責め苦を味わわせてくれる。
ああ、さては世界のからくりや秘密を知ったと豪語、錯覚しているお目出たい宗教家、神秘家、哲学者共よ、早々に来い!世を絶した苦痛というものを体験させてくれよう。
おれはかかる愚者の如き夢想のみで存在しているのだ。忌々しいことだが、このおれに答える者は未だ無い。響くのはおれ自身のいびつなこだまばかり――
世の覚醒者と称する皮相な連中はこの実体を知らぬ。故に周囲をも巻き込もうと悲愴なる形相と柔和なる飴と鞭で民衆を調教しようとする。おのれの無知を知らぬ厚顔無恥蒙昧なる自称悟りし者等。
ああ、だが、このおれもかつてはそうであった、、、。
まさに、無知な者ほど畏れを知らぬものはない。獣の眠りとは洒落にもならぬ。真の自由の実体を体験せぬうちには誰もが自由を希求する。だが、これこそ体験しなければ理解し難い。何というわれわれの運命であるか。かの、おぞましいオイデプスの神話は事実である。ありとあるどんな荒唐無稽とされる神話は全き事実に基づいて作成されている。さらには地獄も天国も煉獄も、又各民族に伝承されている如何なる神話もすべてが事実に基づいているのだ。時空などというものは此の世の幻想にすぎぬ、夢にすぎぬ。これすら自らが実体験しない限り絵空事にすぎず、これら想像するだに身の毛もよだつことも単なる情報であれば二流のホラーやオカルト映画と何等変わるまい。
それにしても、それにしてもだ、どのみちすべての個人が通過しなければならぬものであればそれを速めても問題はあるまいと、おれは考えた。そうだ、このおれの手元には十字架や手足に打ち込む楔は無数に用意してある。 此の世を隙間無く十字架で埋め尽くしてくれよう。
こんな愚鈍かつ悲惨な夢想しか出来ないとは、これが自由を得た代償であるとは……
ああ、これは責め苦に耐える為の埒もないおれの夢想にすぎぬ、不可能なる妄想にすぎぬ……
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