ヘルプ~心がつなぐストーリー~ 感想
朝起きて、自分の道を決める。
序盤
序盤にはとっても素敵な名言をいただいた。
23歳大学を卒業して、職を探しながらもミシシッピのちょっと裕福な田舎にいる女の子。彼女の夢はジャーナリストか小説家。この現実を見て、私は大学生のある日のことを思いさした。そして、また、私はその日々の自分のことを責めるフレーズに入ってしまった。だから気分が落ち込んだし、辛くなった。大学二年生の時、海外の好きなドラマや映画を見て、やはりジャーアナリストやプラダを着た悪魔のアンハサウェイのようなキラキラ、素敵な服を着ているが本当は好奇心にまみれていて、そういう業界で働く人に憧れた。憧れたなら、大学の新聞活動やその他ジャーナリズム的な何かに繋がる活動をすればよかったのだが、その心は委縮した。委縮というのを私は悪いことだと捉え、そして、自分のことを何もやっていないと思い責めた。委縮というよりも、まあ、その時の私はその時の私にとって最善の選択を取ったことだし、そのことをいちいち責めたりくよくよするのも本当によくないということが分かってきたように感じる。
だが、どうだろうか。私の大学生生活はとても楽しいものだったし、とても幸せで、自分の卒業研究や授業に関しても好きなものを取ってとても楽しく生きていたと思う。その思い出に失礼だし、自分がやっていないと思って自分のことを責めることは本当に辞めようと思う。
最後
小説家になりたい女の子の母はいつまでも運任せのお嬢さんで変わらないと思ったけど、娘のことを思う心がきちんと物語にも表れていた。たぶん方法がそれぞれに違うだけで、人々はきっと自分のためや他人のために多くのことをして多くのものを救っているのだろうなということがよくわかる。素直な人だし自分のやり方で娘のことを愛していたんだなということがよくわかった。例えば、娘のニューヨーク行きのことを知っていて、お洋服を買いに行くわよというのは末期の病人でもその時の自分が最高のしてあげられることをしている。きっと、ずっとそうだったんだ、みんなしてあげられることをしていただけなんだ。それが、相手にとって必要であったり十分であったりするかどうかは、相手が評価する人だったらそこでジャッチするかもしれないし、簡易的な人間関係の場合はそれは重要な判断だと思う。だけれども、この物語に出てくるような親子や日常から深くかかわる人については、ジャッチして決めることでもないし、自分ができることをしているだけだと考えると、心が晴れる。受け取らなかったのは私かもしれないけれども、こういう面白いことが沢山あるから生きていてよかったなと思う。私も、自分にできることをしていればそれでいいんだ。
他人、それがたとえとても親しい人であったとしても、その人のニーズや願いにかなわなかったとしても、それは、仕方のないことで私が変えられることではない。ただ、その人が自分にとってできることをしているんだって思うだけでまたこの世界をちょっぴりだけ、素敵に楽しく生きれるような気がするんだ。
大学一年生くらいの時に、他人は変えられないってことを深くそれでも少しほんのちょぴっとだけ絶望の色をもって心に沁み込ませてしまったけど、それは今、私の感性の海が洗い流して、しまって。儚、今は人は変えられないというのはいい意味というより私の人生をもっと輝かせる意味で新しく私の心に沁み込んだと思う。
感性の海はこのように、心に沁み込んでいることを多くのことを洗って、まっさらな状態にすることもできるし、また新しいことを沁み込ませることの出来るものなんだということが今、この映画を見てよくわかった。
感性の海を未知の世界をもっと沢山育てるためにも、私はこの道で生きていきたいなと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?