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本質的で必然的だと思う点をぼくは本気にとるのだ。

彼女が朝読んだ本の中から特別な心にしてくれた部分を抜粋しつつ、今日もまた感情の海に溺れるとしようではないか。それは、ヘッセの「知と愛」の64ページにある。修道院にいる、若い教師予備軍のナルチスとその生徒ゴルトムントの会話の中での、ナルチスの発言である。

『ゴルトムント、僕はきみ自身だけを本気にとる。君の声のあらゆる調子。君のあらゆる身ぶり、君のあらゆる微笑みを本気に取るのだという事を信じてくれたまえ。だが、君の思想は、僕はそれほど本気に取らない。君の本質的で必然的だと思う点をぼくは本気に取るのだ。』

なるほどな。そもそも考えが同じ人を探すこと自体もう愛から逸脱した世界だったのだ。人の本質的で必然的なところが好きならそれでいいのであって。それは立派な愛である。という事を学ぶことが出来たような気がする。気が合うのと考えが同じというのは少し違う事で必ずしも全部が全部会う人なんて少しも居ない。だからと言って、魂が騒がしい人と魂が静謐な人とが一緒になることはお互いにつらいだろう。(そういえば、魂という言葉を使うとスピリチュアルな感じがして警戒されると文章を校正されたことがあったが、言葉と何かを勝手に結びつけて考えているのは人間の得意とすることだ。もっと、純粋な解釈を思い出してほしい。何も、全てにその言の葉以上の意味などないのだ。自分の生まれてきた意味ひいては人間が存在する意味が、地球が存在する意味が絶対に分かるという人だけが誇らしげに掲げていればいい勝手な結びつきだとも思う。そして、毎度の事話が逸脱するのがこのエッセイの筆者の第17のスキルである。ちなみに第6のスキルは動物と話せることである。エピソードもいくつかあるがここでは割愛させていただく。)(無駄話は()で括るというスキルも手に入れたぞ。)そこは何となく自分と合いそうな人はお互いに惹かれ合うようになっている気がする。そこから問題だ。人間は深く関わり合うとなぜだかもっと相手を変えるためにパワーを使ったり、自分の存在を示したかったり、とりあえず多種多様の他人に対する傲慢な侵入を披露していくことになる。これに対して、有効な考えとしてこの本のこの引用が心に響いたのだ。特に、君の本質的で必然的だと思う点をぼくは本気にと言うというところ。これが真理だ。相手の、本質的で必然的だと思うところを好きならそれで充分人間と関わっていてあなたの存在は認められると言えるのではないか。今一度、自分の身近な大切な存在についてこのような観点から本当に好きと本当の愛というものを垣間見てほしいと思う。と彼女は考えを巡らせたようだ。

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