「読む時間(On Reading)」という写真集の感想文
アンドレ・ケルテスというハンガリー出身の写真家の作品集
「読む時間(On Reading)」。
写真集の感想文?ってありですかね……
でも書いてみます。
巻頭に谷川俊太郎さんの詩があります。
「読むこと」というタイトルで、2ページ分綴られています。
中の写真を見る前にこの詩を読み、やられました。
「ちょっと高い本だったけど買ってよかった」
「これは絶対にメルカリに出さないわ」(笑)
と思いました。
きっと本好きさんの多くはこの詩を読んだら
「ああこれ私のことです」
となるでしょう。
この詩のあと、扉ページがあり、まえがきの翻訳、そして写真が続きます。「読んでいる人」それぞれの「読む時間」をとらえた写真たちに引き込まれていきます。
まえがきには次の一節があります。
この小さな本は1971年に最初に出版され、ケルテスの代表的な作品集の一つとなっている。1915年から1970年までの間に撮影された作品一つ一つの中で、あらゆる暮らしぶりの人々が読むときに見せる、きわめて個人的だが同時に普遍的でもある瞬間をケルテスはとらえようとした。
「きわめて個人的だが同時に普遍的でもあること」
はぁ~これは言い得て妙だ。
世の中に「きわめて個人的であり普遍的ではないこと」や「きわめて普遍的であり個人的ではないこと」はたくさんあるように思います。
では「読む」ことと同じく、「きわめて個人的だが同時に普遍的でもあること」ってほかにあるかな、と考えてみたら、それは人としての本能に基づいて行われる様々な行為がそうなんじゃないかと思いあたりました。
「読む」ことは人としての本能なのだとすれば、そうかもしれないです。
世界の各地で撮られた写真の中には、@東京、@京都もあります。
そして装丁もとてもステキな本です。
いま自分が「読める」ことの幸せを感じることができます。
これを書き終わったらコーヒーを淹れ、もう一度パラパラと楽しんで、そして本棚の特等席にそっと戻しておく。そんな本です。