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病気から学ぶこと。

ついにコロナに感染してしまった。昨年私以外の家族が感染した時もひとり免れ、数回の流行期にも感染しなかったがここにきての感染。5類になりマスクが外れ行動制限もない。なので感染も広がりやすい環境ではある。私も仕事以外ではマスクを外していることも多かったのでおそらくもらってしまったのだろう。感染系の病気には強い免疫をもっているのではと思っていたけど、どうらやコロナは別格だったらしい。
病気になって先ず、家族の反応。夫は初日は心配してくれ、仕事も休み家のことも率先してやってくれ、なんともできた夫をもらったと密かに感激していたが、翌日から仕事が忙しくなると家のこともままならない。結局感染リスクを気にしながら子供たちのご飯を作る状況に。3日目の朝は前日の仕事の疲れと私のそっけない態度への反発なのか体調を気づかう声かけはなし。
私が感染したことを忘れてしまったのか???そんな苛立ちを感じる。
長男は彼なりにやれることをやろうとしてくれ、朝食は弟の分までパンを焼き、スクランブルエッグを作ったりしてくれていた。次男は状況を分かってはいるものの、そこは次男。お手伝いより楽を選ぶ。ここで兄弟の自然な構図が出来上がっていることが手に取るように分かる。病気をすると家族の反応も三者三様である。家をある程度の綺麗さをキープしているのも日頃のちょこちょこした行動の積み重ねだということも病気をすると分かる。たった一日寝こむだけでなんだか家が汚く感じる。整っていない家にイライラするのは私の勝手な感情なのでそんなことを気にしない男子軍団に主張しても通じない。これも今回学んだこと。そして、両親や妹に感染を伝えるとひたすら大丈夫?のライン。無理するな。ごはんもたまには適当でいいんだから。そんなメッセージも。実際に手をかしてもらえる状況ではないけど体調の変化を心配してくれるありがたい存在。ここ3.4年体調を大きく崩したことがなかっただけにコロナ感染からやはり母が倒れると家がガタつくと実感。おそらくこの感情を抱いたのは私だけだろうけど。夫とは少し険悪だったけど子供たちのお弁当を初めて作ってくれたし、それはとても助かった。そして何より健康のありがたみ、毎日同じペースで生活することの喜びも学んだ。毎日家事・仕事その中で自分のやりたい事を押し込むピッチ高めなところもあるので少しローペースな日も織り交ぜながらやっていかないといけないんだろうな・・・とも思った次第です。

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