見出し画像

27.卒論のテーマはどうしようかな

卒業の見込みでもないのに、卒論のテーマだけは決めていたものがありました。

「障害者スポーツ」

このテーマの考察をすごーくしたかったのです。でも、教授に大反対されました。理由は「客観的な視点で論文を書くことは出来ないだろう。」でした。

当時は教授の言葉は理解できませんでした。私は当事者だから、自分の身体を介した論述ができるだろう、なのに何故教授は反対するのだろう。。。

「先生、変人!!!」って思いましたよ。

泣く泣く別のテーマにするのですが、その構想自体時間がかかってしまって。

でも今は教授の反対した理由は理解できます。論文は客観的思考がなければ単なる読書感想文にしかならず、論文としては認められませんから。当時の私は発症して1年、2年しか経っていない状況ですから「障害者スポーツ」のテーマに取り組む場合、必ず主観的な捉え方しかできないと教授は感じたのでしょうね。

修士や博士号の論文と違い、学士の卒論ぐらいなら好きなテーマで書かせればいいじゃん。と思われるかもしれませんけど、今後、院に進学するかもしれないし、その辺りの区切りはキチンとしなさいよ、という教授の愛のムチだったのかもしれません。結構厳しかったからなぁ、先生。

障害者スポーツが出て来たので、少し私の独断と偏見を書きますね。

本来なら今日が開幕日だった東京オリンピック・パラリンピック。新型コロナの影響で、1年延期になりましたが今年の初めのころまではパラ選手たちをここぞとばかりクローズアップしていましたね。

でも、私の大学時代ではパラ選手は、そこまで取り上げられることもなく、強化選手に選出されたらある程度のスポンサーがつくかもしれませんが、当時はまだ遠征等は個々人の実費で行うスポーツでした。

また、パラリンピックって「Paralympic Games」と英語では記載されます。Paralympicの語源は「Paraplegia」+「Olympic」の造語で、Paraplegiaとは両下肢のみの運動麻痺(胸から下の脊髄損傷)を指しています。

始まりは1948年のロンドンオリンピックの開催日と同日に開催された、ある病院内での競技大会だとされています。

1948年って第二次世界大戦の終戦直後でしょ?その頃は、負傷兵が多数存在していました。その負傷した人たちにリハビリテーションの一環で「手術よりスポーツを」の理念で始められた大会だったとか。

前述したパラリンピックの語源自体も下半身不随ですし、パラ選手を見ていても下半身麻痺、手足の切断、脳性麻痺、視覚障害の方々が大半で、私のような右半身不随の選手は存在しても超少数派かと思っています。

「私は障害者スポーツですら参加できないのか。」と後年気付きました。ちょっとばかり悔しかったです。

だから私は、過去のパラリンピックが話題になっていても観る事すらしていません。2020のパラリンピックも放送されていても観ることはないでしょう。パラ選手に何の思いもありませんが、パラ選手主体で流すCMが嫌で嫌で仕方がありませんでした。

私の身体で、できるスポーツもあったかもしれません。けれど、健常者だったころとのギャップが激しすぎて、当時の身体能力のレベルに持って行けないと諦めた時から、障害者スポーツにも見向きもしなかったことは事実です。

いつも思うことがあって。。。

仮に仕事としてスポーツなりダンスなりを教える立場になっていて、この身体になってしまったら、大きなダメージは受けたと思います。でも、自分は動けなくなってしまっても、教える立場になっていたら何かしらのポジションには復帰は出来ると思います。今もスポーツに関わることは可能だったと思います。

けれど、私の場合はそのスタートのスタートから脱落した落伍者という形なので、「何もできない」と諦めざるを得なかったのです。

私が未だに持っているコンプレックスは強烈なもので「過去の栄光を振り返るな。」と軽く言われたところで、私のコンプレックスを払拭できるほどの効力はないなーと思っています。

noteを書き始めたのは、友人の勧めだったこともあるけれど、未だに払拭できない過去と私が持つ大きなコンプレックスを吐き出して、自己を顧みたいと思う気持ちが大きかったからです。

ああ、障害者スポーツのことを少し書いただけでも今、感情的になっている。教授は正解でしたね。障害者スポーツをテーマに論文を書かなくて大正解でした。

なんか今日はフラフラで感情的な文章になってしまいましたね。

この記事が参加している募集

サポートいただくと励みになります。 より良い文章を目指して頑張ります。