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【連載小説】転送少女症候群、もしくは黍島柘十武の長い回想 #11




 ふう、と遊はひとつ息を吐きました。そして、僕を見詰め返すと、疲れないかい? と遊は微笑みました。大丈夫だよ、お前は? と僕は返しました。いや、わたしは大丈夫、でもツトムは……そして、覗き込むように僕の表情を確かめると、わかった、続けるよ、と呟きました。
「でも、まあ、どうやってやったかって話は大して重要じゃない」
「ん?」
「少なくともわたしにとって」
「……うん」
「聞きたい?」
「遊が話したいなら」
「話したいわけでもないけど……うん、わたしは、ある少女専門の信用ある組織のひとりとしてそこに行った。
 おかしいね、少女を専門に売る信用ある●●●●組織、なんて。
 まあ、細かいところはわたしもわからない。ただ、そうしろと言われて、そう振る舞った。
 思えば、その『檻』をちゃんとした門から出るなんて、初めてのことだった。
 でも、何の感慨も無かった。
 車に乗り込む前にミツウラは、小さな細長い金属の箱のついた鎖をわたしの首に掛けた。これはお守り、仕事が終わったら、開けてご覧なさい、それまではダメよ、と言った。わたしは、その言いつけを破って中を覗く好奇心なんて、湧かなかった。
 もう色んな手筈は整っていて、わたしは、ただベルトコンベアに乗っているみたいに、そこまで流されるだけだったよ。
 ホテルの部屋には――こんな安っぽい部屋じゃない、豪華なマンションみたいな部屋だったけど――オットセイが上等なスーツを着てますみたいな歳を取った男がいて、わたしを冷たい目で眺めると、随分でかいな、って言った。
 まあ、わたしは、この身長のせいで、年齢ほど少女には確かに見えなかっただろうね。
 すみません、と謝った。十五? と彼は訊いた。はい、と応えた。そう、と男は立ち上がり、わたしに近づいた。
 近くで見ても、本当に冷たい目をしていたよ。
 わたしは、もし、お気に召さなければ、別の者と変わりますが、と言った。いやいい、と彼はわたしの手首を取った。そして、わたしの肩をつくように押して、後ろを向かせると、そのまま素早く滑らかに後ろ手に手錠を掛けた。
 随分と同じ事を繰り返しやってきたんだろうね、わたしの『体育』なんかよりずっと多く。わたしは何の反応もできなかった。呼吸を整えることも。
 それから男は私の首に掛かってた鎖と箱に手を掛けて、これは? と訊いた。わたしは、お守りです、と応えた。男は何も言わずそれを首から取り、ぽいと、ごみ箱に投げ入れた。そして、そのまま寝室まで連れて行かれてベッドに倒された。
 もう、軽いパニックだったよ。わたしは決行のタイミングを失った。
 男はわたしを冷たく見下ろしながら、ネクタイを外し、シャツを脱ぎ、ズボンを下ろした。……まあ、抵抗できない状態で、何をされたか、想像つくよね。でも、そのツトムの想像よりもっとおぞましいことをされた。フルコースでね。
 そういう間も、わたしは呼吸を続けることをやめなかった。一瞬混乱した頭を冷静な状態に戻そうと努めた。
 だけど……笑っちゃうのはさ、そんなことをしながら、その男が、ママ、ママ、って叫ぶんだ。わたしを汚しながら、甘えるんだ。滑稽でさ、悲しくなったよ。
 まあ、そんなものに気を取られ続けるわけにもいかなかった。タイミングがあるはずだった。こんな状況でどんなに注意深い男でも絶対に注意を保てない瞬間が。そしてその余韻に浸る時間が。
 幸いにも脚は自由だった。そういう『課題』もこなしてきた。
 そして、その瞬間が来た時、わたしの身体は殆ど自動的に動いた。
 我ながら、鮮やかなもんだったよ。急所を捉えた後、うずくまる男の首に脚を掛けて締め上げた。
 あの感触。ふくらはぎにかかる息。命が消えて行く時に発せられるもがき、熱。
……やがて、男は動かなくなった。
 それでもわたしは力を緩めなかった。
 部屋の置時計を見てたよ。習ってた人が死ぬまでにかかる時間が過ぎても、その何倍になっても、わたしは脚を解くことができなかった。
 そして、いつしかその場にあった狂った空気が消えて行って、ただひたすら静けさが降りてきた時、ようやくわたしは固まってしまったような脚をなんとか解いた。
 少しその自分の作った死体を見下ろしたけど、余計な感傷やら罪悪感に浸る余裕は無かった。部屋の外には、屈強なガードマンがいた。わたしにもどうにもできなさそうな。
 飛ばなければならなかった。
 でも●●どうやって●●●●●
  どうやら、わたしはミナと違う。人を殺しても、勝手に飛んだりはしなかった。
 この死体に恋を? 無理だ。ミツウラは、わたしを、ただここに捨てた?
 そして、ふと、あのミツウラが首に掛けた小さな箱を思い出した。
 お守り。
 そうだ、ミツウラがノープランでわたしを放り出すわけがない、わたしは特別だ、特別なんだから……。
 わたしは手錠を外すことができなかったけど、立ち上がり寝室を出、ごみ箱を蹴飛ばして、出て来たそれを口にくわえて、テーブルにのせた。
 それから、舌と歯でそのケースを開けようとした。なんとか開いたけど、中のものが、コロンと床に転がったよ。
 なんだろう、と思った。すぐにそれが、指の形をしたものだとわかった。そこに光るものがはめられていた。瞬間、模型? と思った。顔を近づけてみた。その切り口は、どう見ても『生肉』だった。そして、その指にはめられていたのは、間違い無く、あの特別な指輪だった。
 人を殺すまでしておいてナンだけど、悲鳴が出そうになった。でも、視線を逸らすことができなかった。
 痛みが、胸を衝いた。
 わたしは、穢れた半裸のまま、どこかの道路にいた。人が歩いていたよ。いっぱいね。皆ぎょっとしてた。でも、恥ずかしさなんて、どうでもよかった。些細なことだった。わたしは後ろ手に手錠のまま歩き、近くに公園を見つけて、その遊具の陰に崩れ落ちた。
 どのくらい経ったのかな、そんなにかからなかったと思う。公園の前に車が止まって、ユウ、と呼ぶ声がした。反応できなかった。でも、覗き込むようにミツウラはわたしを見つけた。
 大体距離的には予測通りだわ、と満足げに呟くと、ミツウラはわたしを見下ろした。ね、必ず見つけるって言ったでしょ? と言った。私の意識は、チップの埋められた手の甲に動いたけど、何も言えなかった。でも、すぐに目が勝手にミツウラを睨みつけた。ふ、と微笑むと、ミツウラはわたしを立たせ、肩を抱くようにして、車まで導いた。
 乗り込むとき、少し足が止まった。逃れたい、と思った。でも、そんな衝動に従うことは、どうしてもできなかった。
 彼がいたから? うん、それが心の九割。でも、残りの一割に、あの『檻』を離れることに対しての怯えとか恵まれた贅沢を捨てることの未練や『連中』から逃れきることができないという諦めがあったのは間違い無い。
 わたしは車に乗った。何も考えられなかった。いや、考えたら、自分の中の汚い嫌なことばかり言葉になってしまいそうで、わたしは、頭の中で、あーあーあー、ってただ叫び続けた。
『檻』に戻り、手錠を切断してもらって、わたしは風呂に入った。
 温かいものがここにあった。緩んでしまう自分が汚らわしかった。
 わたしは頭を湯船の中沈めた。死ねたら、楽だって。苦しくなった。本当に苦しくなるまで沈んでた。
 でも、その苦しさがピークになった時、頭のどこかで、わたしが死んだら彼はどうする、って言葉が浮かんだ。
 顔を上げた。激しく息を吸った。
 そんな言葉が、自分の命を守るためだけに、頭に響いたような気がした。
 ミツウラは何も言わなかった。わたしも何も訊かなかった。でも、あの指は、間違い無く、彼の指だった。
 これから、多分、わたしが何かしらの『任務』をするたび、彼がどこかしらを失うんだ、と思った。
 何回? あと十九回? それで、もし、本当に解放されることがあったとして、その時、彼は幸せか? わたしのやったこと、やろうとしていることは無駄なんじゃないか? 何故か、力無く笑みが浮かんだよ。
 は、と息を吐いた。考えても仕方無いことだった。
 考える力も、失っていた。
 ただそのままぼんやり湯船につかりながら、ああ、そう言えば、男に抱かれたのは、初めてだったな、と何の感慨も無く、思った」

 遊が力無く微笑みました。僕も微笑みで返しました。
 それ以外に何もできなかった。
 殺人の話でした。そのことの重みが、僕に無かったと言えば、嘘になります。恐ろしい話でした。
 でも、それ以上に不幸な少女の身の上でした。遊の言葉を借りるなら、不公平な心が、彼女の罪を許していました。
 そして、その許すという心情によって、僕は遊と同じ地平に立ったような気がしました。
 突然、遊が、戯けたように首を振り、ところでさ、とニヤリと笑いました。何? と問いました。
「ところで、やっぱり、ツトムはホモだったんだな」
「……なっ、違っ……」
「どうりで、いつまでたってもわたしに手を出さなかったはずだよ」
「いや、違う、あれは――」
「いやいや、いいんだ、それでも。わたしだって、女としてきた。まあ、わたしは両方イケる口だけど」
「だから、違うって」
 遊がベッドを飛び降り、僕に近づいて、座ったままの僕を覗き込むように見詰めました。
「ん?」
「いや、あれはだから、無理矢理……」
「んー?」
 僕は目を逸らしました。何度目を逸らしても、遊が顔をそちらに動かして、僕をいたずらっぽく見詰め続けました。僕は立ち上がり、それから逃げるように部屋の中を歩き回りました。その後を遊がふざけて追いかけ回しました。
「なあ、言っちゃえよ。本当のことを」
「だから、違う、あの人がそういうひとで、無理矢理だったんだ」
「誘ったんだろ?」
「ち、違う! 大体お前がいるとわかってる部屋に何で――」
「その本気で否定するところが怪しい」
「だから!」
 僕は、大きな鏡のある洗面台に追い詰められて、仕方無く遊と向き合いました。遊が僕を見詰めて、いいんだ、と言いました。何が? と問いました。
「……いいんだ。ツトムが、ホモだろうが、例えばなんかの変態性欲者だろうが、なんだろうが」
「……だから――」
「ごめんね」
「え?」
「何だって良かったんだ。誰でも良かった。そこに恋のできそうな人間がいれば、わたしは誰にだって、恋をする」
「……うん」
「ツトムじゃなくても良い、というのと同じくらいの意味合いで、ツトムでも良かっただけの話なんだ」
「う……ん」
「好きにならないでね」
「……」
「お願いだから」
「……」
「これから、何を話しても」
「……」
「これから、わたしが何をしても」
「……」
「ツトム」
「……何?」
「わたしは、もう、いつでもここを立ち去れる」
「え?」
「おそらく、すぐにでも」
「どういう、こと?」
「でも、全てを話し終えるまでは、ここにいる」
「……」
「ツトムのためじゃなく」
「……」
「やっぱり、それも自分のために」
「……」
「あのひとは大学の先輩?」
「……うん」
「あの後、もっと何かされた?」
「……」
「そうか……だよな」
「……何も、応えてないぞ」
「……そうだね」
 背中を向いて、と遊が言いました。僕は言われるまま、振り向き、洗面台に両手をつきました。
 僕が映っていました。
 遊の話を聞いて、随分と特別な何かになった気がしたのに、見かけは何も変わらない貧相な自分がそこにいました。
 それが自分だということを、受け入れがたく感じました。
 でも、そこに映るもの以外の何物でもありませんでした。
 悲しくなりました。
 目を閉じました。ふ、と背中に遊の身体を感じました。僕は振り返ろうとしました。それを遊は押しとどめました。何? と聞きました。何も声はしませんでした。ただ強く、僕は遊に抱き締められました。
 次の瞬間、遊が僕の腕を取り、背中へと捻り上げました。多分加減したんでしょう、痛くはありませんでしたが、それは僕の自由を奪いました。
「な、何?」
「動けないよね」
「離せよ」
「言い訳をあげる」
「え?」
「ツトムは動けなかった」
「おい、ちょっと……」
「もし、ツトムが同性愛者だったとしても」
「だから、違う……」
「君はこれから無理矢理されるんだ」
「え?」
「もしそれが辛いなら、自分でするようなもんだと思えば良い」
「おい、ちょっと――」
「でも、ひとつくらい、憶えていてほしい……そう思うようになったんだよ」
 そして、遊の手が僕の下半身へと動きました。僕は慌てましたが、でも、逆らえませんでした。
 氷井と同じように、手慣れた手つきが、僕を剥いでいきました。そして、柔らかな指が僕の先端を、なぞりました。
 鏡を見てなよ、と声がしました。僕の目は鏡に動きました。
 情けない顔が映っていました。
 遊は僕の背中に隠れていました。まるで、そこに僕しかいないみたいでした。
 でも、自分の意志とは関わりのない快感が、下半身に膨張していきました。ああ、と鏡の中のまぬけな顔が声を上げました。遊の指の動きに合わせて、それは歪みました。歪む度に、恥ずかしい喘ぎが聞こえました。
 高まりが、最大限になったとき、僕は、氷井を思い出しました。あの指と、この指の導く結果の間に、何の違いもないことを、鏡に映った歓喜に火照る醜いものが教えてくれました。
 そして、どんな注意深い男でも、注意を失う瞬間が、不注意な僕にも訪れました。
 
 それから、僕たちは何も言わずに、そのホテルを出、部屋へと戻りました。
 その日の分の話は既に終わっていたらしく、遊もその後のことについて、何も話そうとはしませんでした。僕も、あんなことの後で、少々気まずくなっていました。
 ひとが快感に身を任せてしまったとき、何故あんなに滑稽なんでしょう。
 遊が言ったように、でも、それは悲しいものでした。
 僕は遊をベッドに無理矢理寝かせ、自分は床に横たわりました。何故か、そうしなきゃいけないような気がしました。そんな優しさ――気遣いだけが、僕にできる全てでした。ベッドの中から、ツトム、と遊が呼びかけました。僕は、何? と応えました。
「わたしが、最後に必ずツトムを置き去りにするように、飛んだ先で恋を上書きし続けていくように、もし、何かあったら、ツトムはわたしを見捨てて欲しい」
 おやすみ、と遊が言いました。僕も、それに応えました。だけど、眠れませんでした。そして、どんなに目を凝らしても、夜の暗闇の中に、心を静める答を見つけることはできませんでした。

<#11終わり、#12に続く


 この物語はフィクションです。実在するあらゆる個人・団体・学校・組織および事件・事象などとは一切関係ありません。
 また、この作品は2016年にKDP・Amazonで電子出版された作品に読みやすくするため改行や若干の言葉の変更などを加え、分割して順次掲載する予定のものです。以前の電子書籍版と大筋において変更はありません。

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