見出し画像

【連載小説】転送少女症候群、もしくは黍島柘十武の長い回想 #07





 次の日も僕は普通に家を出ました。遊は、そんな僕に、待ってる、どう話せば良いか、何度も頭の中で推敲しながらさ、と笑いかけました。
 そして出て行こうとする僕の背中を捕まえて、ねえ、大学の図書館って、新聞の縮刷版があるだろ? と言いました。ん? と少し振り返ると、遊は、そうだな、三年前の今日の新聞を探してみるといい、そこにはわたしの痕跡がある、と言うと僕の背中をぽんと押し出しました。
 学校に行って、講義を受けていても、もう誰も話しかけてはきませんでした。あの男の言ったように、僕の利用価値に見切りをつけられたのかもしれないな、と思いました。
 それはそれで良かった。
 元に戻っただけだから。
 それに、志伊理美自身がどうこうと言うのでは無く、遊の問題の方が相対的に大きなものとなってしまって、志伊理美に対する興味と好意を薄くしていました。
 講義の空き時間、言われた通り、僕は図書館で、新聞の縮刷版を捲りました。三年前のその日の紙面を僕は隅から隅まで読んでみました。でも、遊の名前など、どこにも見つけられませんでした。
 まったく、と呟きながら、僕が大きく息をつくと、そっと肩に触れるものがありました。驚いて振り向くと、そこには志伊理美が立っていました。
 図書館でのことです。彼女は僕の耳元に顔を寄せ、囁くように、また、見つけた、と言いました。
 僕は縮刷版を閉じ、書架にそれを戻すために立ち上がりました。その後を志伊理美はついてきました。
 声がしました。
 一度目は偶然、二度目は必然、三度目は? 
 答はわかっていましたが、僕は応えませんでした。
 何度でも言いますけど、嬉しくなかったわけじゃないです。それは確かに甘い声でした。それに、僕はまだ志伊理美に酷いことをされたわけじゃない。ひとりのひとを嫌うのに充分な接触があったわけでもない。でも同時に氷井の言葉を嘘だと断じることもできない。彼は自分の最大の秘密を明かし、そして、それが嘘じゃないことを唇で証明してみせました。
 それに、どちらが虚言を弄しているにせよ、ひどく面倒くさいことに巻き込まれているような気がしました。面倒なのは遊だけでいい、という心境でした。
 だから、僕は何も話しかけませんでした。口に入った甘いものを吐き出そうとしました。
 でも、僕が図書館を出ても、彼女は僕の傍を離れようとはしませんでした。僕は、立ち止まり、彼女に振り返って、ノートならその内ちゃんと見せてあげるから、そんなに僕の機嫌を取らなくていいよ、そんな演技なんてしなくていい、と精一杯の努力で告げました。
 僕の目をのぞいて、そう? と言うと、彼女は何の未練もなく、振り返って去って行きました。
 僕は苦笑混じりのため息をついて、また歩き始めました。まあ、僕の価値なんて、そんな程度だろう、と思いました。どこかに割り切れない気持ちもありましたけど、でも、納得しようとしました。……してました。
 不意に、どん、と背中に衝撃を感じました。思わず立ち止まりました。振り返ろうとする僕を、押しとどめる力が込められていました。そして、彼女は言いました。
「わたし、欲しいものは、絶対に手に入れるの。手に入れたものは、誰にも取られたくないの。絶対に」
 どういう意味の言葉かわかりませんでした。やっぱり、問い返す言葉は出ませんでした。でも、込められた力がふっと抜けました。僕はやっと振り返ることができました。
 後ろに手を組んだ志伊理美が、少し下から覗き込むように軽く腰を曲げて、笑っていました。少し頬を染めて。
 僕はそれを見詰め返すくらいしかできなかった。彼女は、すっと背筋を伸ばし、ふ、と表情を落としました。いつか、女の人は怖いね、と僕が言った時の、灰色の瞳がそこにありました。僕は、少し、緊張しました。彼女が言いました。
「お願いが、みっつあるの」
「何?」
「ノートを、これからも見せてくれる?」
「それなら、さっき言ったけど、構わな――」
「それから」
「うん」
「そんなに怖がらないで欲しいの」
 僕は、なんとなく自分の心が読まれてしまったような気がしました。はっきりと彼女を怖れていたわけじゃないですけど、でも、彼女の甘みが、ただ甘いだけのものではなく、キャンディコートの表面が溶けた後にその芯に何があるかわからないような、そんな感じはしていました。
 氷井が現れなければ、そんな風には思わなかったのかもしれないですけど。
 でも、僕には、そんなお願いを適当な言葉ではぐらかしたりする図々しさや、本当の気持ちを言って拒絶する勇気は、やっぱりありませんでした。僕は幾分ぎこちなく頷きました。
 彼女は、少しだけ顔を傾けて、わたしは、ふつうの、女の子だから、と呟くように言いました。ああ、と僕は応えるよりありませんでした。良かった、そう言って、彼女は振り返り、足を出しました。
 思わず、僕は訊いてしまいました。
「みっつめは?」
 彼女は、ふ、と足を止め、上半身だけで軽く振り向き、僕じゃないどこかに視線を遣ると、柔らかく口角を上げました。僕はもう一度訊いてしまいました。
「みっつめって?」
「……それは」
 彼女は息を止め、少し動きを凍らせ、次の瞬間、ぱっと、何かの拘束が解けたかのように、歩き出しました。僕は、呼び止めるかのように、みたび、みっつめって? と問いかけました。でも、彼女は、きっとそのうちね、と明るい声で応えると、またね、と歩きながらくるりと回るように振り向いてから、その場を去って行きました。蕩けるような笑顔でした。
 なんだろう、と思いました。だけど、馬鹿なのかもしれないけど、またもや口の中が甘くなりました。
 みっつめ、のお願いをどうしても聞いてみたくなっていました。何か特別なお願いなような気がした。それを言わせることは、そして、それを聞くことはとても深い意味のあるもののように思えた。自分が特別になれるような。
 でも、同時に、――君、自分にそんな魅力あると思う? そんな氷井の言葉が、頭を過ぎりました。ある、と思いたい気持ちが無かったとは言いませんが、僕は、どちらかと言えば、自己評価を高く持つことに慣れていませんでした。大学にはたまたままぐれで入った、という思いを今でも消せないように、その時の僕も、志伊理美が何か勘違いしているとしか思えませんでした。
 自分を低く見積もる方が、何故か安心できました。そうしておけば、他人(ひと)に何をされても、心のつじつまが合った。ある種の処世術でした。
 僕は、何故だか、氷井に会いたくなりました。現れてくれないだろうか、とちょっと周りを見回しました。
 いや、キスとか、そういうのが欲しかったわけじゃないです……多分。でも、もう一度、君、自分にそんな魅力あると思う? と問うて欲しかった。そして、浮かれかけた心をいさめて欲しかった。じゃないと、もっと酷く傷つくことになるような気がしたんです。
 僕は、なんとなく、食堂に行きました。そこに彼はいました。僕は、ふらふらと彼の座っているテーブルに近寄り、ぎこちなく会釈しました。彼は、それまでと同じように、けだるい視線を僕に注ぎました。
 座りなよ、と言われて、そうしました。僕は言われるまま向かいの席で俯いて、何を言えばいいのか考えていました。しばらくして、ふ、と彼は笑いました。
「もっとして欲しくなった?」
 僕は、慌てて首を振りました。彼は呆れたように息をつくと、じゃあ、何? と僕を見据えました。僕は言いました。
「志伊さんが……」
「志伊理美が?」 
「また……」
「また、何か言われた?」
「はい」
「そうか」
「あの……欲しいものは絶対に手に入れるし、手に入れたものは、絶対に誰にも取られたくないそうです」
「へえ、そう」
「……僕の……ことでしょうか?」
「どういう文脈で言われたのか知らないけど、普通、自分の事だって想うよな」
「……ええ……それから」
「それから?」
「みっつお願いされました」
「お願い?」
「いや、みっつお願いがあるって言って、でもふたつしかされませんでした」
「ふうん」
 僕は目を上げました。そこに余裕のある笑顔がありました。受け入れられてる、と思いました。
「僕は、自分にそんな価値があるなんて思えません」
「あのさ」
「はい」
「君に価値があるかどうかはどうでもいい、そうやって、考えさせるのがあいつの目的であり、手管だよ」
「はあ」
「みっつお願いがある。その内ふたつは言った。みっつめって何だろう? みっつめって何だ? もしかして、スゴイことじゃねえの? 付き合ってとか? ……なあんて、考えたろ?」
「……いえ……いや……まあ、それに近いことは……」
「その考えている間、君はあいつのことを考えることによって、あいつのモノになってる」
「……はい」
「あいつに意識を奪われている」
「はい」
「そして、知らぬ間に、あいつに恋をしていると思ってしまう」
「はい」
「あの女はさ、周りにいる男たちの興味が自分に向いてないと気が済まないんだ。あの見かけだってそうだぜ? ああいう擬態さ。男をおびき寄せるためのね。ああいう感じの女がまさか嘘をつくはずがないって、皆が思う。そして騙されて、あいつのモノになる」
「……はあ」
「コレクターなんだよ。男の切実な気持ちを集めて喜ぶ収集家なんだ。昆虫採集さ」
 彼は柔らかく指を組んで、椅子の背に深く凭れました。僕も緊張で固まった姿勢が少し緩んだのを感じました。彼は、まるで近所の子供に語りかけるお兄さんのように、話を続けました。
「俺はさ、女に興味ないじゃん。……いや、寧ろ敵なわけじゃん? 連中は、女であるってだけで、何の努力も無く俺の好きな人たちを奪っていく。
 まあ、現代のこの国では――この国の人々が作り出す大きな物語の中では、仕方無いことだけどね。
 だから今までは、諦めてきた。その方が、普通の男である相手にとっても幸せなことだよ。だから、黙って、我慢して、諦めてきた。笑顔で、痛みを耐えてきた。相手が幸せなら、それでいい……と思うようにしてきた」
「はい」
「でも、あの女は違う。誰も幸せにしない。そんなことには興味がない。ただ自分の思い通りに男の気持ちを動かして、暇潰ししてる」
「……よくわかりませんけど」
「親友同士が、争い、殴り合って、今、絶交状態だぜ? このテーブルだって、ちょっと前までは、サークルのメンバーが集まるたまり場だったんだ。
 なのに、今は俺一人。 で、そんな空中分解したメンバーの中で、あいつは平気な顔して、まだ、変わらずに皆をそそのかしてる。火を起こしただけじゃ足りずに、ガソリンを注いでやがる。
 なのに、誰もあの女が悪いと思ってないんだ。皆が、あの女は他の連中に騙されてると思ってるんだ。すごいよな。魔性だよ……まあ、俺には通じないけどな。俺は今ほど自分の業に感謝したことはないね」
「そうですか……訊いてもいいですか?」
「何?」
「本当に、その……」
「ん」
「男が好きなんですか?」
「ああ」
「女の子を好きになったことは?」
「無い、ね。友達になりたいと思った子はいたけどね」
「はあ……」
「寂しそうなコだった。俺も、こんなだから、寂しかったしね。友達になれるかもしれないと思った。でも、男を愛するように、女を愛したことはないよ」
「……はあ」
「だから、もう、これ以上はあの女には自由にさせない」
「はい」
「君も、自由にさせるな」
「はい……でも」
「でも?」
「あのコの目に、僕の何がとまったんでしょう」
「さあね」
 あいつにとっては珍しい虫だったんだろ、と氷井は僕を眺めました。僕は、次の授業のために立ち上がりました。背を向けたその後ろから、でも、と彼の声がしました。僕は、振り向きました。
「でも、昨日のアレは悪くなかった」
 氷井は首を傾げ、ふざけたように手を振りました。僕は、ひきつった愛想笑いをしてその場を急いで離れましたが、彼が見えなくなった所で、なんだか口の中が甘くなったような気がしました。

 部屋に帰ると、遊は眠っていました。
 それだけを見れば、到底殺人犯とは思えない可愛らしい寝顔でした。
 僕はどうしたらいいものか判らず、とりあえずカップラーメンを作り啜っていました。遊がムクリと起き上がって、ごはんの匂いがする、と寝ぼけたような口調で言い、大きな毛虫が這いずるみたいに僕の傍に寄り、顎を肩に乗せ、あーん、と口を開けました。僕は、ひとつため息をつき、カップ麺を遊の口に運びました。でも、遊は、あち、と叫んで、それを口の中に収めることができずに、僕の肩にこぼしました。僕は、慌ててそれを拭い、ちゃんと食べろよ、と文句を言いました。ごめん、と遊は肩を竦めてみせました。
 僕は、また、大きくため息をついて、遊に向かい合いました。で? と問うと、でって? と遊は眉を上げました。新聞、お前のことなんか書いてなかった、と僕は言いました。ああ、そりゃ当然だよ、と遊は笑いました。
「わたしの名前なんか、出るはずがない」
「は? お前が調べろって――」
「何の記事が載ってた?」
「そりゃあ、政治のこととか、経済のこととか……」
「誰かが死んでたろ?」
「ああ、えーと、与党の実力者が心臓麻痺で……」
「それ」
「は?」
「だから、それがわたしの痕跡」
「まさか……」
「表向きは、ただの心臓麻痺。でも、本当は、原因不明の窒息死」
「……お前が?」
「わたしが」
 僕は、ガックリとうなだれました。遊は、ぽんと僕の肩に手を置くと、楽しそうに笑いました。
「まあ、簡単だった。わたしは十五で、相手はそういう年齢が大好物だった。わたしは、“身元”を保証されて、そこに行った。そこで“一仕事”した後に、もう“一仕事”した。そして、転送が起きて、完全なアリバイを作った。そういう年齢の娘がそこにいた理由を調べられちゃ困る連中が、必死でわたしがいなかったことにしたしね。まあ、二重に守られたわけだよ」
 まるでリアリティがありませんでした。
 まったくフィクションでした。
 少なくとも僕はそういう陰謀渦巻く世界に生きているということを信じたくありませんでした。僕は頭を抱えました。
「某国とのパイプ役で鳴らした男だったけどね、実際は、パイプどころか、国益を外に垂れ流す巨大なポンプだった。ちょくちょく訪問してはその度に“お土産”を持参してたけど、どんなご褒美を受けてたか、たやすく想像がつくね。まあ、わたしにとってはどうでもいいことだったけど、わたしの飼い主は、それを許せなかった。だから、周到に準備して、わたしを送り込んだ」
「ちょっと待て」
「ん?」
「色々矛盾があるぞ」
「何?」
「ひとつは、お前の利用法は、転送してセキュリティを突破することだった筈だ」
「うん」
「もうひとつは、お前は恋をしなきゃ、転送しない筈だった」
「うん」
「その男と一回ヤっ……会っただけで恋をしたとでも言うのか?」
「いやあ、まあ、だから、その辺りのこともおいおい話そう」
「……ああ」
「準備は良い?」
「ああ」
 じゃあ、話そう、そう言って、遊は僕に対して前のめりになりました。僕は、何故か喉が渇いた様な気がして、ごくり、と唾を飲み込みました。

「天国は永遠じゃなかった。
 いや、そこが元々天国だったか、という疑問は置いておくとして、何事も全て誰かにしてもらう赤ん坊が、いつまでもそうではいられないように、そんなことを望み続けないように、わたしも天国に退屈するようになった。
 それを読み取ったかのように、ミツウラは少しずつわたしに課題を課すようになった。
 例えば、お勉強。ひとの身体について。どこをどうすれば、どうなるか。確実に完全に相手を動けなくするにはどうすればいいか。そのために自分の身体をどう動かせばいいのかという体育。
 それだけじゃない、特殊な機器や端末を操作する技術の時間や飛ばされた先でどうすればいいかという社会や語学の時間もあった。ひとから判断力を奪う薬物に関する理科の授業とかもね。
 まあ、こういう風に言うと、いかにも無理矢理学ばされたように聞こえるかもしれないけど、それは学校みたいに授業時間が決まっているようなものじゃなくて、退屈しているわたしを楽しませるゲームのように自然になされた。
 上手く課題をクリアするとそれ相応の報酬もあった。まあ、大したものじゃない。それまで無条件で与えられていたものに、条件がついただけの話だった。
 保健体育の実習みたいなものにもね。
 ミツウラへの恋心と呼べるものはもう無かったけれど、抱かれることには抵抗はなかった。ひとに触れて貰うことの喜びはあった、と思う。うん、ぶっちゃけると、気持ちは良かった。
 だから、まだ、天国にいると思ってた。
 でも、実際には、自分が天国から降りる階段に足を乗せていたなんて、気付いてもいなかった。
 わたしは、大人達――まあ、そこにいる数人だけど――の喝采を受けながら、転落していったと言っても良い。本当に連中は優しかった。残酷に。
 そして、その転落は、あのコの登場によって、決定的になった。
 あのコ。ミナ。
 それがあのコの本当の名前かどうかは今となってはわからない。でも、可愛いコだったよ。とても、ね。少女っていう名の成分が、百二十パーセントで、凝縮されてるみたいな女の子だった。
 ミツウラが彼女を連れてきて、わたしにこう言った。お友達よ、嬉しいでしょう? わたしに歓迎の気持ちが無かったわけじゃない。同世代の友達なんて、そこへ行く前からいなかった。嬉しかった。
 でも、すぐに、彼女も自分の嘘の被害者のひとりであると気付いて、少し複雑な気分になった。
 そんなわたしの顔を見て、ミツウラは、聞いて、このコ、二百キロ先まで飛んだのよ、ってわたしの耳元で囁いた。
 わたしは、たった五キロだった。
 ミツウラは、ねえ、やっとお茶会ができるわね、とわたしに微笑みかけて、でも、そのまま彼女を連れてその場を去って行った。
 楽しそうに、嬉しそうに、彼女の手を引いて。
 そして、その引かれるミナの指に特別な――特別だったはずの、わたしだけだったはずの――指輪があった。
 呆然とそれを見ていた。それで何が起きるかなんてわからなかった。それほど悲観的になったわけでもない。甘やかされるのになれて、わたしは物事を真剣に考える力を失っていた。
 でも、その後約束のお茶会の最中、ミナの顔を見ると、自分は五キロしか飛べなかった、という言葉が頭に浮かんで仕方無かった。お茶会の間、わたしはミツウラがくれた指輪をずっと触ってた。
 複雑だったよ。複雑な気分ではあったけれど、結局ミナも一緒にそこで生活することになって、そうしている内にそれなりに親しくはなった。
 ミナはとても良い子だったよ。少し不安げで、何かとわたしを頼った。何をするんでも、わたしのそばを離れなかった。
 何かあるとわたしの手を握ってね。ユウちゃんがいるとほっとするって泣きそうな声で言うんだ。それに、夜、風が強い日なんかは森のざわめきが怖いとか言って、わたしの部屋に来て、一緒に寝てくれる? って、勝手にわたしのベッドに潜り込んだりもした。
 まあ、悪い気分じゃない。頼られるってのはね。
 悪い気分ではないけど、実際にはミナの方が優秀だったよ。大人達が課する『ゲーム』の殆どでわたしより優れていた。それまでわたしだけに与えられていた賞賛と喝采は、ミナにばかり集中するようになった。
 もちろんわたしがないがしろにされたというわけじゃない。ミツウラにしろ、他の大人達にしろ、わたしにも優しかった。一見。
 でも、連中のわたしに対する言葉が、虚ろなものになったのをわたしは感じ取っていた。
 内心、焦っていたよ。全てがミナに奪われたような気がした。ライバル心、と言えば、キレイだけれど、そういうさっぱりした心境ではなかった。嫉妬、だけじゃない、もっと、何か存在の根っこに関わるような危機を感じた。
 わたしは、彼女より優れていなければならない、と思った。真剣に、深刻に。
 わたしは、より高度な『ゲーム』を望むようになった。大人達が要求するもの全てに応えようとするようになった。だから、チップを埋め込まれるときも、何の抵抗も無く、いや、むしろ、自ら進んでそれを受け入れた。ミツウラは言ったよ、これであなたをいつでも見つけてあげるからね、だから、安心して飛んでいいのよ、って。
 それで、わたしは、ああ、そうか、と思った。
 飛べばいいんだ、ミナより遠くに。
 勝ちたかった。そして、賞賛が欲しかった。自分が誰より役に立つと誇示したかった。ここにいるのに一番相応しいのが自分だと証明したかった。
 だから、わたしはミナに訊いた。あなたみたいに、遠くへ飛ぶにはどうすればいいのって。純粋な好奇心もあったことは、自己弁護になるようだけど、否定しない。なぜって、ミナも同じように牢にいたなら、わたしと同じか、そう違わない方法をとったはずなのに、わたしよりはるか遠くへ飛んだ。そこには何か違いあるのかもしれないと思ったし、もしかしたら、恋がスイッチなのは自分だけなのかもしれない、という疑念もあった。
 恋をするのはしんどいよ。今は随分上手くなったけど、でも、それでも意図的な恋はしんどい。時間もかかる。他の方法があるなら、それを知りたかった。
 だから、訊いた。ミナは、そんなわたしの顔を見て、わたしの心の中なんてまるで気付かない感じで、わからないの、気付いたらそこにいるの、って応えるだけだった。
 それは本当のことに聞こえた。確かにミナは何度もそこからいなくなったけど、誰かがいるときには転送しなかった。それは、わたしとは違う鍵でそうなっていることを証明していた。
 そんなことより、ユウちゃんはどうやって牢を出たの? ってミナは問い返したよ。それで、わたしは自分の本性を知るんだ。相手を出し抜きたいだけの汚い心をね。わたしもわからないわ、って応えることによってね。
 でも、とにかくその頃には、ミツウラたちも、わたしの能力が意図的には発露されないものであると思っていたらしかった。思ったより、信頼性も確実性もないって。
 まあ、当初期待していたようには役に立たないって。
 わたしは、それを読み取った。だから、自在に、狙った場所にいけるようになればいい、と思った。そうすれば、ミナに向けられてしまった大人達の興味を取り戻せるって。今となるとそんなことは無理だったとしか言いようがないんだけど。でも、わたしは焦燥感に駆られて、とりあえず、そこにいる大人たちに恋をしようとした。
 でも、もう上手く行かなかったんだ。ミツウラに対しても。
 なんだろうね、一言で言えば、飽きちゃってたんだ。連中に。慣れ親しみ過ぎて、どんなにそうしようとしても、もう激しいものが胸にこみ上げることが無かった。むしろ家族だったんだよ。家だと、勘違いしていた。
 ミナはどうだったか? いつもそばにいたし、手頃な相手だった。試したよ。色々ね。わかるよね、色々だよ。でも、ベッドの上で、彼女に触れても、あの感覚はわき起こらなかった。
 ユウちゃん、好き、って、わたしはユウちゃんのモノだよ、ってあの子はその後に言った。嬉しくないわけじゃなかった。好かれるってのは、悪い気分じゃない。
 だけど、それよりも強い嫉妬と負けたくないって気持ちの方が強かった。ミナの気持ちを、その言葉を、利用してやる、って想いが強すぎて、わたしの集中を妨げた。敵だったんだ。わたしの中では、既に。
 そうして焦れば焦るほど、うまく心を操れなくなった。
 思うにね、恋ってのは、余裕が無いとできないものだ。贅沢品なんだ。切羽詰まった状態では、そんな想いを養えない。ある種の落ち着きが必要なんだ。急かすと消えてしまうものなんだ。大風の日に、火を熾すのが難しいように。
 焦る心と裏腹に、ミナとわたしの『成績』は、開いていくばかりだった。わたしはその頃には今と殆ど同じくらいの身長だったけど、でも、どんどん身体も小さくなっていくような気がしたよ。連中の優しさが、わたしを押し縮めていくように感じた。
 そんなわたしを置き去りにするみたいに、先に任務が与えられたのもミナだった。ミツウラたちの選んだ男をふたりきりになって殺して、そのまま飛んだ、とわたしはミツウラに聞かされた。
 ミツウラは言ったよ。この世の中には生きてない方がいい人間というのがいるわ、あなたも知ってるでしょ? あなたの周りにもいたわよね、って。ミナがしたことは、この世のためになることよ、って。
 その時かな、わたしにとって、人を殺すことが『課題』で『ゲーム』になったのは。恐ろしいとか、思わなかった。いや、思ったかも。でも、そんなことより、ミナがわたしより有能で役に立ったということが、その頃のわたしを支配していた焦燥感に油を注いだ。
 ねえ、言葉にするとおそろしいことだけど、わたしは、一日も早くその『課題』をクリアしたいと強く思った。
 どうすれば、その『ゲーム』ができるのかって。
 わたしは数日後帰ってきたミナに訊いた。どんな風に、何をしたのか、って。友好的に、いかにも好奇心に溢れた女の子みたいに。
 ねえ、わたしは気付いてなかった。ミツウラや、他の大人達と同じようなことをしているんだって。本当に、いやになる。あまり思い出したくないことだよ。
 ミナは、なんてことない顔をして言った。
 習ったことをそのままやったの、それだけよ――。
 どうやって飛んだかも訊いた。仕事が終わったら、勝手に、とミナは応えた。もしかしたら、わたしは人を殺すとより簡単に飛べるのかもしれない、ねえ、わたしもっとコレがしたい、もっと遠くへ飛びたいわ、その時はユウちゃんも一緒よ、わたしたち『特別』なんだから、きっと約束よ……そんなこともミナはわたしの胸に抱かれながら言った。
 まずい、と思った。もしそれが本当なら、彼女の方が、圧倒的に『役に立つ』。急がなきゃならなかった。わたしは指輪のはまった自分の手を眺めながら、でも、何をしていいのかはわからなかった」

 遊が、少し暗い表情をして、言葉を止めました。僕は、そして? と問いました。
 でもつまんない話だろ? そう言うと、遊は、僕の隣に近寄り、甘えるように身体を寄せました。僕は何も応えられませんでした。
 正体不明の女の子の訳の分からない話でした。僕がまるで信じてなかったかと言えば、それは疑問符がつきますけど、やっぱり、話自体にリアリティはありませんでした。ただ、そこにいる、遊という人間の、真剣さが、胸を突き刺して、僕を動けなくしていました。そんな固まった僕の手を遊がぎゅっと握りしめました。

<#07終わり、#08に続く


 この物語はフィクションです。実在するあらゆる個人・団体・学校・組織および事件・事象などとは一切関係ありません。
 また、この作品は2016年にKDP・Amazonで電子出版された作品に読みやすくするため改行や若干の言葉の変更などを加え、分割して順次掲載する予定のものです。以前の電子書籍版と大筋において変更はありません。

この作者の作品をまとめたマガジンはこちら。


「スキ」などの反応があるだけでも、とても励みになります。特に気に入って下さったなら、サポートもよろしくお願いします!