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【連載小説】転送少女症候群、もしくは黍島柘十武の長い回想 #14




 タクシーを降りた僕たちは、繁華街の外れの喫茶店にいました。僕は遊の話が終わったのを、その沈黙によって確認することができました。僕は訊きました。
「つまり、追いかけてるんだね、ミナを」
 遊は、力の無い笑顔を浮かべて、戯けたように首を左右に振りました。
「それにしても、あまり効率的じゃないな」
「うん、でもさ、わたしだって成長しないわけじゃない。だてに恋を続けてるわけじゃ無いんだ」
「ん?」
「少しずつ、イメージできるようになってきた。飛ぶ先を、飛ぶ距離を。まあ、ぱーっとやって、ギューッとやって、フっっとする、としか言いようがないけど」
「うん」
「もっともっと、練習する必要がある。もちろん、わたしを探す『連中』の残党から逃げる意味もあるけど、でも、それは、言わば『ついで』だ」
「うん」
「いつか、わたしは、ピンポイントで、ミナの前に立つ」
「うん」
「そして……目的を達したら」
「達したら?」
 遊は少し外を見遣り、それからぽつりと言いました。
「……どうすればいいかな」
 そんな問いに僕は応えることができませんでした。
 遊には帰る場所がない。新しくそれを作ることもできない。
 だって、遊は好きになった相手と一緒にいられない。
 孤独を、少女趣味の言葉だと遊は言いましたが、僕から見ると、遊ほど孤独な人間はいませんでした。
 胸が絞られるような気がしました。
 ああ、この子のために何かできるのなら! 僕がこの子を守れるのなら!
 それは、同情だったでしょうか? 恋だった、と僕は思いたいです。
 外を見ていた遊が、ちょっとビクっとして、慌てて外に向けていた視線を僕に戻しました。
「どうした? 連中?」
「いや……違う」
「何?」
「それにしても、ツトム……」
「ん?」
「君は、モテるな」
 ミナが、僕を見詰めながら、窓の外を指さしました。つられて僕の目はその先を追いました。
 目が合いました。今度は僕がびくっとする番でした。
 そこに、氷井がいました。氷井は、そのまま僕たちのいる店に入ってきて、僕の前に立ちました。遊が目を伏せ、耳を塞ぎました。
 僕は、その様子も気になりましたが、氷井を見上げました。
追われてるんだよな●●●●●●●●●?」
「……いえ」
「『連中●●
「……いえ」
それは●●●こないだ君が学校で話していた知り合いに関係ある●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●?」
「……いえ」
ユウって言うんだっけ●●●●●●●●●●?」
 僕の目が、身体を縮込めたままの遊に向きました。氷井もゆっくり遊に視線を遣り、そしてまた、僕を探るように見詰めました。
もしかしたら●●●●●●そこのひと●●●●●?」
 僕は頷けませんでした。
 しばらく緊張した面持ちでそのまま僕を見詰めていた氷井が、ふ、とその力を抜き、そして、頭をがりがりと掻いて、首を振りました。何ですか? と僕は訝しげに問いました。
 氷井は、いや、何でも無いんだ、気にするな、とそれまでいつも浮かべていたけだるげな笑顔を僕に向けました。でも、目が真剣でした。
「護衛、しようか?」
 遊が身体を固め続けていました。
 喫茶店に別の客が入ってきました。そして、何気なく僕の斜め後ろに座り、スポーツ新聞を広げました。
 遊が少し、顔を上げました。そして、ツトム、と小さな声で、僕に呼びかけました。
「『連中』だ」
「え?」
「行こう」
 僕は少し戸惑いましたが、遊はすっくと立ち上がり、足早に店を飛び出しました。僕も慌てて、氷井を押しのけ、とりあえず、千円札をレジに置いて、遊の後を追いました。
「遅い、ツトム」
「わるいっ!」
 遊は僕の手を握りました。僕もそれを握り返して、また引きずられるように街を走ることになりました。
 僕は、バタバタと鳴る足音を背後に聴いていましたが、振り返ることもできませんでした。
 そして、何度も角を曲がり、ビルを抜け、雑踏に紛れ、その足音が聞こえなくなった時、ようやく僕たちは狭い路地で壁に二人で背を凭れることができました。
 僕は息が切れて死にそうになっていましたが、遊は平然とした顔をしていました。
 まったく、守るどころか、逆に守られてしまった自分が情けなく感じました。
「なあ、思ったんだけど」僕は言いました。
「何?」遊はちらちらと路地の向こうに気を払いながら、応えました。
「僕、もう、大学行けないよな?」
「ああ……ごめん」
「どうすればいい?」
「ごめん」
「なあ」
「何?」
「一緒に行っていいかな?」
「え?」
「だから、遊の行くところに、僕も行かせてくれないかな?」
「だって、ツトムは飛べない……」
「いや、飛んだ先から、連絡くれよ」
「……」
「そしたら、今度は僕が追いかける」
「ふ」
「僕が、遊の恋を見ていてやるよ。ずっと、目的が果たせるまで」
「……それもいいかもね」
「な?」
「うん」
「お願いがある」
「何?」
「できるだけ国内にしてくれ、旅費がかかるし、英語は苦手だ」
「……ははは、努力する、でも英語圏以外にも飛んだことあるよ」
「じゃあ、妥協してフランス語圏まで、だ」
「ははは……ツトム」
「何?」
「下がって」
「え?」
遊の視線の先に、少女がいました。
 僕にはそれが本当に可愛らしい少女にしか見えなかった。
 でも、遊は何の躊躇いも無く、少し離れたその少女に飛びかかるようにダッシュしていって、そして、鋭く脚を振り上げました。
 でも、その脚は、少女に当たらなかった。
 いや、素通りした。
 素通りして、結果、ミナの脚は建物の壁にぶつかり、止まりました。
 ドン、と鈍い音がそこに込められた本気の威力を感じさせました。
 何が起きたか理解するより早く、少女は遊の背後にいました。振り向いた遊が手の甲を振り抜いた時も、少女は、遊の間合いから外れていました。
 遊は立て続けに彼女に対して攻撃を仕掛けましたが、そのどれもが虚しい空振りになりました。
 僕は、ただ呆然とそれを見ているしかありませんでした。
 本当に、僕は役に立たない!
「随分、器用なことができるようになったじゃないか」遊が唸るような声を出しました。
 少女は微笑みました。
 遊の疲弊具合をソレと比べるに、どちらが優勢かは一目瞭然でした。というか、勝負になっていませんでした。まるで、遊がそこで独り踊っているようなものでした。
 少女は眉を上げると遊に手招きをしました。遊が、それをちらと見るなり、拳をみぞおちめがけて突き出しましたが、今度は、少女がそれを脚で払いました。まるで、仕方無いから、そっちに合わせてあげる、と言わんばかりの表情でした。
 僕は格闘技のことも詳しくありません。でも、どうやらそういう戦いになると、遊の方が、若干有利に見えました。
 現に、少女は、遊の攻勢に押されて、路地を後じさっていきました。そして、行き止まりのその路地の奥まで、そんな応酬が続きました。
 僕はやっぱり動けませんでした。そして、ごつ、と音がしました。遊の拳が、ようやく、少女の顔を捉えたんです。
 少女が怯んだのを、遊は見逃しませんでした。続けざまに、横腹に脚が入り、連動して、拳が腹を捉えました。
 滑らかな動きが、少女を地面に倒し、そのまま遊の前腕が少女の首にぐっと押しつけられました。一瞬で、かくん、と少女の動きが止まりました。
 でも、遊はその身体の上から動こうとはしませんでした。僕は、その時になって初めて、声を上げることができました。
「ダメだ、遊!」
「どうして!?」
「どうしても、だ」
「こいつは……こいつは……こいつはっ!」
「……でも、ダメだ、ダメなんだ、それは!」
 僕は、もう、これ以上、遊に人殺しをさせたくなかった。
 甘っちょろい正義感でした。
 だからと言って、機転の利いたセリフは、やっぱり、言えませんでしたけど。
 僕はただ、遊を見つめ続けました。それを見詰め返した遊が、く、と笑いました。
 わかった、わかったよ、そう言うと、遊は少女の上で天を仰ぎました。僕は、大きく息をつけました。
 でも、僕は、映画や少年漫画やゲームで、それがどんなフラグだったのかを理解していませんでした。
 すとん、と遊の腰が地面に落ちました。
 その瞬間僕は、地面に崩されました。
 関節が、言うことを聞かなかった。
 少女は、多分笑いました。そういうものを僕は背中で感じた。何故感じられるかはわかりませんでしたけど。
 遊が、大きくため息を吐きました。
「どうした? 目的はわたしだろ?」
「……」
「そう言えば、こんなことは初めてだな。わざわざお出ましなんて」
「……」
「……わたしも随分愛されてるね、どうも」
「……」
「そうでもないか」
「……」
「それを放せ」
「……」
「もし、あの時と同じことをしたら、わたしは本当にお前を許さない」
「……」
「そうか」
「……」
「またわたしをハムスターにしたいわけか」
「……」
「いいよ」
「……」
 遊が路地をこちらに向けて歩いてきました。僕の絡め取られた関節に痛みが走りました。指に冷たいものがあたりました。おそらく刃物でした。うう、と声が出ました。
 でも、一歩、また一歩、遊が僕に近づいて来ました。
 少女が、狼狽していました。それが僕の身体に伝わってきました。
 ああ、と思いました。そうかやっぱりな、と。
 視界の中を近づいてくる遊が、遊が近づくことができるということが、何を意味しているのかを、僕は理解しました。
 少女が、すうっと呼吸しました。その瞬間、遊が、跳ねました。脚が振り抜かれました。なんとも擬音では表現できない音が響きました。拘束が解けました。
 僕は慌てて逃げだそうとした。反射的に。
 そこでこれから起こることに、無関係でありたい、と身体が、反射したんです。
 でも、路地を出かかって、ちょっと振り向いたとき、今度こそ、その直感通り、目の前で、人が死の直前にありました。
 遊は無表情でした。無表情なまま、ツトム、行け、と呟きました。
 僕の身体はそうしたがっていました。僕は、こんなことに、関わりたくなかった。
 何かあったとき、見捨てろと遊も言っていた。何も僕は悪くない。
 僕は、躊躇いました。僕は本当にそうして良いのか? 僕は遊の傷に触れたんじゃないのか? 僕は無関係なのか? 
 葛藤が、脳をオーバーフローしました。
 そして、突然、何だか、全てがどうでもよくなった。
 僕は、二人に近づき、少女の首にはまった遊の腕に、自分の手をのせて、力を込めました。
 それが、どういう意味かなんて、考えられませんでした。
 でも、そんなことを、遊ひとりにやらせるなんて、どうしても、できないと、思ったんです。

 僕たちは、呆けたように、その繁華街の駅から、電車に乗りました。遊が失ってしまったもの、僕が越えてしまった一線、そんなものが僕たちから会話を奪い続けていました。ああ、大学辞めるどころか、犯罪者だなあ、と僕は他人事のように思いました。
 妙にべったりとした重みが身体に感じられました。
 ああ、やっちゃったなあ、やっちゃったなあ、と何度も頭の中で繰り返しました。
 乗り換え駅で、遊は、どうする? と訊きました。僕は、部屋に帰ろう、と応えました。もう、逃げ続ける意味は無いような気がしました。どうせなら、心落ち着く場所に戻りたいと思った。何も説明はしませんでしたが、遊も頷きました。
「あっけないもんだね」遊が言いました。
「うん」僕も頷きました。
 僕たちは、部屋の最寄り駅のホームに降り立ちました。
 ああ、ここから、坂をのぼるのか、と思い出して、僕は途端にしんどくなりました。
 身体も神経もクタクタでした。
 なあ、少し座っていいか? と僕は遊に訊ねました。いいよ、と遊は応えました。重力に耐えられないみたいに、ベンチに腰を落としました。遊も、僕の隣に座りました。
「もう、転送する理由は無くなったな」
「うん」
「どうする?」
「ああ……そうだな、もう、恋はやめようと思う」
「……なぜ?」
「もういいよ、疲れた」
「……そんなこと言うなよ」
「いや、もっともっと練習するつもりだったけど、正直言うと、段々鈍くなって来てた」
「ん」
「ひとつ、恋をするたびに、どんどんわかってしまうんだよ」
「……うん」
「ああ、このパターンね、じゃあ次はこうで、その次にはこうなる、って」
「うん」
「わたしの中の恋は、転送するたびに、幾重にも死んでいった」
「うん」
「ここに転送されたとき、本当はもうどうでも良くなってたのかもしれない、もう、疲れた、って」
「うん」
「でも、ツトムがいた」
「……」
「ツトムがこっちにわたしを引き上げた」
「うん」
「ツトムが話を聞いてくれた」
「うん」
「ツトムが信じてくれた」
「……うん」
「ツトムが、わたしと同じ罪を、背負ってくれた」
「……」
「なあ、ツトム、それなのにどうしてわたしは……」
「うん」
 遊が、まるで、空気が無くなったみたいに、言葉を止めました。僕は、その肩をおそるおそる抱きました。遊が身体を硬くしました。
 僕は、心を熱いだけのものに保てなかった。その底にまるで凍土のような氷の地平があって、それが、僕に問わせました。
「『どうして、わたしは』?」
 ふ、と遊が笑いました。
「ツトムは鈍感だな。それともそんなフリ?」
「え?」
 遊がすっくと立ち上がりました。幾つもの人影がどこからともなく僕たちを囲んでいました。
 僕にもすぐにそれが『連中』だとわかりました。
 僕も立ち上がりました。もちろん戦ってどうこうできると思いませんでしたが、何故か、彼らから遊を守るように、一歩前にでました。そして少し振り返り遊の手を取りました。遊が、それを強く握り返しました。
 僕は、おそらくもうすぐやってくるだろう電車に乗ろうと思いました。ひとがいる中では、『連中』でも何もできない、そう思いました。白線まで歩きました。『連中』は一定の距離を保ったまま、でも、僕たちを取り囲むことをやめませんでした。まあ、遊に近づくのは、確かに危ない。
 遊が、彼らに向かって、ご覧の通り、こいつに利用価値はないよ、わかるだろ? と大きな声で言いました。
 ジリジリと時間が過ぎました。その時、改札の向こうから、僕を呼ぶ声がしました。振り返りました。
 氷井、でした。
 遊の僕の手を握る掌が、汗ばんだのがわかりました。
 僕はこの後起こることを覚悟しました。
 多分、そういうことだな、とわかっていました。
 おそらく、あのひとが、公園の蜘蛛の糸だったんだろう、って。
 氷井は、ゆっくりと改札を抜けホームを渡る地下通路に向かいました。踏切の音が聞こえました。僕はため息を吐きました。遊が言いました。
「ツトム」
「うん」
「わたしは、機を織ってるのを見せちゃったな」
「うん、そう望んだから」
「まあ、勝手なやつだと思ってくれ」
「皆、大体そうだよ」
「そうだね」
「うん」
「でも、本当に、ずっと君のそばにいたかった」
「うん」
「本当にいられるはずだった。哀しいことに」
「うん」
「君が大事だ」
「うん」
「とても大事だ」
「うん」
「好きだったよ」
「……同居人として?」
 遊は戯けたように首を振りました。僕もそれを真似しました。
 少し苦々しく、でも楽しそうに笑うと、そっと目を瞑り、遊は言いました。
「さよならを、ちゃんとしよう」
 電車があの時と同じように近づいて来ました。
 僕はたまらず遊を抱き締めました。
 氷井が、地下通路の階段を上がって、もう一度僕を呼ぶ声がしました。
 遊は僕の背中にまわした手でポンポンと叩くと、僕の渾身の力を込めた腕を簡単に解いて、僕の手を取り、握りしめました。
 氷井がまた僕を呼びました。
 遊が、僕の耳元で囁きました。
「わたしは、君のために、君を手放すことができる。自分のためじゃなく」
 もう何を言っていいのかわからない僕の肩越しにぱっと目を開いて氷井を視界におさめた遊が、僕の手を握ったまま、後ろ向きにその線路の方へ倒れ込んでいきました。
 ヘッドライトの光が、まるで、世界を焼け尽くすみたいに僕たちを照らしたような気がしました。
 でも、その手が僕をその白線の向こうへと連れて行くことはありませんでした。
 僕は再び、こちら側に取り残されて、繋いでいた手が何も掴めずに、固く握りしめられてありました。
 僕は、また、独りになった。ただ、それだけのことでした。
 ただそれだけのことが僕の胸の奥に何か大きな空洞を作ったような気がしました。
 電車は何ごともなかったのように、乗客を降ろし、そして去って行きました。
 さっきまで、僕たちを囲んでいた人影はそれに紛れて、いなくなっていました。
 氷井が、僕を見詰めていました。氷井は、言いました。
「なあ、その……君を連れて行きたいところがあるんだ」
「はあ」
「明日なんて、どうかな?」
 けだるげで真剣な瞳がそこにありました。
 ああ、と僕は思いました。
 このひとも『連中』だったんだって。
 僕は、諦めました。どうせろくな人生じゃなかった、この世の地獄とやらも悪くない、って。
 それはいいですけど、と僕は応えて、そして、彼を見詰めました
 。何? と彼は僕の目を覗き込みました。僕は、言いました。
「その前に、お茶はいかがですか? 僕の部屋で」
 その夜のこと、その後のことを、敢えて僕は言葉にはしません。
 でも、ひとつ。
 遊が履き忘れていったあの靴の赤が、ベッドから見える部屋の色褪せた風景の中で、一晩中、いつまでも揺れて、滲んでいました。

<#14終わり、#15に続く


 この物語はフィクションです。実在するあらゆる個人・団体・学校・組織および事件・事象などとは一切関係ありません。
 また、この作品は2016年にKDP・Amazonで電子出版された作品に読みやすくするため改行や若干の言葉の変更などを加え、分割して順次掲載する予定のものです。以前の電子書籍版と大筋において変更はありません。

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