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【連載小説】転送少女症候群、もしくは黍島柘十武の長い回想 #08




「『あなたは世界とうまくやれない――』
 それは、折に触れミツウラがわたしに言い続けていた言葉だった。
『あなたが生きていけるのはここだけよ』って。
 確かにその通りだった。そう思ってた。
 あの日、『転送』が起こったときから、わたしを取り囲む世界と一度だって、馴染めたことが無かった。
 だからその施設――『檻』の塀が高くて、分厚くっても、それが自分を守るものだと感じこそすれ、疑うことも無かった。
 でも、それが、やはり『檻』でしかないことを知るときが来る。
 それも、恋、だった。恋故に、それが『檻』になった。

 ある日、わたしは高まる焦燥を抱えながら、その塀沿いに歩いていた。
 どうすればいい? 誰を好きになればいい? 全てを話して外に出して貰うのはどうだろう? そのくらいのわがままは許されるんじゃないか……いや、それはまずい……わたしはわたしの転送が、連中にとって価値があるものだとは理解していた。
 多少高めに見積もってしまっていたかもしれないけど、その秘密を明かしたら、何が起こるか恐ろしかった。連中にとって謎だからこそ自分の価値が保たれているような気がした。
 わたしの能力が、ミナとは違って、連中の都合に合わせて発現できないものだと勘づかれたら、全てが消えてしまうような気がした。そこから放り出されてしまうって。
 だけど、考えれば考えるほど、どうしようもできないことだけがわかって、わたしは悔しくて悲しくなった。
 そんな時だった。塀の向こうで、何かが音を立てた。反射的に構えた。別に戦闘ポーズを取ったわけじゃないよ。習って身に付けたとおりに、呼吸を止めず、次に何が起きても良いようにリラックスしたんだ。それが、基本だよ。
 どうやら気配はその塀を上っているように感じた。まあ、厳重と言っても、はしごか何かを使えば充分上れる高さだったし、有刺鉄線が張られていたわけでもない。わたしたちが『転送』することを前提にすれば、逃げ出すのを物理的に防ぐことには何の意味もない。連中がどんな位置づけの組織だったかは今でもはっきりしないけど、そこがピンポイントでテロの標的にされることも考えづらい。
 ただ、それはまるでわたしの心理的な安心を保障するためにしつらえたかのような塀だった。
 それを上る気配が消えない。何か、来る、わたしはただ塀を見上げていた。
 顔が出たよ。人間の、少年の顔が。ひょこりとね。
 目があった。彼は慌てて首を引っ込めようとしたけど、おそらく、はしごの上だ、動けなかったんだろう、何かに開き直ったかのような息を吐いて、もう一度わたしと目を合わせた。
 そして、彼は言った。やあ、って。決まり悪そうな笑顔でね。
 でも、それで、わたしは彼が敵じゃないと判断できた。それでも警戒を解いたりはしなかったけど。
 彼は訊いた。おまえ、ここに入院してるのか、って。
 入院? 言われてみれば、そんな感じだったかも知れない。
 わたしは返答を躊躇った。でも、すぐに彼はこう言った。ここ、セイシン病院だろ? 最近改修したけど、って。それで、わたしはその『檻』が、元々『檻』だったことを了解した。でも、言葉はやっぱり出なかった。それで、彼は多分、わたしのことを、頭のオカシイ『患者』だと勘違いしたみたいだった。
 なんだ、話せないのか、と眉をしかめる彼にわたしは、話せるよ、と慌てて応えた。すると彼は、ちょっと驚いたみたいに眉を上げて、もう一度、じゃあ、入院してるのか? と訊いた。わたしは首を振った。入院じゃない、と上ずる声で言った。それじゃあ何なの、ここ、一体何の建物? と少し苛立ったみたいに彼は問うた。
 正直言うと、わたしもそこが何なのか、はっきりとはわからなかった。口ごもるわたしに、やっぱ、病院だな、と呟くように言うと、彼は頭を引っ込めようとした。わたしが自分がそんな風に思われたことが悔しくなって、違う! って叫んだ。彼は引っ込めかけた頭を上げた。じゃあ、何? と彼は少し怒ったような顔をした。
 ねえ、ツトム、わたしはオカシかったのかもしれない。彼の言うように。わたし、お姫様なの、って言った。ほら、これ、特別の証、って、指輪を見せつけるように手を伸ばした。
 それもまあオカシイし、彼は訝しそうに変な顔をしたけど、それだけじゃなくてね、彼の怒ったような顔が、遠慮無く歪む表情が、嬉しかったんだ。
 思えば、わたしがそこに来てから、そんな自然な表情を見た事が無かったんだから。もちろん、その時はそんな風に言葉で理解したわけじゃなかった。
 ただ、感じたんだ、ホントウを。
 そんなわたしをしばらく眺めて、ただの指輪じゃねえか、と彼は悪態を吐いたよ。むかっとしたけど、一体何してるの? と訊いた。おまえこそ、と彼は応えた。わたしはここに住んでるの、特別な才能があるからいられるのよ、すごいでしょ? 何でもあるの、何でも欲しいものがもらえるの、特別だから、そんな風に強がった。
 あんたは? そう訊くと、彼は少しため息をついてから、セイシン病院の跡が、なんか看板も出してない変な施設になった、何やってんだろうって、皆不思議がってる、だから、ここが何なのか、調べに来たんだ、と応えた。そしてボリボリと頭を掻くと、やっぱビョーインみたいなもんか、おまえ、変だもん、と呟くように言った。あんたこそ、スパイみたいなことしてるじゃない、変なヤツじゃないか、ってわたしも遠慮無く悪態をついた。彼は鼻で笑ったよ。腹が立った。
 でも、確かに腹が立っているのに、どうにもくすぐったいんだ。ミツウラやミナに舐められて気持ち良いのが身体の表面だけだとしたら、彼の表情や言葉は、まるで内臓の裏側まで触れてくるようだった。
 何てことのない会話だったのにね。たったこれだけの会話だったのにね。
 わたしたちは、にらみ合いながら、何だよ、何よ、って言いあった。わたしはそれがずっと続けば良いのにと思った。でも、何度か言いあって、彼は、ふっと目を逸らすと、まあ、いいや、大体わかった、と言って、おそらくはしごを下りようとした。
 わたしは、それが、永遠の別れになりそうな気がした。このくすぐったい何かが消えてしまいそうになっていることが、たまらなく惜しいと思ったんだよ。
 ちょっと待って、と声を掛けた。彼は止まった。何だよ、と言う彼に、わたしは何かしたかった。
 後ろに手を組んだとき、ふとそれが触れた。指輪だった。その時他に何も持って無かった。
 わたしは慌ててそれを外して、壁の上の彼にめがけて放り上げた。それをうまいことキャッチした彼は、え? と意外そうな顔をした。わたしは顔を背けて、あげる、とだけ言った。彼はそれをつまむようにして眺めると、何も言わずに小指につけた。そして、全然特別じゃないな、と呟いた。何だって、と食ってかかろうとしたわたしを無視するみたいに、彼は塀の上から顔を引っ込めた。
 引き留めたかった。追っかけて、ありがとう、くらい言わせたかった。
 でも、どうしようも無かった。わたしはここからでることもできない。諦めるしかなかった。
 わたしは背を向けてそこを立ち去ろうとした。そしたら、おい、って呼ぶ声がした。振り向いた。彼がまた塀の上に顔を出していた。そっぽ向いていたけどね。またな、そう言って指輪のついた手を振った。そしてすぐに彼の顔は消えた。今度はドサって地面に何か落ちる音がした。立ち去って行ったのがわかった。
 あ、と思った。
 わたしは、ミツウラのオフィスにいた。
 ミツウラは何か書類を見ていたけどね。顔を上げても、驚く素振りもなかった。
 じゃあ、お茶にしましょう、そんな事を言って椅子から立ち上がると、わたしに近寄り、唇にキスをした。ユウ、やっぱりあなたはすごいわ、そう言った。
 わたしは、ミツウラに褒められてもそれほど嬉しくなかった。
 恋が始まった。小さな小さな、十数メートルぶんの恋が。それは自分では、はっきりと意識できないほど微かなものだったけど、転送がそれを証拠づけていた。そんな転送の仕方は初めてだった」

 ユウは、少し微笑むと僕から目を逸らしました。
 僕は、その話で、ユウがまだ全然僕に対して恋をしていないのを了解しました。微かにでも恋をしたなら、転送されるんですから。
 ごめんね、とユウは言いました。僕は、いいんだ、と応えました。
 正直に言うと、自分がユウに好かれたいのか、そうじゃないのか、良くわかりませんでした。ただ、話を最後まで聞くために、という一点において、それは悪い事じゃなかった。
 でも、少し寂しいような気もしました。
 人間の心はいつも複雑です。心をそのまま言葉にできるひとは、そう多くない。
 僕もできなかった。
 ただユウと同じように微笑んで、続きを、と話を促しました。ユウは、少し息苦しそうに眉を歪ませて、そして、投げやりに笑いました。わたしはうかつだったよ、そう言いました。

「わたしはうかつだった。本当に。
 最初、閉じ込められたあの牢に監視カメラがあったように、そこで起こるありとあらゆることが記録されていた。
 知ってたよ。でも、慣れてしまっていたんだ。だって、わたしは、そこで、セックスだってしてたんだぜ? 女同士の。
 教えたのはわたしだけど、ミナは毎晩のように求めてくるようになってた。少し鬱陶しいくらいに。
 その男の子と出会った晩も。わたしはミナに対しては大抵男役だったけど、その晩は、逆を求めた。
 何かあった? ってミナは訊いた。別に、って応えたけど、何故だか顔が緩んで仕方無かった。目を閉じて、ミナがすることを、あの男の子がしたら……って妄想した。
 まあ、それはいいや。……うん、そのくらいまるっきり普通のことだったんだ。覗かれていようが、それを暴露される心配なんていらなかった。気に留める必要もないことだった。その時までは。
 でも、連中はむかつくけど、とてもスマートだった。わたしが何故、ミツウラのオフィスに転送されたか、おそらくすぐに結論を出した。その上でしばらくわたしを泳がせた。
 彼は、数日後も来た。いや、来るんじゃないかって、わたしは毎日その塀をずっと見上げてたんだけどね。連中の思惑なんて知らないから、ただわたしは彼と会えなくなるのがいやだって理由で、心を固めてさ。その恋の萌芽が芽吹かないように必死でこらえてさ。
 彼が顔を塀の上に出したとき、わたしはそっぽを向いて、何よ、って言った。彼も、何だよ、って応えた。
 ねえ、それはたった二回目のことなのに、長く続けられてきた習慣みたいに、わたしたちは、何よ、何だよ、って繰り返した。
 くすぐったかった。身を捩りたくなるほど。
 でも、わたしは呼吸した。決して、心拍数を上げないように。心を沸き立てさせないように。まるで、何かの戦いの前みたいに。ひとつ戦いと違っていたのは、彼から目を逸らし続けていたことだったけどね。
 わたしは、ろくにちゃんとした会話もできなかったのに、その場を逃げ出すように、建物の入り口へと走った。
 そして走っている内に、また転送した。今度も建物の中に。
 そこは見覚えある最初に入れられた牢のある地下のフロアだった。
 実はその時まで、その場所が建物のどこにあるかをしらなかった。立ち入りが禁止されていたわけじゃなくて、そこの場所を教えて貰ったことがなかった。上手に話題から取り除かれていた部分だった。
 だから、と言っていいのか、わたしはそこに興味を持ったことが無かった。少し長い通路の先に、わたしがいた牢があって、わたしはなんとなくそこまで歩いて行った。そこには誰もいなかった。でも、もしかしたら、他にまだ出て来ていない少女がこのフロアにいるかもしれない、とも思った。
 いざ、他の部屋を探そうとすると、迷路みたいな廊下だったよ。でも、見つけた扉のどれもに鍵は掛かってなかった。
 まあ、実際迷わすためにできていたものでもない。わたしは割とすぐに他の部屋も見つけた。でも、どこにも、話に聞いていた他の少女達はいなかった。とくに不審にも思わなかった。もしかしたら、違うとこにいるのかもしれない、とくらいに考えた。
 牢の一つの前で、わたしが少し立ち止まっていると、ユウ、と呼ぶ声がした。ミツウラだった。わたしが振り向くと、ミツウラは微笑んでもう一度、ユウ、と言った。その伸ばされた手を、なんの思いもなく受け取って、わたしはミツウラに引かれるまま、その迷路を出た。
 ミツウラはわたしを余裕ある微笑みで見詰めて、あら、そう言えば、指輪はどうしたのかしらって、訊いた。わたしはちょっと応えに躊躇ったけど、ミツウラはそれ以上わたしを追い詰めることもなかった。少しきまずかったけど、すぐにどうでもよくなった。
 わたしは浮かれていたんだ。
 恋に。転送に。
 そして、そのままそこでの日常に戻り、何も変わったところなど、見つけることができなかった。ただ、あの少年が塀の上に顔を出すことは二度と無かったけどね」

 思っていたより長い話でした。
 何というか、女の子の話でした。事実関係は整理されてないのに、気持ちだけで語り続けるような。
 男にとって、それは面倒なものです。正直僕も話を要約してもらいたい衝動をずっと堪えるのが大変でした。
 遊はいつまで経っても、核心に触れてくれない。いや、転送そのものが核心と言えばそうだったかもしれません。
 夜は遅くなりつつありましたが、僕はじれったさを抑えて、また、それで? と問いました。遊の真剣さの前で、僕にできることはそれくらいでした。でも、遊は、今度は、黙り込んで、眉を少し辛そうに動かしました。
「どうした?」
「……ツトム」
「ん?」
「わたしの話をここまで聞いてくれたのは、君が初めてだ」
「そう?」
「聞いて貰えないってのは、寂しいことだったけど、でも、それは同時に自分の傷に触れなくても良かったってことだ」
「うん」
「わたしは、これから、傷に触れるよ」
「……うん」
「煙草の火なんて比べものにならない、今でも、痛み続ける、消えない傷に」
「うん」
 遊が大きく息を吸いました。僕は、それがため息だと気づかれない様に、鼻で大きく息を吐きました。
 「さあ」そう僕が促すと、遊は、僕を見据えました。僕は例の真剣なフリで応えました。
 すると、遊は、少し驚いた様な、呆気に取られたような表情をしました。
 そして、その口が、あ、ダメだ、と呟いた瞬間、僕の視線の先に、遊はいませんでした。
 声も出ませんでした。
 でも、その驚きが身体に広がる前に、僕は、ベッドの上で呆然としている遊に気付きました。僕の視線をいやがるように両腕で遮りながら、遊は身体を僕から背けました。
「今……」
「うん……したね」
「……あ……ああ」
 遊は身体を縮こめるように両膝を抱えて、膝に顔を埋めると、いつだってこいつはタイミングが悪いんだ、とくぐもった声で呟きました。僕は、何も言えませんでした。
「でも、もう信じてくれるよね」
「……」
「こういう、女なんだ」
「……うん」
「……とにかく、今日はもうやめよう」
「うん」
「わたしは、ちゃんと最後まで話をする」
「うん」
「それまで、この恋は育てない」
「うん」
「態勢を立て直す。だから、今日はここまでだ」
「うん」
「おやすみ」
 そう言うと、遊は、横になり、タオルケットを頭から被って、ベッドでボールになったみたいに身を屈めて僕に背を向けました。
 僕も、なんとなく床に横たわりました。
 見てしまった! 『転送』を!
 ドキドキしました。もうとっくにそうしたかったのかもしれない。どこまでも嘘だと疑いながら、僕は、遊を、信じたかったに違いないんです。
 そして、信じる理由ができた。
 僕が、僕の世界を、疑う理由が。

<#08終わり、#09に続く


 この物語はフィクションです。実在するあらゆる個人・団体・学校・組織および事件・事象などとは一切関係ありません。
 また、この作品は2016年にKDP・Amazonで電子出版された作品に読みやすくするため改行や若干の言葉の変更などを加え、分割して順次掲載する予定のものです。以前の電子書籍版と大筋において変更はありません。

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