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令和に潜む妖怪たち 第十八頁【釣瓶火】

【画図百鬼夜行 陽】

第十八頁 【釣瓶火つるべび


 雨の日になると決まって青白い火を見るという少女の話を聞いた。

 京都の西院近くに住む名家の御息女であるCちゃんとひょんな事から少しの縁を得たので、怪奇を収集している俺は、その四歳の少女の元へと話を聞きにいった。

 俺の姿を見るや否や母親の背中に隠れてしまう恥ずかしがり屋のCちゃんとの会話にはやや難儀したが、俺は軽い人見知りである母親を通じてコミュニケーションを取る事にした。
 聞くに、雨の日になると縁側の向こうに見えている松の木の下に、青白い火が吊り下がって上下するらしい。
 いつもいつも見る訳ではないが、その怪火を見る時は決まって大雨の時であるという。
「火や、火や」とCちゃんは騒ぐが、家人にはそんなものは何処にも見えないとの事だ。
 ――面白い話が聞けた。水に濡れると余計に燃える火とは“陰火”の事であろう。我々の日常に馴染み深い“陽火”とは反対の性質を持つ怪火の事だ。

 俺は許可を得てからお招きに預かっている大きな日本家屋の縁側に移って、Cちゃんのいう庭園の松の木をこの目にしてみた。
 樹齢数百年はありそうな立派な松が、黒い体をうねらせて、腰をくの字に曲げている。先祖代々この松の木を眺めて育ったのだとCちゃんのお母さんが言っていた。

 ……それから茶室でお茶を頂いていると、折よく雨が降って来て、やがて土砂降りとなった。
 俺は内心しめしめと思っていた。
 実はこの、雨の日に現れるという怪火の話を聞いて俺は、予定を合わせるのにわざわざ雨の予報のあった日を選んだのだ。

 そうすると当然、Cちゃんと縁側に出向いてみようという話になる。その頃には少しCちゃんの心もほぐれて来ていたので、俺はもう母親を通じる事もなく少女と気軽に口を聞いていた。

「青い火が見えるかな、Cちゃん?」
「ん〜」

 すっかりと馴れてくれたのか、俺の手を引いて縁側へと移動して来た可愛い案内人は、松の木の方を眺めて口元に指先を添えていた。

「今日は見えへん」
「そうかー、残念だな」
「でも急に出てくる事もあんねん」
「そうなんだ、ふーん。……ちょっと近くに行ってみようかな」

 俺は縁側に腰を下ろしてから踏み石に足を下ろすと、側に据えてあった臙脂えんじ色の和傘を借りて松の木の下まで歩いていった。Cちゃんと母親はそんな俺を縁側から見守る形になる。

「それとなー〇〇さん、火の中に顔が見える事もあんねん」
「えっ」

 ゾッとする様な新事実を耳にした時には既に、俺の足は松の木の足元にまで及んでいた。
 ――それから雨脚が強くなってきた。
 白い糸の様になった豪雨のカーテンによって、縁側にいる二人の姿は朧げに、庭の砂利を打つ音の盛大さに声さえも微かになって来た。
 もはやスコールの様だ。
 お屋敷を濡らしては迷惑を掛ける。
 そう思った俺は和傘の下に身を屈ませながら縁側に戻ろうとした。

「〇〇さ…………し……」
「え、Cちゃん?」
「し……〇〇さ……うし……」
「え……?」



 唐突にハッキリとこの耳に届いて来たCちゃんの声に、俺は恐る恐ると振り返った。

「……は?」

 そこに、俺は怪火ではなく、老婆の姿を見た。

「火やー」

 火なんて何処にも見えない。けれどCちゃんは火が見えていると騒いでいる。

 ――だが、いま俺の目に見えているのは、黒い喪服を纏い、髪を結った老婆の姿。
 その額に深く刻まれた皺と、右の目尻に一つある大きな黒子さえもがハッキリと見えている。
 幽霊なんかと見紛う事もあり得ない位に克明にただそこに立っているので。俺は気付かぬ内に家人が帰って来て、この雨音に邪魔をされてその足音に気付かなかっただけなのでは無いかと考えて、反射的に会釈していた。

「あ、お邪魔させて頂いております」
「……」

 老婆は軽く、俺に会釈を返した。
 ――そして次の瞬間には、雨に紛れ込むかの様にスッと消えてしまった。
 俺は腰を抜かしそうになりながら縁側に戻ったが、Cちゃんの母親は何の姿も見ていないと言うし、Cちゃんの見ていたのは老婆ではなく青白い火だった。

 今起きた事の整理をつけられないままに居室の方へと連れられていく途中、仏間を通り掛かかった俺は横目に、ズラリと並んだ遺影を見た。
 その内の一つに、視線が吸い寄せられる。

(右の目尻の大きな黒子……)

 あの青白い火の正体が俺にはわかってしまった。


――――――


釣瓶火つるべび

・出現地域:四国・九州地方

 松の木の下を上下する青白い火。
 私達の知る火の性質を“陽火”とし、これはその反対の性質を持つ“陰火”であり、物を燃やす事もなく濡れる事で炎を増すという。
 炎の中に人面が描かれている。
 詳細は不明だが、「古今百物語評判」で「西岡の釣瓶おろし」と題して京都西院の火の玉の妖怪が描かれたものが原典であると考えられている。

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