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結婚することになった、嘘みたいな実話

2019年のある日、大阪から東京に来るということで、久々に会った夫に、私が切り出した。

「精子提供者にならないか」と。

97歳で亡くなった祖母の人生の終末期を、ここ数年かけて観察していて、色々と思うところもあり、子どもを産む人生が、今から舵を切れば、ギリギリ可能性があるかもしれない。そう考え出したからだ。

祖母の人生の終末期に関しては、こちらからどうぞ。

30代半ばから挑戦し続けた『旅をしながら働く』実証実験が終わったあと、私は人生で何に挑戦する人であろうと考えた時に、今しかできないこととして、どうしても避けて通れない話題だ。

そう、うすぼんやりと思っていた。

初めて見た、夫の悩ましい顔

その突拍子もない提案を告げた時、夫はこれまで見たことのないくらい悩ましい顔をしていた。

あとになって聞いてみると、別に私が嫌で悩んでいた訳ではなくて、自分が結婚をするなんて考えたこともなかったし、ドライバーを辞めるために新しい仕事を模索している最中で、将来的な経済面や生活が不透明だったから。
どうやったら一人の男としてその提案を受け入れられるのか、算段を立てていたのだそうだ。

まさかその突拍子もない提案を受けた数秒後に、そこまで考えられる人がいるとは思っていなかったので、最初は、その悩ましい顔を見て、ああ、やっぱり嫌なのかな、さすがに唐突すぎたよな。と思った。

けれど、ガラパゴス諸島から帰国以降、1年近くずっと生活を共にしてきて、柔軟な対応力や許容力が極めて高いことが分かったので、今となっては、夫らしいなーと思うし、そういうところがとても好きだ。

多拠点生活はいつか住む場所を探す旅。
今のところ、和歌山に住むのがいいのではないか。
という私のつぶやきを見つけて、

「美緒さん、和歌山に家買うの?」
「買うなら下見に行きたいな、いつ行く?」
と頼んでもいないのに、その気になっていた。それくらい、柔軟でポジティブ。(最高)

精子提供を言い出した私自身も、自分が結婚するなんて思っていなかったし、一人でも子どもを育てるだけの経済力も能力もあると信じていた。

性自認については、別の記事に書いた通りなので、それも後押しして、一人で生きていくものだと、信じて疑わなかった。

ちょうどその頃に「選択的シングルマザー」という生き方にも出会った。

視野が倍に広がった瞬間だった。

男性と女性における市場価値の違い

男性は年齢を重ねるとともに渋いとかダンディなどという言葉や経済力などで多面的な評価をされたり、世界には90代で父親になった人もいる。

男性は、バツイチの方がなぜかモテたりすることもある。(バツイチの友人たちが声高に言っていたので、実際にそうらしい。)

それなのに、女だけが年齢とともに市場価値が落ちていく。
かつてはクリスマスケーキに例えられたこともあるし、34歳を過ぎると途端に婚活市場で不利になるなんて言うし。
なんだかとっても不公平ですよねーと思っていた。(もっと強烈に思っている人がいるかもしれないけど。)

市民権を得つつあった『結婚しない生き方』

一方で、「結婚しない生き方」が2010年代から市民権を得てきている実感があった。30歳過ぎても35歳過ぎても結婚しないことに対して、友人たちはおろか、親にも「あんた結婚しないの?」「いい人いないの?」と聞かれたことがほとんどない。

まぁ、それは、私のキャラクターの問題なのかもしれないし、ジェンダー傾向をなんとなく察していたのかもしれないが、それも一つの生き方だよね、という理解が充満しているように感じる。

離婚率35%なんて言う数字が一般常識化することで、『結婚=幸せ』という方程式崩壊ともに、『結婚しない=不幸』という方程式も崩壊したように感じている。

むしろ、独身を謳歌してて自分の趣味や、やりたいことにお金も時間も使えて羨ましい、と言われることの方が多かった。

私は物欲がほとんどないこともあいまって、実際に桁違いの貯金があるし、年の半分を海外で過ごしていたことは周知の事実だ。比較的お金のかかるダイビングという趣味も、継続的に出来ている。

女性だけが、未婚でも子どもを持てる可能性がある

なにはともあれ、『結婚をしなくても子どもを持てる可能性がある』という切り取り方をしたら、女の方が圧倒的に有利じゃん!と気づいたときに、何年も上空100mくらいを覆いつくしていた靄が、パーっと晴れたような気分になった。

そもそも男の人は一人で産めない。法的な単身者は経済的に安定していても養子を迎えることは難しいらしい。例え自分の遺伝子だとしても、婚姻関係を結んでいない女性に産んでもらった時点で、血縁関係が明白な女性に親権が行くことが大多数で、自分の子どもとして育てることが出来る可能性が極めて低いようだ。

そんなことを調べていき、デンマークやオランダの精子提供サービスまでリサーチが行きついた時に、会ったことのない赤の他人よりも、身近な人と関係を構築する方法があると思い直した。

そのときに、いまの夫が脳裏に浮かんだのだ。

ブルーカラーへの湧き出る興味

当初はなんで僕なの?と何度か聞かれたのだが、明確に「生理的に違和感がない」と伝えていた。

匂いも嫌じゃないし、肌質も骨格もきれいで、声質も耳に心地よい。
男の子は母親似で、女の子は父親似になると言うが、私に似ている男の子はたぶんイケメンだろうし、彼に似ている女の子はなかなかの美女になるだろう。

細かいところでは、LINEの返信が端的で明快であるところや、約束を守ったり、一度決めたことを必ず遂行するところも良い。

当時、運送業のドライバーをしていたのだが、ブルーカラーの働き方が気になって興味津々で観察していた頃でもあったし、めちゃめちゃかっこいいとリスペクトしていた。

そして、近しい人はよく知っていると思うが、私は運転できる人が好きだ。
というよりも、運転が上手い=視野が広くて同時思考能力があって気遣いが出来る人、という認定をしている節がある。

肉体労働者になんの偏見もないし、ホワイトカラーのサラリーマンよりもよっぽど優しくて人が良いと思っているのだが、ブルーカラーのわりに、何だかとても頭の回転が速くて、会話のテンポも極めて心地が良かった。

(実際に仕事でブルーカラーのみなさんに密着していたこともあったが、総じてみなさん頭の回転が速いことは、その後に思い知らされることになった。そりゃそうだ。命と隣り合わせなんだもの。)

後に、夫が、実は私よりも圧倒的に高偏差値の国立大院卒だということが分かって、「なるほどな」と思うと同時に、「なぜその人生に?」とは思ったが、そんなことどうでも良いと今では思っている。

自分を大きく見せたり語るために、肩書きや経歴を使わない。過去に執着しないところはとても好感が持てるし、見習いたい。とさえ思う。

自分の人生にあると思っていなかった世界線

話は戻るが、つまりちょっと前までは、二人とも結婚する自分をイメージしていなかった。

自分の人生にそんな世界線があると思っていなかったのだ。

私の、突拍子もない世紀の提案を受けて、大阪と東京(または海外を飛び回る)という別々の土地で生活をしながら、コミュニケーションを重ねた。

結局は、夫が「自分の子どもがこの世に生まれるのであれば、自分が育てない選択肢は考えられない」という大変真っ当な答えを導き出し、結婚という道を進むことになった。

それから具体的に日程を決め、実は誕生日が1日違いだったことも判明し(それまで互いの誕生日すら知らなかった)それならば2020年7月11日~12日を目標にしようと二人で決め、動き出した。

7月11日は、年に1日だけ二人の年齢差が6歳差になる唯一の日だ、とか、だったら3日連続で記念日になるように7月10日にしようだとか、それだと納豆の日だからなんか違うとか。
色々と話し合ったけど、結局は7月12日が日曜日で、江東区役所が休日受付窓口を開けている、という理由で私の誕生日である7月12日が結婚記念日となった。

ということは、お互い好きではなかった、愛がなかったとか想像されるかもしれないが、ただただ「結婚」という世界線が二人とも頭になかっただけであって、一緒にいて心地よいとか、味覚がぴったり合うとか、笑いのツボが一緒だなとか、定期的に会う関係は一生続けたいと互いに思っていたのは事実で、それが私の「精子提供者になって」という謎のスイッチひとつで、今の夫婦関係を結ぶきっかけになっただけなのだ。

つまり、プロポーズというものはなかった。

でもきっと、いつか選択的夫婦別姓制度が実現したのならば、お互いに「法律婚してください」と真っ先に言うだろう。

夫に言われるよりも先に、自分から言えたら、もっといい。

たとえ、子どもが出来なかったとしても、たぶんずっと一緒にいられるし、その時に選択的夫婦別姓制度がまだ整っていなくて、どちらかが姓を変えて法律婚をしなければ養子を取れないという状況になっても、建設的な話し合いが出来るだろう。

そう思っています。

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本記事は、ディスタンスを取りながら結婚報告を行い、参加型ハネムーンと選べる内祝いをお届けする「投げ銭ハネムーン」に関する内容です。

気になった方は、覗いてみてください。


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