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旅をしながら働く | パタゴニア編

(2020年1月30日の記事を転記しています。)

今回最大の目的地であったパタゴニアに到着。パタゴニアとは国名でなく、地球の裏側ブラジルからさらに南下して南下して、南に行ききったアルゼンチンとチリにまたがる地域のこと。

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つまり日本から南極の次に行きにくい。南極への入口でもある。ちなみに南極とスマホに入力すると🇦🇶←この記号が出てくる。南極にも国旗あったのね、知らなかった。あ、国じゃないから国旗じゃないか、大陸旗?極旗?

空港まで迎えに来てくれた南極帰りの辺境トラベラーおとめさんが焼いてくれた肉とともにパタゴニアビールで乾杯し、翌日はウシュアイアはカニが有名という情報を知ってしまったため、「もう口がカニ、脳内も100%カニ」と言いながらティエラ・デル・フエゴ国立公園で世界最果ての風景を散歩した。

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カニとパタゴニアワインに全力で酔っ払いながら空港へ徒歩で向かうおとめさんを見送った後は、ウシュアイア→ペリトモレノ氷河があるエル・カラファテ→フィッツロイやセロトレ山を望むエル・チャンテン(ここまでアルゼンチン)→アルゼンチンからチリへ陸路国境越え→パイネ国立公園があるプエルトナタレス(チリ)→プンタアレーナス空港からチリの首都・サンティアゴに抜けるルートにした。

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時間と季節と天候によってはもっと北の世界一美しいと言われるアウストラル街道へバスで抜けてくルートもあるのだけれど、途中雨の日が2日ほどあったので、結果的にこのルートで正解だった。

雨の日は宿にこもってこれまで頭の中に溜めた思考を怒涛のようにアウトプット出来たし、バスでの移動時間も浮かんだアイデアや日々の出来事をスマホに文章で落とし込んだりで、なんやかんや忙しかった。

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幼少期に北海道で育ち、夏は毎週末北海道中の名山を登らされ、夏休みの1週間はキャンプ道具を詰め込んだワゴンでキャンプ場を転々と渡り歩く生活をし、冬は毎年15日間は藻岩山のスキースクールに通い、年末年始も人気のないニッチな雪山に山籠りして昼間の滑りとナイターに明け暮れ、春は山菜採りに出掛けていたし、ジュニアリーダーなるもの(懐かしい!)に参加して月1で子どもだけで班ごとにテントを立てて自炊して過ごす生活をしていた。行先不明のミステリー列車みたいのも乗ってたな。なんだったんだろ、あれ。笑

スキーなんて2歳ではじめたし、今思えばとんでもない英才教育。野山駆け巡り自力で自然と対峙して生き抜くアウトドア英才教育。そら、三半規管も強くなるわ。絶対に乗り物酔いも波酔いもしない身体に仕立ててくれて感謝。

ちょっとばかり運動神経が良かったのでスキーはどんどん上達していくのが楽しくて好きだったのだけど、ひたすら自分と戦う系の夏の山登りはあんまり好きになれず、立派な山嫌いに育ってしまったので大人になってからはずっと山登りを避けてきた。(結果的に立派な海好きになってしまった。)

そして市場で買った海産物をキャンプ場でBBQしたり採れたて山菜の天ぷらを食べて大きくなったので、立派に舌が肥えてしまった。(カニ美味しかったな…)

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しかしパタゴニアにまで遥々来たからにはさすがに登らない訳にはいかないよな…ということで一人トレッキングに挑戦。その圧倒的に見たことのない景色に、四半世紀ぶりにほんの少しだけ山嫌いを克服した。かもしれない。

そして見事に足を吊った。悔しい。運動神経や英才教育を過信してはいけなかったよな。そうだよな。思ったより長引いてるから、もはや肉離れだったのかもしれない。

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リフレッシュ休暇が終わったので、チリの首都・サンティアゴに移動して2020年稼働開始。久々のデスクワーク、楽しい。ほとんどブラジルとアルゼンチンで1ヶ月も過ごしたな。長かった。なんだかんだすぐ帰国予定日になりそうだし、南米の太平洋側を爆速で一気に赤道まで駆け上がります。

現時点で私の身体の中では完全にこっちの世界が日常化しているから、日本での非日常に期待を寄せて。

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