うめこは触らぬ神でした…長文

幼稚園〜大学卒業するまで
イジメを経験したことがなかった
陰口はあったかもしれないが
今更疑っても無意味

実家は住宅地にあり、うちの斜め後ろの
まあちゃんは私の1つ上の幼なじみ
女子ながら最強だった

綺麗・頭が良い・ケンカが強い
少女マンガばりのキャラクター
まあちゃんはひとりっ子なので
いつも私と遊んでくれた

中学に入学した頃
まあちゃんはケンカが強いお姫様だった
(控えめに書いてます。お察しください)

彼女は学力が高く、抜け目がないようで
まあちゃんと遊んでいた私は
中学入学から「触らぬ神」になっていた

私に手を出そうものなら
まあちゃんの怖〜い洗礼を受けるからだ
それだけ、まあちゃんは地元で有名人だった

そんなワケで同じ幼稚園から高校まで
まあちゃんと私は一緒だった
それはそれで安泰な日々を過ごした
人によれば、私は幸運なのかもしれない

他者からキツい仕打ちを受けなかったからか
社会人になり、苦労した

本当に大人は容赦なかった

「アタリが強い」…全く慣れていないので
入社して「コイツ、見返してやる」と呪い
「ジジババは
私より人生、達観してんじゃないのかよ」と
理不尽さに耐えた

今となれば、ジジババの度量は
人それぞれだと思うのだが
若い私にはジジババは皆、人間が出来ていると
信じていた節があった
だけど、そんなもの「まだ序の口」だった

「若い時の苦労は買ってでもせよ」

そんな言葉がある
どうなんだろうな…
学生時代、イジメに遭っていたら
私は抵抗力がつき
強い大人になっていたと全く思えない

ハチに複数回刺されて
アナフィラキシーショックを起こすように
イジメという「アレルギー」はいつ刺されようと心の中に澱となり、重なる経験で
あってはならない「引き金」になり得ると思う

しなくて良い苦労はしなくていい
苦労には、して「必要な苦労」
「不要な苦労」がある

周りに助けを求めても
尚、改善しないものは「拷問」だ
これらの根源、しなくて良い苦労は
精神論に基づいていると感じる

なぜなら、他者のキャパを無視し
「このぐらい気にするな」「気合を見せろ」
「みんな乗り越えてきた」
クソみたいな価値観の押し付けは「精神論」だ

「あなたのためを思って」
そんなこと本気で思ってないだろう
アンタの仲良し倶楽部の結束や
自尊感情の満足に利用するんじゃない

他者が孤立し、苦悩することや破壊することの
どこが「あなたのため」か
誰もが納得するよう論理的説明をしてくれよ

そもそも余計なお世話だっての
だったら
アンタのことを思って
社会的制裁を受けることを祈ってるわ

精神論がまかり通る時代が終息することを
子どもや大人のイジメがなくなることを
心から私は望んでいる









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