【散文】信者にはなれなかったけどタペストリーには惹かれた話


そこはいつもむせ返りそうなほど暖かく、珈琲の芳ばしい香りに満ちていた。

大人たちが吹き抜け天井のある講堂に集まって、私たちは廊下を進んだ奥にある、小さな教室に向かう。

6畳ほどの空間には木製の長椅子が6つと小さな木製の教卓、それに電子ピアノがあった。

正面の壁の中央は縦長の半円形に窪んでいて、そこには大小2つの細い木の枝で作った十字架が釘で打ちつけられ、下には開いた聖書が置かれている。

日曜の午前。

プロテスタントの教会で行われるそれは、

"日曜学校"

と呼ばれていた。



私が"日曜学校"に通うようになったのは、幼なじみとその母親に誘われてだ。

まだ小学2年だった私には宗教というものすらよく分かっていなかったが、ただなんとなく、誘われたから行くようになったのが始まりだ。

そこから、かれこれ8年くらいはこの教会との縁が続いた。

結論を先に言ってしまえば、私は信者にはならなかった。

というより、なれなかった。


どんなにまじめに、心から祈ったところで、神様は救ってなどくれなかったからだ。

既に病に冒されていた幼なじみは入退院を繰り返し、やがて日曜学校にも来れなくなった。

彼女の代わりにと、毎週日曜日の朝に早起きをして、私は教会に向かった。

賛美歌を歌い、聖書の物語に耳を澄ませ、全身全霊を込めて見えない神に祈りを捧げる。

それはまるで、私に課せられた義務であり、当然果たすべき務めのように感じられて、

"行きたくない"

だなんて、

思うことすら罪のように思われた。



結局、幼なじみは戻ってこなかった。

私なんかよりよっぽど明るく活発で、愛嬌があってまるで向日葵の花そのものの様な彼女を。皆を笑顔にして、皆に愛され、才能豊かな彼女を。

神様は連れて行ってしまったのだ。

残されたのは、彼女を愛した者たちの痛みや悲しみと、それを募らせる愛しい思い出ばかり。


 "あぁ、なんて残酷なんだろう。酷いじゃないか神様。貴方が連れて行ってしまったから、こんなにも沢山の人が悲しんでるじゃないか"


痛む心でそんな事を思いながら、おそらく多分この時に、祈ることの虚しさと滑稽さに気づいてしまったのだ。

それでもそこから中学を卒業するまで教会に通い続けたのは、彼女の母親や大人たちの期待に応える為。

生まれてからずっと彼女と一緒にいた私に大人たちが会えるのは、この教会だけだったから。

残された私の成長する姿に彼女の面影を重ねて、大人たちはよく泣いていた。


年月を経るごとに祈る姿はサマになっていったけれど、目蓋を落として沈黙したその心に浮かぶものは、笑えるほど何もなかった。

信仰心とはほとんど反対の方向に進む一方で、しかしここには私の興味を惹くものがあった。

教会に入ってすぐの右の部屋、食堂の壁にかかる黒板を覆う、大きなタペストリー。

高級な絨毯のような色味と風格を感じさせるそこには、長い食卓を正面にこちら側を向いて座る13人の人物たち。

よくわからないけれど何やら荘厳なその様子に、気づくと視線は惹き寄せられていた。


最初の頃、その食堂に向かう理由は、いつもそこに沢山のお菓子や甘い飲み物たちが芳しい珈琲の香りと共に並べられていたから。

教会学校を終えて食堂に向かえば大人たちは決まっていつも、

「好きなだけお食べ」

「遠慮しないで持ってお行き」

そう言って私に甘く優しい言葉をかけてくれる。

甘い飲み物と甘い焼き菓子を同時に食べても許されるのはこの時だけだったから、単純に甘いものだらけで身も心も満たされた。

けれど結局、慣れないその組み合わせは私には重く、舌が麻痺して胸焼けを起こすだけだった。

他の子たちが嬉々としてカップを片手にお菓子を頬張るなか、早々に暇を持て余した私は、この空間の奥にひっそりと掛けられたタペストリーを見つめた。

"この人たちは誰なんだろう"
"不思議な服装だけど、外国の人だよね"
"誰が描いたんだろう"
"そもそもこれは何?"

部屋の隅でひとり、「タペストリー」も作者もその主題も何も知らない私は、ただ漠然と頭に疑問を浮かべながら、その絵に魅入っていた。

けれど結局、誰にもこのタペストリーについて聞かなかったし、誰も説明してはくれなかった。

そもそも私以外にこのタペストリーの存在に気付いている人がいたのかどうかも疑わしいほど、それは食堂の景色の一部と化していた。



『最後の晩餐』

あのタペストリーに描かれた原画のタイトルがそう言われているものだと知ったのは、ずっと後になってから。

作者のレオナルドがイタリア人で、最期はフランスで死んだということも。

よく耳にする「ダヴィンチ」というのが、「ヴィンチ村出身の」という意味にしかならないことも。

意欲的に調べた覚えはないけれど、気づいた時には知っていた。

それどころか今日に至るまで、私の周りにはキリスト教やら古代の西洋思想、それらに付随する歴史や音楽、美術等が知らず知らずのうちに身近なものとなり、私の人生に違和感なく溶け込んでいる。

純粋にとても惹かれるのだ。学問として。

それらは、自分をどこかとてつもなく遠くに運んでくれるきっかけになり、同時にとてつもなく大きくて普遍的なものに気づかせてくれるきっかけにもなる。

とてもワクワクして楽しいのだ。それらに触れて考えを巡らせることが。

そしてそれ故に信仰心を持てないのだと思う。


以前、多くの日本人にとって宗教や歴史は苦手な分野であると聞いた時にとても驚いたことを覚えている。

「だって自分には関係ないし、どうでもいいじゃん、そんな事。そんなの覚える暇あったらもっと役に立つ事知りたいよ」

そう斬り捨てられた時、

"それが意外と関係あるんだよ、役立てられるんだよ"

と反論の言葉が喉まで出かかったものの、そもそも私とこの人とでは「役に立つ」の基準が違うのだと気づき、飲み込んだ塊は中途半端に胸につかえた。

こういう事は「考える」ものだと思っていた自分と、「覚える」ものだと思っているその人とでは、根本的に捉え方が違ったのだ。

それに多分、私が生きてきた20年と少しばかりの間でも、この世界はその人の言った「役に立つ」ものたちの方が重宝されていることを肌感覚で知っていた。

そしてそうじゃないものたちにどうしても惹かれてしまう自分が、この世界で生きづらいことも。



クリスマスが近づくと、無性にイタリアの教会に行きたくなる。

相変わらず失礼なほど厳粛な気持ちなど持ち合わせていないくせに、揺らめく燭台の上の灯火と、グレゴリオ聖歌の響き、静けさに漂う人々の真摯な面持ちに、その清らかであたたかな空気の中に浸りたい。

以前にサン・マルコ大聖堂のクリスマスミサに出向いた時、信じ難いほどに完成されたその世界観に心が打ち震え、涙が出そうになった。

あまりに美しすぎるその時に、このまま溶け込んでしまえたら良いのに、と何度思っただろうか。


神がいてもいなくても、私にはさほど重要な事ではない。

こういった世界を創って守り、継承していく人々の姿とその流れが丸ごとおもしろく、そして愛おしい。


子供の頃通った教会は、そんな私の思想形成のきっかけを与えてくれた思い出の場所なのだ。

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