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「好き」を手放さない

「わたしはこれが好き」という感性は、とてもとても大事なものだと思う。

子どもの頃は無邪気に好きなものを選んでいたはずが、成長するにつれて「他人からの評価」を意識して選び始める。

子どもの頃は、親や先生に褒めてもらえることであったり、思春期には、異性からモテたいという気持ちであったり。それは成長の証でもあるけれど、大人になるにつれて、それを再び自分軸に取り戻すべきだと私は思う。

いつまでも他人の顔色ばかりを窺っていたら、人生で本当に自分が好きなもの、欲しいものは手に入らない。

「好き」を忘れてしまった大人たち

歳を重ねて、諦めてしまうひとも多い。

たとえばファッション。
「(これが好きだけど)、自分には年齢的にも合わなそうだから(やめておこう)」
「(これが欲しいけど)、着ていくところもないし(ユニ○ロでいいか)」

住む場所、交友関係、仕事。人生のさまざまな場面で、大人たちはたくさんのことを諦めてしまう。それが現状を安定して生きる術だといわれたら、そうかもしれない。すべてにおいて「本当はこうしたい」という理想を追い求めるのは、たしかに苦しくて、息が詰まることかもしれない。

けれど、そうやって自分のピュアな「好き」という気持ちを手放していくのは、やっぱりさみしい。
ワクワクする気持ちや、探究心、好奇心、そういうものを歳を重ねるにつれてどんどん失っていくのは、あまりにもさみしい。

わたしは、本当は何が好きだったんだろう。
どんな世界で生きたかったのだろう。
本当に言いたいこと、したいことは何だっただろう。

そういう問いかけをすると、どんな気持ちになるだろうか?
私は、気がつくといつも、涙が込み上げた。

自分を嫌いなわけでも、これまでの自分を否定しているわけでもなかった。けれど無意識に蓋をしてきた色んな感情や、自分自身やいろんなことに対する苛立ち、それらすべての感情が溢れ出ようとした。

何か漠然とした不満を感じながら、今見えている小さな世界の中で正解を出さねばと縮こまってしまう自分にうんざりした。

スティーブ・ジョブズは、「もし今日が人生最後の日なら、自分は何をするだろうか?」と毎朝、鏡に映る自分に問いかけていたらしい。

これまでたくさん、我慢をしたり、自分を苛めてきた人ほど、素直な自分を取り戻すプロセスが必要だ。

怖いのは皆同じだ。安泰を選んでもいい。挑戦してもしなくてもいい。
自分の人生なのだから、選ぶのは自分自身だ。

だけど1年後、3年後、5年後、10年後、本当に後悔しないと自信を持って言えるだろうか?

今日こぼれ落ちるのは、涙でもいい。
本当の人生最後の日には、涙ではなく、笑顔がこぼれるように、まずは自分の本音と向き合うことから始めよう。


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