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まるで宙に浮いているような

最近ふとしたきっかけで、ラジコンが欲しくなり購入した。

買ったのは、小さなドローン。こんな小さなものが宙に浮いている面白さと、その耳につくような羽音が病みつきになる。

大空を飛び回るような代物ではないので、こじんまりと楽しんでいる。手に持ったリモコンでちょいちょいと前後左右、上下に動かしてみる。特に不具合もなく自在に動いた。シンプル、そして楽しい。

やはり飛ばすだけではだんだんと物足りなくなって、穴をくぐらせてみたり、定めた目標に着地させたりする。飽き性の僕は、いつまでこの遊びをやっているだろう。飛ばし方、動き方、着地、諸々工夫してもう少し遊んでみようと思っている。

手に持ったリモコンで目の前のものが動く。まだ慣れないうちは変な方向に飛んでいったり、着地が横転したりした。急に離陸してあらぬ方向に飛んでいってしまったときは少々焦ったが、その後気を取り直してトライしてみた。その動くものを自分の手でどうにか動かすことができたとき、大変嬉しい気持ちになる。また思うように動かなかったとき、苦い気持ちになる。

小さなドローンを自在に動かしたり、苦戦したりしているとき、ふと僕は思った。どこか言葉みたいだなって。大分思考が飛躍したとは思うけど。


僕も歳を重ねるにつれて、言葉の言い回しだったり、使い方にはもちろんのこと慣れてきた。だけどどうにも言いたいことが言えなかったり、思うように言葉を使いこなすことができないときが往々にしてある。

文面にするとしっくりくることも、声に出すとまるで違うなんてことがある。だから文語と口語があるわけで。それぞれ良し悪しだけれども、どうも話しているときに、「なんか言いたいことと違うな。」と思うことが多くなった。

自分の話した言葉が時たま、ドラえもんに出てくる「コエカタマリン」になってくれれば幾分楽なのに、と思うときもある。自分の口から出した言葉が吹けば飛ぶような不確かなものから、目の前に現れる確かなものに変わってほしい。

頭で考えたことと実際行うときの感覚が多少異なるように、言葉も口から吐き出すと同時になんだか思っていたことと違うような気になる。ふわふわと宙に浮いて、思う通りにいかない。言葉が嘘になる。相手にうまく着地しない。

手綱を掴んでいると、しっかり操作できると思い込んでいた僕は、言葉を離した瞬間に、そうでもないのかといった気持ちになる。頭で考えるだけではどうにもいかないらしい。ふらふらと、意図しない方向へ彷徨ってしまう。

言いたいことを長々と時間を使って説明すべきなのか、それとも言外に含ませるべきなのか。どうにも話すときは内容よりもどう伝えようかばかり考えてしまう。

考えすぎなのかもしれない。自分が言ったことなんて、いちいち書き留めてもらうわけでなし。だが話している自分自身が一番自分の吐き出した言葉を聞いている。自分に最も伝わっている。まだどうにも言葉の伝わり方を諦めきれない。

ほとんど自己満足だがもう少し試行錯誤してみるつもりだ。もちろん一朝一夕に思ったこと全てを言葉にすることなんてできないけども。

うまく言葉にできないから、物語が、恋愛が、コミュニケーションが面白くなるともいえるし。

ここまで読んでいただいた方にはうまく伝えられないのは抽象的だからだよ?と指摘されそうな文章ではあるが、拙いなりにここに報告してみる。

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