子どもを持つか持たないか、それが問題だ
既婚女性の32歳。
子どもを持つこと・持たないことについて、揺れる年頃であると思う。
じぶんの自由な時間がほしい。お金も、からだも、仕事のキャリアも。
だけどこのままの生活を続けて後悔しないか? 老いてゆくじぶんと夫、ふたりだけの生活を続けていたらどこかで侘しくなるのじゃないか?
年齢というデッドラインもある。
一般的に、出産のひとつの節目は35歳までだという。この年齢を過ぎれば妊娠の確率が下がってしまう。奇形や障害の危険性も増す。
そして単純に、これ以上の年齢で産んで育てるのは身体的にもどんどんキツくなってくると思う。
女として生まれてきて、妊娠・出産・育児を知らずに生を終えるのももったいない感じがする。
でも出産も育児も死ぬほど大変そうだしなあ……。いっぺん産んだら、「しんどいからやっぱりキャンセル」なんてできないもんなあ……。
このあたりまでは、おそらく一定数の現代女性がいちどは悩んだことのある項目なのではないか。
むかしと違って、絶対に結婚・妊娠・出産をしなければならないという時代ではない。世の中はボーダーレス、自由な時代に向かっている。
だがそれゆえにこそ、どちらを選ぶかという(贅沢な)悩みも生まれてくる。
私自身も、子どもを持つことについては日々揺れ動いている。
カウンセリングや夫との話し合いを進めるなかで、子どもに対する忌避感は減ってきた。
つい二、三年前までは、子どもを見ると恐ろしくて気持ち悪くて胸がざわざわしたほどだ。子どもを直視できなかった。逃げてしまいたかった。
そのときに比べると、「子どもがいてもいいかもなあ」などと思えるようになったのは大きな進歩だ。義姪が駆け回る姿を見て、ほほえましいと感じられるときすらある。
ただ、どうしても、怖い。
じぶんがヨワヨワの豆腐メンタルであることを知っている。感情の制御ができず、自傷行為に走ってしまうときすらある。
そんな不安定な人間が母親になんて、なっていいのか。
じぶんが母親のつらそうな姿に心を痛めて怯えたように、じぶんの子どもも同じ目に遭わせてしまうのではないか。
私のせいで鬱になったら。引きこもったら。自殺未遂に走ったりしたら。
学校や会社になじめず、生きづらいだけの人生を送らせてしまったら。
私が抱える負の遺産を、生まれてきた子どもが受け継ぐ。
それはあまりにもしんどすぎる。私自身がしんどい人生を歩んできたからこそ、しみじみとそう思う。
「お前のせいで人生しんどいわ! 生まれてきたくなんてなかったわ!」
そんなふうに責められたらどうしようとも考える。保身と打算にまみれた想像である。
結局、生まれた我が子にこう言われることをいちばん恐れているのかもしれない。
「私のせい」になりたくない。責任から逃げてしまいたい。
やっぱりこんな汚い人間が、親になるなんてまずいよなあ……。
一般的な、「普通」の家庭が子どもに注げる愛し方だって、私はよくわからないんだし。
一方、夫は子どもが欲しいひとである。
育児は私ひとりでやるものではない、夫婦ふたりで力を合わせて、周りのひとの力も頼ってやればいいんだと言ってくれる。
私と親は同じ人間ではないのだし、私たち夫婦と親夫婦とでも形は違っているのだから、生まれる子どもだって同じになるとは限らない。
そう励ましてもくれる。
どれも真理だと思う。このひととの子どもなら、見てみたいなあという思いもある。
そもそも、望んだとて子どもができるとは限らない。ここまでモヤモヤ述べてきたことは、どれもこれも捕らぬ狸の皮算用だ。
わかっていてもまた悩む。欲しいかな、いやでもやっぱり……の無限ループ。その日の体調や気分次第でも、こころは振り子のように変わる。
とりあえずいまのところ、
「自然の流れに任せてみて、できたなら覚悟を決める、できなければ夫婦ふたりの生活を続けていく」
そういう話には落ち着いている。
怖いからといって、このまま何もせずに過ごしていたら、きっと将来後悔してしまう気がするからだ。
だからやるだけやってみて、駄目ならあきらめもつくだろう。
振り子のこころを宥め宥め、現時点でたどりついた結論はこれである。
8月がくれば33歳。
揺れる女はまたひとつ歳を取り、そのたびに振り子のこころを宥めるのだろう。
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