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最適解は鍋である

 20代の頃、私は販売員として働いていた。勤めていた店は服や靴、雑貨を扱っており、12月は年間でもっとも忙しいシーズンだった。店内はクリスマスプレゼントを買いに来たお客様でいつも賑わっており、プレゼント包装の依頼は途切れることがない。

 私たちスタッフは12月のカレンダーがめくられた瞬間、腹をくくる。

「……ついに12月が来たね……」

「頑張ってみんなで乗り切ろう……」

 クリスマス商戦の字のとおり、12月の売場は戦場なのだ。売上は跳ね上がるが、仕事量も跳ね上がる。休憩をとることもままならない。最悪、トイレにすら行けない。だから12月は、みんな戦場に向かう面持ちで仕事に臨んでいた。どの仕事にでも言えることだが、誰かの笑顔や平穏な日々は裏でたくさんの人が汗を流すことで支えられている。誰かのサンタクロースになるお客様のために私たちは師走の寒さの中で汗を流していた。

 そんな私たちにも楽しみにしているイベントがあった。クリスマスイブの日、仕事が終わると私の家に集まって鍋パーティーをすることだ。忙しさのピークであるクリスマスイブを乗り切った打ち上げとして、この鍋パーティーは毎年恒例となっていた。この鍋パーティーで大いに飲んで、食べて、笑って激務の疲れを癒やすのだ。

 クリスマスイブ当日。鍋の準備があるので毎年この日は早番を任されていた。店内は今月一番の賑わいで、早番の私も定時を過ぎたにもかかわらず、プレゼント包装に追われていた。

 ようやく一段落つくと家路を急いだ。疲れていたが、のんびりしている暇はない。過酷な営業を終えて疲労困憊でやって来るみんなのために、いつでも鍋を始められるよう準備しておかなければならない。野菜を切って、炊飯器のスイッチを押す。今から炊けば途中で白ご飯が欲しいとなってもすぐに出せるだろう。〆の雑炊にはじゅうぶん間に合う。そうこうしているうちに仕事を終えた同僚たちがやってきた。

「おつかれー!!」

「疲れたー!!乗り切ったぞー!」

「お腹すいた!今年は何鍋?」

 賑やかな声と共に鍋パーティーが始まった。ひとり暮らしの狭いアパートの玄関にところ狭しと同僚たちの靴が並ぶ。鍋とは関係ないけれど、その光景は楽しい宴の一瞬を切り取ったかのようで好きだった。

 みんなでこたつに入り、鍋を囲む。煮えるのを待つ間、クリスマス商戦を乗り切った健闘を讃えて乾杯をする。お酒を飲みつつ、「今年のクリスマスシーズンで大変だったエピソード」に花が咲く。激戦を乗り切った私たちは誰もが毎年何かしらのネタを持っていた。ビンゴゲームの景品用で50個分のプレゼント包装を依頼されて気が遠くなったとか、在庫がなくて取り寄せた商品がクリスマスイブにギリギリで間に合ってよかったとか。語り手のエピソードに「それヤバいね」「大変だったね」と鍋を食べながらねぎらい合うのだ。するとあれだけの激戦もいつの間にか笑い話に変わっている。

 鍋には人を元気にする力があると思う。たっぷりの野菜に肉や魚介はどんなに疲れていてもいくらでも食べられた。湯気を立てるつゆは冷えて疲れた体を優しく温めてくれた。疲労困憊だった私たちを癒やし、苦労話を笑いに昇華できたのは鍋のおかげだろう。〆の雑炊を食べ終わる頃にはみんなとてもいい顔で笑っていた。クリスマスイブのあの鍋パーティーは「おいしいはたのしい」を具体化したような幸せな時間だった。


 私は現在、転職をして販売員ではなくなった。クリスマスを裏方で支えることから離れて久しい。それでも毎年12月になるとソワソワと気ぜわしく思うのは、販売員だったあの頃の名残だろう。誰かの笑顔を支えるために働く人達には本当に頭が下がる。かく言う私の夫もいわゆるエッセンシャルワーカーと呼ばれる仕事に就いており、クリスマスも年末年始も関係なく働いている。新型コロナウイルスの影響により、その負担は例年以上なのが見ていて明らかだった。

 そんな昨年末、私は夫にある提案を持ちかけた。

「私、明日から正月休みに入るんだけどさ。休み期間中の晩ご飯は毎日日替わりの鍋にしてみようと思うんだけどどう?あったまるし、栄養もとれるし」

 夫は鍋が好きだ。どれくらい鍋が好きかというと、「真夏でも鍋を食べたい」と断言するくらい好きだ。夫の大好物かつ栄養バランスもよい、そして何より温まる。鍋つゆと具材を変えればバリエーションには事欠かない。この「毎日日替わり鍋」は我ながらいいアイデアだと思った。ステイホームが求められるこの年の瀬でも、仕事に向かわなければいけない夫に微力ながらも力になりたかったのだ。

「ナイスアイデア!!」

 夫は大賛成だった。こうして「毎日日替わり鍋企画」は始まった。

 初日はおでん。夫の好物、牛すじをたくさん入れた。

 二日目はポトフ。私の得意料理だ。

 三日目は夫婦ともに好きなラーメン屋さんから麺とスープをテイクアウトしてそれをベースに野菜などを追加して鍋にした。こってりスープが野菜に絡んで、それはもう悪魔的においしかった。

 四日目はキムチ鍋。我が家では餃子を入れることが多い。この日も餃子を入れた。

 五日目は豆乳鍋。この鍋つゆは夫も私も一番気に入っている。

 最終日は寄せ鍋。最後はシンプルに。〆の雑炊を食べながら夫に「毎日日替わり鍋企画」の感想を聞いてみた。

「最高だった!今日は何の鍋だろうって毎日ワクワクしてたよ。鍋って最高にして最強の調理法だね!」

 そう語る夫は雑炊を食べる手を一切止めることなく、満面の笑みを浮かべていた。

 私も夫の言葉に完全同意だ。ラーメン鍋のように初めての試みはワクワクしたし、大好きな定番の鍋は絶大な安心感があった。同僚との鍋パーティーのときもそうだったが、鍋を食べると人は笑顔になる。鍋ほどエンターテイメント性の高い料理はなかなかないと思う。おいしいし、たのしい。「おいしいはたのしい」に具体的な料理をあげるとすると、その最適解は鍋であると私は思う。


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