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人が思ってることが体に入ってくる感覚があったんです

先日、兄さんの発表会があった。

その劇は30分は超えるもので
内容は少し難しいが
1人で歌ったり、長セリフを言う役があったり(!)する
とんでもないものだった。

兄さんが長子なので、私は初めて観劇したけど
『もう、とにかくものすごく素晴らしかった!』
あぁ、私の語彙力、、と思うけど
とんでもなく、それは本当にとんでもなかった。

兄さんは、演じたりすることが好きなようで
とてもセリフが多かったけど、家で1度もコソ練することがなく
本番も安定していて、我が子ながら感心した。

年長さんにもなると、レベルの高いものをみんなで創り上げることが
多々あり、私はこっそり『年長さんみんなの母』のつもりでいるので
冒頭から我が子なしのシーンで号泣していた。

上手い下手とか、そういうことじゃなくて
伝えようとしている気持ちがしっかりこちらに伝わってくる。
大きな声で、早口にならないように、届けたい、って。

あんなに小さな子たちが、そんなこと考えてるなんて
それだけで泣けてきちゃう。

『すぐ泣く私、号泣する私』は、
今回も十分に発揮されていたが
やっぱり今回も、自分の感受性の豊かさにとても感謝した。
泣いた=感動した、ではないけど
心が震えて泣けるって本当に素晴らしい
そして、それを受け取って
おいおい泣ける自分ってマジ最高!とも思った。

本当に子供たちの気持ちが見えるように伝わってくるのよ。
いや、もう私には見えてるレベル。

子供を育てるって大変なこともあるけど
親になってこんなに素敵なプレゼントもらえるなんて想像もしなかったよ。


そんな時間を過ごした後は、お昼を食べに。

移動の車で寝てしまった兄さんは機嫌悪くて、
あぁ、またか
と込み合った店内で待ちながら
楽しくない時間になるかも
と思ったけど

初めてきたそのお店は、どのメニューも抜群においしくて
兄さんもすぐご機嫌、坊ちゃまもモリモリ食べ
みんなペロリと完食した。

外食で、頼んだ食べ物が全ておいしいってなかなかなくて。

どれか1品は、「ちょっと、、」となることが多いけど
ここのは全てピカイチにおいしい。

なにかで読んだけど、おいしいものを引き寄せる時って
自分も良い状態である時だ、みたいな。
(何で読んだんだっけ?そういうの知ってる方教えてください)

おいしいものを食べるだけでも嬉しいのに
全ておいしい!なんて、なんかキテると感じた。


お店を後にして、近くの甘いもの屋さんへ。
お目当てのものが売り切れで、違うものを購入したら
「売り切れでごめんなさいね。こちらよかったら、、」と
おまけをサービスしてもらった。

私は絶対頼まない味だな、と持ち帰って母が食べていたが
「なにこれ!おいしい!」と、とても喜んでいた。
おまけでいただいたからこそ知れた味。
はぁ、幸せ。


その後、コーヒーをしばきに。

グーグル先生が教えてくれた新しいお店へ。
ご夫婦でされている小さなコーヒー店。

うちのちびっこ2人を、かわいがってくれ
ご主人がご自身のお子さんのことを話す様子から
子供のことをとても信頼して愛しているのが伝わってきた。

じっとしていないうちの子に、危なくないならなんでもどうぞ、と
いう感じでニッコリしながら見守ってくれて

あぁ、子育てっていうけど
育てるなんて大層なことしなくてよくて
(だいたい育てるなんて上から目線で横柄な言葉だな)
ただ子供がやりたいことをサポートするだけで
いいんだよね

って思い出させてくれる
良い時間だった。


その後はまた甘いもの屋へ。(甘味多め)

支払いを済ませても
「お待ちください」も何もなく
ただ、しーーーーーんの時間。
お金払ったけど、どこから出てくるのかな?と
しばらくこちらも何も言わず、
そのお店の店内を見まわしたり触ってみたり。

すると、先客さんがいて、その方がなんと30個も注文したようで
その方の準備に時間がかかっていたみたい。

てゆーか、30個ってすごい数ね、と思っていたら
「子供がたくさん買ってきてっていうもんだから」とマダム。
おつかいご苦労様です。

で、家帰って食べると、これまたおいしい!
外カリ、中ジュワ。
あ、カヌレです。


カヌレ後は、行ったことない道行ってみよう!となり
本当にこっちで合ってるの?と四駆じゃないと厳しめの坂道を上ってみた。
目的地はお寺で、上がりきったところに、それはあった。
山登りコースもあるようで、車からおりてしばし散策。

兄さんは、怖いと言いながら、でも私に付いてくる。

私は、1人では絶対来ないけど
知らない道や行ったことない場所は自分の目で見てみたいので
この時は、長い階段を上がってお寺を見に行った。

私は、所謂|《いわゆる》『視える人』ではないんだけど
特にこちらに縁を感じないので
もうここに来ることはないと思ったけど

『いっつもあそこ気になってるんだよなー行ったことないけど』的な
場所を残しておきたくなかったので
これで1つ減らせてなんだかすっきり。


濃い1日だったけど
なんか流れがスムーズで、
なるようになった、というか
なるべくしてそうなった、というか。

なにもつっかえるものがなくて
全てがうまくいった感じ。

こんなことは生まれて初めての感覚かも。

なにがそうさせたのか。
自分の受け取り方が変わったからそうなったのか。

なんだろう。

ここ最近で意識しているのは

やりたくないことはやらない
やりたいことはやる

誰かのため、と思っても
やってあげる、は自分がやりたいことではない。


この前日に、テレビを見ていたら、ある女優さんが出ていて。
その人に対して、今まで何も思っていなかったんだけど
(良くない意味でも何も思っていなかった。無ってこと)


うわー、この人、嘘くさー。
(ずっとニコニコ笑ってるけど)
絶対笑いたくないのに、笑わないと、って思ってるわー。
(驚いてる表情をしていたけど)
全然嘘。全くこの人何も思ってない。顔だけ作ってる。


いつもはこの人に何も思わないのに不思議だなと思ったけど
その日は、強烈にそう感じるものがあった。

この人に聞かないと、本当はどう思ってたかわかんないし
例え聞いたとしても女優さんだから、
「そうですね、嘘です。」なんて答えるわけないから
確かめようがないんだけど
私は思う、この人全然そう思ってませんから。

私が勝手にそう思うのは自由だからね。

でも、その次の日の発表会でも、
子供たちの気持ちが見えるように
体に入ってきたのよねー。
ほんと不思議な感覚だった。

なんか私変わったのかな?と思うけど
何が変わったのかはわからない。
でも、なんか楽しいから
この体でしばらくいろんなことを視てみようと思う。

あんまりにも楽しかった1日だったから
そのことをインスタのストーリーに載せてみようと思って。

でも、今日こんなことがあってーと
自慢するんじゃなくて(自慢することなにもないしね)

こんなに楽しかったんですーって
そのエネルギーを載せて発信したら
それをどれくらいの人がキャッチしてくれるのか実験してみたくて。

エネルギーを受け取る、でもいいけど
私が意図してることって
私の周りだったらどれくらい伝わるんだろうって、ふと思って。

少し前だったら、こんなことも意味不明ってなってたことが
だんだんと日常に入ってきて、そんな会話ができる友人が
いることが幸せで、こんな話はずっとできる。








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