蘇る記憶(エッセイ)
Twitterでフォローしてきた人のアカウントを見にいくと、トップにJUJUさんのYouTube配信している楽曲があった。
JUJUさんの『やさしさで溢れるように』は知っていた。
耳に入ってくる曲で、「なんかいい」と思うと、彼女の曲だったりした。
でもその程度で、曲とタイトルが結びつかない程度のものだった。
フォローしてきた人のトップにあるJUJUさんの曲は、タイトルだけを見ただけでは曲を思い出せなかった。
聞けば思い出せるかな。
『JUJU Official YouTube Channel』のその曲をポチっとした。
JUJU 『奇跡を望むなら...』
ああ、何度か聞いたことある!
そう思いながら、MVを見ていると、目が離せなくなった。
思いがあふれる。
◇
4年前にnoteで励ましていた仲間を思い出した。
若くして骨髄性白血病を患っていた彼女は胸の内をnoteで配信していた。所詮他人事になるとは思ったが、知らんぷりできなかった。
彼女は骨髄移植を希望していたが、なかなか提供者を見つけられなかった。
このまま死んでしまうのか、と悲しそうに綴るnoteを見ているだけだった。
たまにコメントして励ませば、自分のきれいごとに嫌気がさした。
彼女は複雑な家庭に育った。
母子家庭で育った彼女は、その母のDVで施設へ送られ、中学へ行ける環境ではなかったが、やっと合格した高校はその母の嫌がらせで辞めた。いつも邪魔をする母だった。骨髄性白血病の移植も仕方なくその母にいやいやながらお金を支払い、検査してもらったようだ。
「住民票を開示しないで欲しい」と役所に言ったが、「産みの親には開示義務がある」との返答だったので彼女は住民票を残し、母が追いかけてこられない場所の大学を選び、医者を目指した。
「家族ってなんだろう、どんなことがあっても切れない縁なのか?」
その後、移植したら子供が授からないという、人生で一番残酷な選択をした。
そして、アメリカ人から骨髄をもらうことなったときは、彼女は前向きだった。
「でもワクワクすることもある。アメリカの血を引くのだ???
そして移植すると骨髄を提供してくれた方と同じ血液型になるそうだ(^^)
よく言われる話しでは、趣味や食べ物の好みまで似てくるらしい(笑)
どんな風に自分が変わるのかは楽しみだ!」
「病気になって今は良かったなって思う
移植を成功させて患者になった今を忘れない医者になりたい!」
しかし闘病生活は苦しい。
「うぉー
頑張っても頑張っても
努力しても努力しても
自分の力じゃどーにもならへんことが多すぎて
悔しくて悔しくて
どーしょーもなくて
気持ちの持って行き場もなくて
でも生きたいんです
悔しい」
そして、
「笑う門には福来る
遺書でもとおもてんけど
なんも書くことがない
ありがとう
の言葉に尽きる」
この感謝の言葉のあとにはもう投稿されることはなかった。
私は2017年12月に彼女が亡くなったことを知った。
四十九日が明けたこの12月、友人一同として
「2017年10月16日7時17分死去
毎日謙虚に毎日力強く毎日志高く生きていました。
ありがとうございました」
と彼女のnoteのページにあった。
彼女は余命わずかで結婚していた、という事実をこのとき知った。
シアワセの絶頂でこの世を旅立っていた。
よかった。
◇
JUJUさんの 『奇跡を望むなら...』のMVはループ再生で何度も何度も聴いた。
映っているのは、note仲間の彼女にちがいない。
実際に結婚してくれた彼は現在、持病を持ちながらもプロ格闘家としてリングに上がっているらしい。
いつか、遠くからそっと彼の試合を見に行きたいと思う。
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