環境・地域・都市・社会運動などの読書記録・その2

 読み終わった後に逐一記録しておかないと何を読んだのか忘れてしまう。エントリをまとめるために引っ張り出したが読み直す気力も起きず、「読んだ」という記録だけを付けたい……。

・Corbin, Alain, 2001, L'Homme dans le paysage, Textuel.
(小倉孝誠訳,2002,『風景と人間』藤原書店.)

 はじめてアラン・コルバンの著作を読んだ。ふくやま美術館で開催している特別展「クールベと海 -フランス近代 自然へのまなざし」の図録と一緒に購入した。対談というかたちをとった書物で読みやすいことは読みやすい(が、例によって要点をまとめる気力はない)。我々が慣れ親しんでいる「風景」がいかに「風景」となったのか。空間の解釈の歴史的様相をあまり意識はしてこなかったのだが、これを読み自分のこれからの研究にも役に立ちそうだと感じた。学部生のときに読みたかった。あと、絵画、地理(学)、地図、旅行(パンフレットなど)などに関する史料の読み解き方を習いたいと思った。少し離れてしまうと思うが、何が「正統な風景」「真正な風景」であるか、その社会意識というか心性がいかに成立するか、その機制に着目する研究群を掘ってみるとおもしろいのかもしれない。

(参考)ふくやま美術館 特別展「クールベと海 -フランス近代 自然へのまなざし」
https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/fukuyama-museum/206388.html

・中澤秀雄・嶋﨑尚子編著,2018,『炭鉱と「日本の奇跡」――石炭の多面性を掘り直す』青弓社.

 第3章「炭鉱閉山と家族」がいろいろな意味ですごく切ない。炭鉱閉山後の離職者はどこに行くのか。特に中小の零細炭鉱労働者は、佐賀県多久市の例だと、新しい仕事を見つけても満足に退職金も未払い賃金も支払われず、失業保険も(炭鉱会社の作為や怠慢により)交付されないため、家族での移動が叶わず、単身移動をせざるをえない(結果的に家族の崩壊に至ることもある)。また、そもそも移動をしたくてもそのためのお金すらない場合もある。「去るも地獄、残るも地獄」という状況が生じていた(90-1頁)。それだけでない。親の移動だけでなく、子どもの移動に着目している点がこの章に通底する悲哀のひとつを描き出している。
 閉山後の親の移動に伴い、都市部へ移住したある中学生は、「日本に住んでいながら閉山という言葉がわからない人もいるんですよ。私が学校へ行ってまもないころ。女子の一人と話していたら、その子が「閉山てなに」って言ったんです。私は泣きながら炭鉱から来たのに閉山という言葉さえ知らない人がいるかと思うと何て言っていいのかわかりませんでした」と、もともと住んでいた炭鉱地の学校の教員に手紙を書き送る(94頁)。転校先の都市部への適応を強いられるだけでなく、彼ら・彼女らは一緒に移動してきた子たちとの距離をわざと置こうと試みてさえいる。それは親世代が移動先でコミュニティを維持しようとしているのと対照的でもある。ただし、この悲哀は率直に言えば(言葉は悪いが)記録に残っているだけ「まだマシ」と思ってしまう。

 その一方で見過ごされがちな側面は、移動が遅れた子どもたちや炭鉱都市の周辺にとどまった子どもたちの経験である。こうした滞留には親の属性が関連している。例えば、閉山時に親が高齢だったり、炭鉱内で組夫などの身分であるために再就職先がなかなか見つからなかったりして、都市への移動が困難になる場合である。彼らは他炭鉱へ移動する、もしくは閉山後も近隣町村にとどまった。結果として、進学や就職での不利益が長期にわたって継続し、彼らは「取り残された」感覚を抱き続けることになった。(嶋﨑 2018: 95)

 閉山離職者の子どもたちが都市で標準的とされるライフコースを歩んでいった後、年月を経て彼らに「故郷への郷愁」が生じるとされる。その一方で「取り残された」感覚を抱き続けた者にとっての「郷愁」はあり得るのだろうか。そのようなことを考えた。
 本章の結びについて。高度経済成長期と高度経済成長期以降の炭鉱の閉山と離職においては、特に前者で「ヤマでの生活」を懐かしく思う気持ちを「共有」することを可能にし、一方では後者ではそのような「共有体験」を持ち得ないことが述べられている。ここには時期的な変遷によって「共有」のあり方の変容があるようにも思うが、一方では高度経済成長期に「取り残された」者にとっての「共有体験」はどのように描くことができるのか(あるいは描くための史料があるのか)ということを思った。
 他にも労働運動、主婦運動の章についてメモを書こうと思ったが、しんどいのでここまでにしたい。産炭地の主婦運動については、ジェンダー論から見たときの微妙な距離感だけでなく、同章ラストの天野正子からの論点が非常に参考になる(いわく、「天野正子は、生活クラブ生協は「生活者」というジェンダー中立的な概念を用いて、「人間」としての「私」の活動や生き方を前面に打ち出すことによって、「人間」の存在を脅かすものに対する、地域・国籍・民族を超えた共同戦線に向けた活動に広げることを可能にしたが、同時に活動主体である主婦が人間「一般」としてではなく、社会的・文化的に構成されたジェンダーという関係性のうちに存在していることを隠してしまったと指摘した」(178頁)。)

・木原啓吉,1998,『ナショナル・トラスト[新版]――自然と歴史的環境を守る住民運動ナショナル・トラストのすべて』三省堂.

 別箇所で書いたメモを再利用する。イギリスの先駆的な取り組みとしてのナショナル・トラスト運動については、当時の(第二次)エンクロージャーへの批判、都市貧困と衛生改良運動のような文脈のなかで理解する必要がある。また、日本のナショナル・トラスト運動を理解していく際の手がかりとして、著者は大佛次郎のエッセイを挙げている。ここは盲点というか、単純に勉強不足というか、全然読んだこともなかったので、代表作も含めていつか読んでみたい。全体として事例は豊富で当時の運動の流れや概況もわかりやすく描かれている。一方でなんとなくの感想にはなるが、「風土」「歴史的環境」「アメニティ」という鍵概念にもう少し踏み込んだ考察を加える必要があるのではないかという気がした。この点は同著者の『歴史的環境』を紐解く必要があるのだろう。最後に、(自治体と反目する運動だけでない)自治体と協力する運動という話の流れに至っての税金等の細かい実務的な、法務的な話になると、あまり頭が追いついていかなかった。

・園部雅久,2001,『現代大都市社会論――分極化する都市?』東信堂

 Mike Savageの都市社会学の教科書を読む必要を感じた。また、海外文献も手際よく参照されていた。加えてそれらの知見を活かし、日本における実証研究を進めているように思った。些末な点になるが、ピーター・マルクーゼが都市空間の不平等ということで、「クォータード・シティ」という議論を展開していることを知った。息子ピーターの父はヘルベルトのはずで、少し親近感(?)を持った。
 グローバル化のなかの東京にも分極化の「兆し」がある、ということになっていたように思うが、この時代診断としての都市社会学の視角に基づくならば、現代はどうなっているのか(誰か実証的に研究されていると思う)。

・北島滋,1998,『開発と地域変動――開発と内発的発展の相克』東信堂.

 自分が構造分析を(学史として)理解するにはまだまだ時間がかかりそうだという思いを新たにした。学史というか北川的「批判的構造分析」に至るまでの方法史として第1章に繰り返し立ち返ろうと思う。他方、ひとつ思うのは、例えば蓮見・似田貝的構造分析に限界がある、となったときに、分析方法の彫琢と批判的乗り越えを図るとするなら、同じ対象で再分析した方が優位性が出るのではないか、ということ(もしかしたらただの見当違いかもしれない)。
 第4章の家具製造業の話について。(少し離れてしまうかもしれないが)労働の合理化について、製造業ごと・地域ごとのタイムラグがありそうに思った。典型的な大規模製造業・重工業の生産様式にばかり目が行きがちな気がするが、その合理化過程の不均等さを見定めないといけないと思わされた。
 また、(開発経済学と関わるところの、そしてグローバリゼーション下での)「開発」「発展」の様相にも改めて目を向けさせてくれた。

・松下圭一,1971,『都市政策を考える』岩波書店

 「都市科学」「政策科学」へのこだわりがある。それは、ある意味ではグローバルな規模での都市革命を予見していたからでもある。加えて、ある種学際的な「都市学」を志向するなかで、マルクスウェーバーの影響下にあった当時の学問潮流とは異なるムーブメントを意識していた(この俗流マルクス論、俗流ウェーバー論が「政策科学の形成自体を否定ないし無視」という文脈をもう少し追いたい(75頁))。拾い読みとなるが、118頁に「日本の社会科学は、生活空間の分析を無視していたため……」というかたちの論及もある。
 また「シビル・ミニマム」は「市民の権利」「生活権」という性格だけでなく、この当時においては、「自治体の「政策公準」」としての性格を持つことも覚えておきたい。

・宮本憲一,1973,『地域開発はこれでよいか』岩波書店

 やはり全国総合開発計画田中角栄の日本列島改造論新全国総合開発計画の流れを押さえる必要がある。この本で当時の概況をつかむことができる。一方、新書で済まさずに元資料などにもあたる必要がある。
 それだけでなく、国土開発の系譜における「ダム」の存在の大きさを感じた。TVAの原則(リリエンソール)は日本においては根付かなかった。ダム開発は目的の総合性を持たず、電力優先となり、農業用水も治水もおろそかとなった。また、「開発行政は無責任の体系」でもあった(28頁)。さらに、「草の根民主主義」はまったく考慮されなかった(29頁)。ダムの話については、町村先生の本も積読状態なので機会を見つけてちゃんと読みたい……(町村敬志,2011,『開発主義の構造と心性――戦後日本がダムでみた夢と現実』御茶の水書房.)。
 宮本は本書のなかで、上記の開発行政に対する批判的検討、四日市ぜんそくの裁判証言、関連して亜硫酸ガスの大気汚染問題年表(飯島伸子的)、本土復帰前後の沖縄の開発の諸問題の検討などを通して、「資本の論理」に対する「自治の論理」を導き出そうとしているように思う。その政策的な提言は、おそらく財政を国に任せずに自治体がどうにかやっていく方が良いという話に紐付いている。(もちろん、「自治体に権限と財政を付与すれば、開発の民主主義は保証されるかといえば、そうはいえない。自治体の行政機構の民主化と効率化が必要である」(233頁)とも言われている)。

 また思い出したときにメモをまとめることにしたい。

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