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リスクに対するコストとベネフィットのバランス管理こそがリスクマネジメント

俺は日本語しかできないから「ベネフィット」はまだその単語を聞いてもすぐにピンとこないものだが、言ってしまえば利益だ。

俺は昔から理屈主義の合理主義者だから、合理的である、と言えることが理想だと考えている(ただし合理主義の大前提として人間は不合理である、と言う考えを重視している)が、

何かのリスクに対して、どれだけ合理的に対処できるか、と言うのが人間のレベルを図る指標として最も合理的であるものと考えている。

勿論、予測は不確定性がある為、計画の妥当性は実際に事が進み出して分かるものもあるので、その辺も考慮すべきである、と言うのを念頭に置かねばならない。

では結局この1年間以上の間に、コロナ感染拡大と言う「リスク」が国民の我慢と言うコスト、そしてそれ以外のコストを支払うこととなり、我々にどのようなベネフィットを齎したのかを検討し、今後どうすべきか、と言う、本来専門家やメディア、政治家がやらねばならないことをやろうと思う。

1.コロナリスク対策の適切な目標設定

まず、目的であるコロナ殲滅(或いは減少)そのものの妥当性評価から始めねばならないだろう。

ウイルスとは殲滅可能なものなのか、また人為的に減少させること(即ちウイルス制御)が可能なのか。

頭の中では皆コロナはなくならないと理解している筈だから、本来この時点でゼロコロナを掲げている奴等は、コロナの害を抑えたいのではなく、コロナでてんやわんやになることを望んでいる政治的意図があると考えた方がいい。

その点で立憲民主党やそれを支持するメディアはまず「まともでない奴等」としてラベリングしておく。

では減らすことが目的となるだろうが、その数値目標は何処に定めるべきか。

当然ゼロは有り得ないし、他のウイルス性感染症の事例から判断するのが妥当だろう。

そして、だからこそ季節性インフルエンザを基準に考えろと言っている。

あまりにも数が多い為、全数検査ができず、定点での観測と報告だけのウイルスと、超過死亡(本来その年に死ぬだろうと予定される数とのギャップを評価し、多かった場合に特定の流行したウイルスが原因と見做すやり方)だけでの統計情報しかないが、

それでも近年は毎年数千人から1万人はコロナで亡くなっているし、感染者数(陽性ではなく有症状かつ自主的に病院に訪問し、検査等により診断された数)は1千万人と言われている。

これが毎年許容されてきたのだから、それを超える危険性かどうか、そこだけが判断基準として適切ではない。

しかし、以前からそれを拒否する頭の腐った奴がたくさんいるのは当然俺も知っている。

やれ2009新型インフルエンザと比較せよ。

ん?この新型インフルエンザって結局思った程でないからと、ワクチンも買い占めたくせに捨てたレベルのインフルだし、そんな状況で日常にすぐに戻ったウイルスだぞ?

またそこだけが新型と言われているが今では一般的な季節性インフルエンザの仲間入りを果たしている。それが今ではコロナを遥かに超える数の人を殺してきたわけだ。だから2009新型インフルエンザを基準とするなら、それこそ今の対策は過剰だろう。

またやれスペイン風邪と比較せよ。

これもまたあまりにもレベルが違い過ぎる。自分が甲子園で惚れた高校生選手をプロと比較せよ!それでも十分殿堂入りできる!とかなり主観的な思い込みで騒いでる狂ったファンみたいなものだ。

若干それたが、結局比較するなら季節性インフルエンザが妥当だとこれで改めて分かった訳だ。コロナ脳以外の人には。

2.設定目標に基づく戦略・戦術

目標が決まればそこから戦略を練ることになる。では目標はと言うと、改めて言うまでもなく、最初から達成しているのでもう存在しない。以上。

3.今までの常識を超えた対応は全て過剰

目標が達成できたにも拘らず行われた汎ゆる対策は全てコストとして考えるだけではなく、得られた利益も加味し、損益を評価しなければならない。コロナ以降、様々な対策と称した暴挙が日本全国で繰り広げられたが、そこから無理矢理探し出したベネフィットを並べてみると、

一部企業でテレワークの可能性が模索できた
飲み会等が嫌いな奴等が悩まず参加せず済んだ
飲み代その他の出費が減った
高齢者が病院と言う死者製造所から離れた為、無駄な手術や投薬、院内感染が減り、超過死亡がマイナスになった

程度だろう。

最後の病院の件だけ敢えて特筆するが、これは現代の医療制度の不都合を顕在化させた大事件だと俺は考えている。

結局人間は、手術や投薬が命の源ではなく、これらはあくまで健康に生きる人間の阻害要因を除去する為の手段だが、ビジネスと化している以上、より多くの人に入院してもらい、可能な限り手術をして経営を成り立たせたいと言う目的の為に喧伝されている不安の為に、体と金を医療に差し出している、と言うことが分かったからだ。

そしてこれは皮肉にもコロナ政策の欺瞞も炙り出したと言えるだろう。

人流が大切なのではなく、人々の免疫が大切なのであり、人為的な、科学的な行為はその免疫の存在を無視して、余計に悪化させることしかしていない、と言う欺瞞を。

こうなるとベネフィットとやらを遥かにコスト、損失が上回りそうだと言うことの察しがつく。

どんなものを我々が差し出してきたか、その一部を振り返ってみよう。

企業の倒産、廃業、解雇、雇止め、休業、減給の発生
自殺者の増加
家庭内暴力の増加
性犯罪の増加
子供の教育機会の収奪
出生数の減少(高齢者の死も減った為、少子高齢化は予定より遥かに進んだ)
文化、スポーツ等への不当な不要不急観の定着
交通インフラの脆弱化
過剰対策の為の不要コスト増

果たして、この対策は本当に適切だったと言えるのか?俺は当初より過剰だと言い続けてきたが、そして経済や自殺の問題だって想定通りに悪化しているが、それ等はコロナ対策と称する茶番の為の必要なコストだったのか?

4.子供をオリンピックへ

結局、大人の無責任さによるとんでもない損失を生じさせた人災であることは分かったと思う。

その中でも特に被害の度合いが高いのが子供達だ。

彼等は毎年多くの子供が亡くなるインフルエンザと違って、全く死なないウイルスを理由に生活を大きく奪われ、破壊されたのだ。勿論彼等には自決権等無いから全ての責任は大人にしかない。

コロナが怖いからオリンピックを見せないと言うのなら、まずこれまでインフルエンザで子供が死んでも外に出していたことを悔い改めねばならないし、今後もそれを続けると約束しなければならない。

それがコロナを恐れる大人の責任だろう。

それだけの覚悟を大人はしているのか?

何も考えず、テレビで専門家がコロナは怖いと言ってるから怖いんです、ってだけだろ?

子を持つ親としてちょっと不勉強過ぎやしないか?無責任過ぎやしないか?

可愛い子には旅をさせろとよく言われるが、今の大人は子供が可愛くないのだろう。

まあ、我が身が何より可愛い股間に毛の生えただけのエセ大人はそうなのかも知らんが、常識ある大人はそうあるべきではないと理解する。

我々は今子供達から余りにも多くのものを奪い取ってしまった。

それに報いるのが大人の責任だろう。

子供等には、オリンピックを見せてやれ。

そこにいるのは今身の回りにいる、責任から逃れたいだけの、自分の命と健康と金を守るだけの賤しい獣ではない、世界一を目指して色んなものを犠牲にして努力してきた大人達がいる。

今子供達はドブネズミやゴキブリやカラス(のようなお前等大人)等を日々見せられている。

そうではなく、動物園でライオンや象や孔雀等、様々な興味をそそるものを見て欲しい。

色々なものを感じ取り、憧れ、生きて欲しい。

そして今の大人達を蔑み、憐れみ、慈しむような大人になって欲しい。

君達は畜群ではなく人間になれ!!





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